海外生活体験者・社会人インタビューvol.12 ~前編~


J.Iさん。通称Tommy。1972年生まれ。長崎県出身。魚座&B型。高校卒業後、長期アメリカ武者修行に出発。プロレス学校として?有名なWest Texas大学を卒業。帰国後、数回の転職を経て、現在は、ハードコアサラリーマン。得意技:テキサス・クローバー・ホールド。
みなさんの中に、テリー・ファンクという名前の響きに「はっ」とする人はいるだろうか。彼は‘80年代に日本で絶大な人気を誇ったアメリカのトップレスラーであり、実は「キン肉マン」の人気キャラ「テリーマン」のモデルにもなっている、まさにプロレス界の偉大なるリビング・レジェンドである。

僕も高校の時分に、何度も拳を握り締めながら、ビデオの中の彼の雄姿を拝んだものだ。テリー・ファンクは僕にとって、神話の神さまのような存在である。そして何を隠そう、今回のインタビューに登場していだだくのは、そのテリー・ファンクに憧れてなんのツテもなくたった一人で海を渡り、なんと息子と呼ばれるまで仲良くなってしまった人物である!

指定された場所に行ってみると、彼は後楽園ホールの明りに照らされて立っていた。

単身、アマリロへ

―単刀直入ですが、アメリカ行きの飛行機に乗っているときはどんな気分でしたか? たった一人で初めての海外生活。しかも、アマリロって、普通、日本人が暮らしに行くような場所ではないですよね。不安はなかったのですか?

恐いもの知らずだから、不安よりもワクワクだったね。テリーが暮らしているアマリロ(テキサス州)に行きたくて、行きたくて仕方がなかった。

―当時は情報網もそんなに発達していなかったと思うのですが、日本にいるときに現地の情報はどの程度用意されていたのですか?

入学する学校(注:もちろん、テリー・ファンクをはじめとして、数多くの有名プロレスラーが通った、プロレス界では言わずと知れた学校である)のこと以外は、なんの情報もなく行った。前もって計画するのが嫌いなもんで、とにかく行き当たりばったりのワクワクさがよかった。不安はなかったねえ。なにしろ、情報は全くないけどよく知ってる町だもん。プロレスの雑誌や本でテリーが語っているのを、子供のころから何度も何度も繰り返し読んだんだからね。

―実際に町に住んでみて、いかがでしたか?

なんと言ったって夢の町に住んだのだから。何をやっても楽しかったね。だって、子供の頃から憧れに憧れた町に住んでいるんだよ。プロレスの聖地アマリロにいることだけで、生活のモチベーションになった。アマリロに骨を埋めてもいいと思った(笑)

テリーとの出会い

―いやはや参りました。しかし、まだ肝心のテリーには会えていないわけですよね。テリーと言えば牧場というイメージがあるのですが、そこへ訪ねに行かれたのですか?

まさかそんな恐れ多い! そりゃ、俺が通っている学校の真横がテリーの牧場だったよ。行こうと思えば行けなくはないけど、そんな軽々しいことじゃない。この地域で日本人はかなり珍しいからね。興業に何度も足を運んだり、サイン会に何度も顔を出したりしているうちに顔を覚えてもらって、「家に遊びにおいでよ」ってサイン会の机に(笑)地図まで書いてもらったけど、それでも尻込みしてしまった。それくらい偉大な人なんだよ。テリーたちが通った大学で勉強しながら、サンアントニオやヒューストン、ダラスに車を飛ばして、プロレスを観戦する日々が何年も続いた。

―そしていよいよ「出会い」ですね?

まぁ、まぁ、そう焦らずに(笑) アマリロっていうところは、それこそカウボーイやカウガールばかりが暮らしていて、西部劇の舞台のような、それこそなーんにもないところなのよ。そんな田舎に日本人の学生がたった一人でやってくると、現地の人にしたら「なんでこんな辺鄙な所にやってきたんだ?」となるわけでしょう? だから俺は聞かれるたんびに答えてたのよ。「プロレスとテリーのことが子供の時から大好きだから来たんです」と。そういうわけで、このことは大学では有名な話になってた。

ある時、クラスメートの女の子が、「クラスの課題で記事を提出するから、ぜひあなたの話を書かせて欲しい」って相談に来たので、快く承諾した。そうしたら、あんまり記事の出来がよかったもので、地元新聞の一面に掲載されることになったんだ。一面にするなら写真を撮らなきゃということで、やがて俺の家に、「テリーとのツー・ショットを撮影したいんだけど」っていう電話がきたのよ。

俺は一瞬頭が真っ白になったねえ。そして俺は、女の子とカメラマンと3人で、ついに夢にまで見たテリーの牧場に、初めて足を踏み入れたんだよ。牧場では、テリーと奥さんが俺たちを笑顔で出迎えてくれてね、そして、俺のことを見たテリーが最初に言った言葉……(噛みしめるような沈黙のあと)「やあ、よく来たな。やっぱり君だったか」。

―覚えていてくれたんですね! それまでに、何年も何年も、会いたくて堪らない気持ちをお持ちになっていたわけですから、感無量でしたでしょうねぇ……。

きみの憧れの人は?(ゴジラ松井選手です)じゃあ、想像してごらんよ。例えば松井選手の自宅に招かれたとして、松井選手がきみの隣で野球の話を……(はぁ、もう喜びでチビッちゃいます絶対!!)

テリーの家にはね、バーカウンターがあってね、テリーは僕らの横に座って、ちょうど日本から届いたプロレス名鑑を一ページ一ページめくりながら、「こいつと試合したときはこうだった」とか、「こいつとはよく酒を飲んで暴れた」とか、「あいつとはよく控え室でケンカをした」とかいう裏話をしてくれてさぁ。ほんと至福の夢のような時間だった。(二人ともしばらく感慨にふける)

(編集者注:ちなみに、この運命の出会いのストーリーは、プロレス・エッセイ本や、テリーの自伝などで活字化されています。) 後編はこちらから>>

古谷博行。1983年広島生まれ。小学校4年生からカリフォルニアに暮らし、中学校2年の春に日本帰国。中学校卒業と同時にドイツ・フランクフルトに渡り、当時深夜に放送されていたプロレスに感銘を受ける。その後、大学受験にあわせて帰国。東京大学文科Ⅰ類に合格。現在、教養学部後期過程文化人類学4年生。ザ・ロックのマイク・パフォーマンスがどうしても忘れられないクチである。今回のインタビューの最中は、とにかく写真のような驚愕の表情を連発していたに違いない。