活動報告 vol.4 Y.A.


今回は、早稲田大学法学部のY.A.さんから学生NGOの活動報告です。学生NGO「橋(チャオ)」(qiao)は、現地NGO「家」(JIA)と協力しつつ、中国広東省、湖南省、広西省にあるハンセン病回復者が暮らす村でボランティア活動をしています。チャオはもともとサークルではなく、WAVOC(早稲田大学ボランティアセンター)のボランティア・プログラムの一つでした。そのハンセン病支援プログラムに参加していた私たちの先輩が、この活動をより広げていこうという志のもとに、集まって作られたサークル・学生NGOだそうです。

Y.A.さん。1986年京都府生まれ。中学2年まで日本で過ごし、その夏に渡米。カリフォルニア州サンディエゴ・アーバインなどに滞在し、高校2年の年に一時帰国。その夏、再び渡米。帰国後、早稲田大学法学部に入学、現在2年に在籍。学生NGOチャオに所属。

活動報告



私がボランティアに参加したきっかけは、大学時代に「こんなことやったんだ!!」と誇れるような活動をしたかったからです。高校時代に、特に目立った活動ができなかったので、大学に入ってから「何かしたい」と強く思うようになったのかもしれません。また、様々な種類の活動のなかでボランティアを選んだのは、自分のためにもなり 誰かのためにもなる活動がしたいと考えたからです。ただ、ボランティアになじみがなく、ボランティアに対して偏見を抱く人も多いのが事実です。けれど、アメリカ時代の友達がボランティア活動をしていたこともあり、私は特にボランティアというものを身構えて考えていませんでした。そのことも、この活動に参加するのをためらわなかった大きな要因だったと思います。

私が参加している学生NGO「橋(チャオ)」(qiao)は、現地NGO「家」(JIA)と協力しつつ、中国広東省、湖南省、広西省にあるハンセン病回復者が暮らす村でボランティア活動をしています。チャオはもともとサークルではなく、WAVOC(早稲田大学ボランティアセンター)のボランティア・プログラムの一つでした。そのハンセン病支援プログラムに参加していた私たちの先輩が、この活動をより広げていこうという志のもとに、集まって作られたサークル・学生NGOだそうです。

中国でボランティアしていると聞いても、どんなことをしているか想像がつかない人が多いのではないでしょうか。村では、施設が老朽化していたり、不十分だったりするので、施設の建設・補修をしています。具体的には、キッチン・トイレの設置や屋根の補強、場合によっては道路建設などを行います。その他に、村人と話したり、村人・キャンパーが一緒にパーティーを企画したりしています。

私たちは学生NGOであり、お金もなく、作れる施設もたかがしれています。立派な施設を作るにはお金が必要になりますし、それが一番の目的なら学生NGOが活動する必要はないでしょう。けれど、チャオの活動には、お金をあげたり、ものをあげたりするだけのボランティアにはない良さがあります。学生であるからこそ、村人から要望を直接聞き、その要望に沿ってフレキシブルにキッチンやトイレの建設することができます。このような施設建設のやり方は、政府の国際開発援助・大規模なNGOにはできないのではないでしょうか。

また、村人の中には政府を嫌っている人もおり、たとえ政府の役人が村を視察にきても心を開くことはないでしょう。しかし、村人は私たち学生に実の孫のように接してくれます。私たちが彼らと話すことで 少しでも心の傷を癒せたらと考えています。

さらに、私たちがハンセン病回復者の村を訪れたことによって、現在中国政府がハンセン病回復者に対する対策を講じ始めています。このような村人との心の交流・差別の存在を社会に伝えられることが この活動のもっとも大きな意義ではないでしょうか。ハンセン病は、昔の日本では『そこに確かに存在するのに気づかれていない差別』でした。そして、それは中国でも同じです。私たちが、中国のハンセン病回復者村に行くことによって、『差別』が存在することを、周囲の人に知らせることができれば幸いだと思います。



この活動を通して個人的に感じたことは、数え切れないくらいあります。しかも、その多くは言葉にすることが難しく、ほかの人に伝えたいのに上手く伝えられないもどかしさを感じています。日本で生活していると、3週間なんてあっという間なのに、このキャンプに参加していると、3週間はすごく濃く、鮮やかです。この期間のことは、ずっとずっと、どれだけ年をとっても鮮明に覚えているに違いありません。

最後に、この活動に参加している私たち自身も、無意識のうちに誰かを『差別』してしまっていることが多いと感じます。確かに、『差別』をなくすことは難しいのかもしれません。けれど、少しでもハンセン病問題に取り組んだ人間としては、今私たちの社会に存在する『そこに確かに存在するけれど気づかれていない差別』と向かい合わなければならないと感じています。