海外生活体験者・学生インタビューvol.1


久保洋介さん。1985年、大阪生まれ。1歳から6歳までNYに滞在。帰国し、大阪の小学校に通う。家族は米国コネチカット州に転勤するが、単身長崎の寮制中学校で3年間を過ごす。その後、再度渡米し、コネチカット州の公立高校を卒業。京都大学法学部に入学し、現在3回生。学生ガイドコンペティション2006主催者。国際学生シンポジウム参加。外務省主催の国際法模擬裁判大会アジアカップ国内予選京大生代表(日本総合2位、個人成績1位)。外務省主催の日露学生フォーラム、ハーバード大学主催の世界模擬国連大会、国際赤十字委員会主催の国際人道法模擬裁判大会などに日本代表として参加。

―俳優になりたかったんですって?

中学を卒業するまで一人で長崎にある進学校で寮生活をしていたんですけど、そのころは俳優になりたいと思っていて、自分の人生がレールに乗ったままというのは嫌だったんです。オーディションに応募して、落ちたら家族のいるアメリカに行こうと思っていました。結果的に、オーディションには合格したんですが、審査員(テレビドラマ「はぐれ純情刑事」のディレクター)から「俳優というのは人間性というものが表れる。どれだけのことを経験したかが演技になって表れるから、高校3年間アメリカに渡って、もう一度俳優にチャレンジしても遅くはない。」と言われて、結局、その一言で渡米していた親の元へ行くことを決意しました。

―アメリカではどんな生活をしていたんですか?

高校では、バスケットボールや陸上・バレーなどのクラブに所属し、ほかに特別なことはしてませんでした。ただ、今でも印象に残っていることがあります。それは、「日本の文化について教えて?」と友人から聞かれた際、自分がうまく答えられなかった体験です。当時は、海外で生活しているだけで自分は十分国際的な人間だと、単純に思っていました。しかし、自分の国について、相手に納得のいくような説明が碌にできないことに気づきました。そのとき、こんな自分が国際人なんていえるのかと疑問に思うようになったんですね。そして、日本の文化についてもう一度勉強し直すためにも、日本の大学に行くことを決めたんです。京都の大学を選んだのも、日本の文化を最も身近に感じ学べると思ったからです。

―帰国して大学生活を始め、最初にやったことは?

最初、外国人観光客に無料で観光案内する学生ガイド団体に入りました。しかし、日が経つにつれ、観光情報を教えることが果たして自分のやりた いことだったのか。そんなことよりも、日本人の心、文化といったものを、外国人が本当に納得するような形で伝えたかったのでは、と感じるようになりました。日本人の心とは何なのか。それを探し出すために、書物を読んだり、和の文化に詳しい人たちから話を聞いたりしました。

―「京都文化博覧会」を思いついたのは?

勉強をしていくにつれて、日本人の心について他の人たちにも興味を持ってほしい、「日本の文化って本当は格好良いんだな」と皆にもわかってほしい、と強く思うようになりました。こうした願いを実現するため、「学生ガイドコンペティション」の主催を経て、今年、25人の仲間とともに、2万人規模の参加者を目指す「京都文化博覧会」を主催することになりました。日本の文化を世界に発信するためのイベントですが、外国人だけでなく、日本人にも興味を持ってもらえたら最高だと思っています。

イベントを主催する上で、常に”What”ではなく”Why”を参加した人たちに伝えられるように心がけています。たとえば、この寺は誰がいつ造ったのかという”What”を伝えたいのではなく、どういう理由でこの寺をつくったのかという”Why”を伝えられるようにしたいのです。”What”を伝えることは比較的簡単です。しかし、”Why”を伝えるには奥行きのある理解が必要で、生半可な知識ではできません。他にも、イベントでは、日本の庭園はなぜ西洋のガーデンと違うのかなど、寸劇で面白く伝えたいと計画しています。

―将来は、何を目指しているのですか?

将来の夢は、日本の広告塔になることです。新渡戸稲造が「武士道」を書いて日本の文化を世界に発信したように、何らかの形で世界中の人たちに日本を知ってもらうのが夢です。

―最後に、後輩へのメッセージをお願いします。

思いついたことは、何でもチャレンジしてください。そして、挑戦するからには一所懸命に!!

インタビューアから一言

話を伺っていて、久保さんの行動力や、自分と同じ目標をもった仲間と出会いがうらやましいと思った。しかし、その仲間というのは、久保さんが様々なイベントに参加したからこそ、出会えたものなのだ。出会いというものは、待っているものではなく、見つけ出すものなのだろうと、素直にそう思えた。久保さんの今後の一層の活躍に期待したい。
 
  中村正太郎。1987年兵庫県生まれ。4歳から6歳まで香港に滞在。帰国し、沖縄で2年間過ごすが、8歳の時再度香港に渡りインターナショナルスクールに通う。小学校6年の秋に帰国し、東京で中学校3年の春まで過ごす。その後、ニュージーランド(オークランド)、そしてオーストラリア(シドニー)と2年間づつ滞在する。卒業後帰国し、現在京都大学経済学部2年生。大学では、日置ゼミ(経営戦略)、サッカーサークルに所属。