海外生活体験者・学生インタビューvol.10


新村暁さん。1984年東京都生まれ。幼稚園時に香港に渡り、以後、高校卒業まで現地で過ごす。帰国後、立教大学経済学部経済学科に入学し、世界経済学を専攻する。現在4年に在籍。外資系投資銀行に内定している。

―ずいぶんと長い間海外生活を過ごしていましたが、いかがでしたか?

とても楽しかった。なんていうのか、日本と比べてしがらみがないように思えたし。でも、僕は小学校の時は日本人学校、中学校の内の2年間は米国系インターナショナルスクール、そして、その後高校卒業するまではヨーロッパ系インターナショナルスクールと、3つの学校に行っていて、それぞれ特徴が違ったから、毎回転校するたびに大変だったことを憶えている。

特に、ヨーロッパ系インターナショナルスクールでは日本人がほとんどいなかったから、嫌でも自分が日本人だってことを自覚させられたし。でも、そのことで、お互い理解しなくてはいけないなってことに気づいて、そのためにはコミュニケーションをとっていくことが大事だってことを学んだよ。

―現地でしか体験できないようなことはありましたか?

ちょうど、卒業間際にSARS騒動が起きて、学校が閉鎖されてしまったことかな。でも、卒業試験が迫っていて、その卒業試験は世界共通のテストだから、延期とかそういう処置がなくて……。初めてだったね、友達に会いたいとか抜きに、学校に行きたいと思ったのは。しょうがないから、あらゆる手段を使って、先生とか友達とかと連絡を取り合ったのを憶えてるよ。日本だと塾とかがあるけど、海外にはないからね。

―どのような大学生活を過ごしましたか?

真面目に、授業は出てましたよ。やはり、授業料を払ってる以上は出席しないともったいないし。その他については、基本自分の中で優先順位をつけて、手を出せるものには手を出すって感じだったな。バイト、ゼミ、インターンって感じで。

ゼミは、うちの大学では2年から取ることが出来て、僕の専攻は世界経済学とかグローバリゼーションだったから、帰国子女もいて、海外の時に雰囲気が少し似ていたし、みんなも仲良かったから楽しかったよ。

あとは、人脈作りに頑張ってたかな。自分勝手な考えだけど、いろんな人と知り合えば、困ったとき助けになってもらえると信じているから、なるべく広く深く付き合おうとしていた。

―就職活動のお話を聞かせていただいてもいいですか?

具体的に、就職を考え始めたのは2年の最後あたりだけど、その時は本当に漠然とした考えで、実際に動き出したのは3年の10月辺りからだね。といっても、最初は自分が何をしたいかもよくわからなかったし、どんな企業があるのか分からなかったから、ネットとか人から話を聞いて、まずは情報収集に努めた。

そして、その年の11月にある外資の銀行でインターンをするチャンスをもらうことができて、そこで5ヶ月ほど働いてるうちに、自分にとっては何がしたいかってよりも、どういう環境で働きたいかというほうが重要だってことに気づいて。その条件に当てはまる企業を探し始めたら、自然と限定されてきて。そして、その条件にあってる企業を片っ端から受けることに決めました。

―その条件とはなんですか?

「海外で働きたい」「英語を使いたい」「様々な人に会いたい」の三点で、この条件に当てはまるのは、ほとんど外資か、総合商社か、大手メーカーぐらいだけど、逆を言えばこの条件さえ当てはまれば、どんな業種でもよかったから、とりあえず数を受けてみることにした。結局エントリーだけなら、40社ほどしたのかな。

そして、面接を繰り返していくうちに、一つ最終面接まで残ることができて、さらにその最終面接でも人事権を持つ人とまで話すことができて、「あ、これはもう受かった」と思ったんだよね。周りの就活生と喋ってても、部門長と面接した人はほとんどいなかったし、個人面接に進んだ人でも、人事権を持つ人と話すことできたのがいなかったから。もう受かったら、就活を辞められると、すごい浮かれていたな。でも1ヵ月後、その企業からの返事は不採用だったんだよね(苦笑) もう、本当に落ち込んで、自分が甘かったってことを思い知らされた。

―その「甘い」とはどのような意味ですか?

例えば、受かるために結構平気で嘘をついてたところがあったんだけど、でもそういうのって意外とばれていて……。だから、この後からは正直に素の自分を見せて行かなくてはと思うようになった。

後に幾つか内定をもらえるんだけど、僕はその度に「損はさせません」って言ってたんだよね。これは、企業と自分を対等の立場に置きたくて言ってたんだけど、受かるために自分の言いたいことを言わないってのは、やっぱりおかしいなと思うようになったから、言いたいことがあれば必ず言うようにしていた。

―その後どうなりましたか?

就活を続けていたら、3月に外資系企業2社から内定をもらって、2ヶ月間ずっとどっちにしようか悩んでいたね。その間にも、日系の企業とかも受けていて、いくつか内定をもらえそうになったけど、最終的にはその3月に内定をもらった外資系企業に行くことに決めたよ。

―どのようにして決断したのですか?

最後は、その企業の人事部で僕の採用を決めた人が、「色んな企業を見て回って、その中からうちを選んで来て欲しい」って言ったことかな。後は、この会社なら自分は楽しく仕事ができると思えたから。

―帰国子女として、就職活動をしていて何かメリット、デメリットとかありましたか?

僕は、有利だと思ったね。留学経験者は多いけど、帰国子女は数があまり多くないし、やっぱり外国語が喋れるし、見る目が広いと思うから。でも、相手からしたら、それほど変わりがないのじゃないかな。やっぱり、素の自分で勝負することになるから。

あ、でも少しイラッとしたのは、「日本語は喋れるの?」って聞かれたことかな(笑) でも、それも「日本の大学に問題なく通っていたから大丈夫です」って言ったら、向こうも理解してくれたし。

―これから就職活動をする学生に、何かアドバイスがあればお願いします

優先順位をつけることが大切なんじゃないかな。僕の場合は、さっき言ったように環境が一番大事で、最後までそれはずらさなかったし。だから、自分にとって何が一番大事なのかをはっきりさせて、惑わされずにそれを貫けばいいと思う。後は、素の自分をさらしていくことと、言いたいことをはっきりと言うことかな。

―将来の目標とかありますか?

色んな国に行きたいね。後は、就職してもON/OFFを使い分けて、自分のライフスタイルを崩したくはないな。そして、もし可能ならば香港に戻りたいかな。日本とそこまで生活スタイルが変わらないし、やっぱり香港は自分にとって特別な場所だから。

インタビューアから一言

新村さんには、主に就職活動のお話を聞かせてもらったのですが、自分のことをしっかり把握していると感じました。それは、自分の長所ばかりではなく、短所も理解し、どうしたらそれを長所に変えることができるか考え、そして努力を重ね、その努力が多くの内定をもらうという結果に繋がったのではないかと思いました。

内藤健吾。1986年東京都生まれ。5歳のときに、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコに移住し、11歳まで過ごす。帰国後、中学時代まで東京で過ごすが、高校1年の夏に、再びサンフランシスコに戻り、2年間を過ごした後、ドイツ・フランクフトへ。現地のインターナショナルスクールを卒業し、帰国。現在、早稲田大学政治経済学部2年に在籍。政治学を専攻。早稲田大学公認の劇団『てあとろ50(フィフティ)』の幹事長を務めている。