海外生活体験者・社会人インタビューvol.13


セルゲイ・サボチェンコさん。ウクライナ生まれ。国立モスクワ・バレエ・アカデミー(ボリショイ・バレエ学校)を卒業後、オデッサ・バレエ団(ウクライナ)へ入団し、その後、モスクワ・フェスティバル・バレエ団、オーストリア・グラーツ、ドイツ・ハノーバー州立劇場などで、主役を踊るプリンシパル・ダンサーとして活躍。イタリア、イギリス、フランスなどで、ゲスト・ダンサーとして数多くの舞台に出演し、‘02年日本に招待され、現在、NBAバレエ団プリンシパル・ダンサーとして、また、全国各地バレエ・スタジオのゲストや講師として活躍中。‘95年パリ国際バレエ・コンクール、‘96年ヘルシンキ国際バレエ・コンクール、‘97年ブタペスト・ヌレエフ国際コンクールのファイナリスト。レパートリーは『白鳥の湖』『ドン・キホーテ』『ロミオとジュリエット』など多数。

―バレエを始めたきっかけはなんですか?

5歳のときから、体操、水泳、柔道、バレエを習っていました。当時は、こういった習い事は全部無料で受けられたんです。その中でもバレエを選んだのは、もともと母親がバレエ好きだったし、教えてもらっていた元キエフ・バレエ団ダンサーの先生が、モスクワのバレエ学校に連れて行ってはどうかと母に薦めたんです。

―なぜ外国のバレエ団に移ったのですか?

ロシアで働くことも楽しかったですが、ヨーロッパのバレエがどういうものか見て体験してみたいという思いがあったので、海外に行くことを決めました。

―日本に活躍の場を移されたのはなぜですか?

ドイツのバレエ団で踊っていたとき、ディレクターがかわってモダンダンスに移行することになり、クラシック・バレエ・ダンサー45人全員解雇されたんです。これはドイツのシステムだからできることでしょうね。新しいディレクターは、方針に合わせて団員を入れ替えることができるんです。

その後はゲスト・ダンサーとしてヨーロッパ各地で踊り、コンクールにも出場しました。しかし、この時期はとても大変でしたね。常に自分でレッスンできるところを見つけ、フォームをキープしたり、次の公演依頼を待ったり……。そんなとき、ドイツのバレエ団で一緒だった日本人ダンサーに、日本でのガラ・コンサートに男性ダンサー1人必要だから、ぜひ来ないかと誘われたんです。こういうことも起こるんですね。

でも、簡単そうに見えますが、当時はすべてが困難な状況でした。もし、彼に誘われていなかったら……と思うと、本当に運がよかった。日本の先生に、そのまま働きたかったらいてほしいと言われて、今に至ります。

(インタビューア注:「ガラ・コンサート」とは、いろんなバレエ作品のなかの有名なソロパート、パ・ド・ドゥ(男女2人での踊り)の部分を、それぞれ選んで次々踊っていくという形態のコンサートです。よって、ストーリーは全くありません。いいとこ取りの、ダンス競演のようなもので、『白鳥の湖』や『眠りの森の美女』、『ドン・キホーテ』などの全幕バレエから選んだ踊りに人気があります。)

―外国語で苦労したということはありませんか?

オーストリアでは、初めは英語を使っていましたが、それから少しずつドイツ語を話せるようになりました。英語も自分で勉強していただけですが、特に大きな問題はなかったです。日本でも、最初は英語で話していました。それに、NBAバレエ団のロシアに留学していたひとたちがいつも助けてくれるので、ここでも特に問題は感じませんね。妻は日本人ですが、ロシア語が話せますし。

―日本ではどのような働き方をしているか、教えてください。

レッスンとリハーサルの繰り返しです。発表会や公演は年によって異なりますが、去年は55回出演しました。(海外に比べて、少なくないですか?)そう思うでしょう? でも、1回の発表会に、10回のリハーサルをするんですよ! 55回の発表会だと、550回のリハーサル。1年は365日ですから……ね? かなり多いくらいです(笑)

毎日レッスンとリハーサルで、基本的に休みはありません。土曜・日曜日も私にとっては他の曜日とまったく同じです。でも、出演するかしないか、休むか休まないかは、自分で決められます。そこは気に入っています。国立バレエ団などではできないことですから。

―日本での生活は大変ですか?

時々大変なこともありますが、すごくおもしろいです(笑) ゲストとして来る海外ダンサーとよく話しますが、日本での働き方はまったく理解できないと皆言います。それだけ、ここは大変なんです。それでもここで働き、踊っていられるのは、好きだから。もしそうでなければ、働けません。

―好きというのはバレエが? あるいは日本が?

全てです。バレエも、日本も。小さいレッスン場も、湿気の多い暑さ、食事、ここでのバレエのシステムも含めて、すべて好きでないとできません。これがおそらく一番大切なことです。

―日本で一番好きなところはどこですか?

北海道から沖縄まで、日本中訪れましたが、どこも好きです。もちろん東京も。日本というのは、バレエ・スタジオが全国各地にありますからね。男性ダンサーは、よく発表会のゲストとして踊るので、あちこちに行かなければならないんです。だからこそ、日本では本当に多くの役を踊ることができます。主にクラシック・バレエの役ですが、海外では踊ることのないような役を、日本では踊らせてもらえるんです。とても面白いでしょう?

―どの国が一番よかったですか?

どこもよくて、どこも大変でした(笑) たとえば、オーストリアでは環境はよくても、まだ若くて経験がなかった。ドイツではもっと踊りたくても、公演数はすでに決められていて、バレエ団に常にいなくてはならないから、ゲストとしては踊れないとか。だから、どこにしても、何かはよくて、何かは悪い。一番というのは決めがたいですね。重要なのは、自分自身がどうなのか。自分は何がしたいのか、ということです。

―日本語は勉強中ですか?

外国人にとって、日本語というのはとても難しい言語です。特に語学学校などに行っているわけではないので、日々の生活の中から習得するのは大変ですが、これからも日本に住み続けたいと思っているので、少しずつですが頑張って覚えようとしています。

―将来の夢を教えてください。

バレエ・スタジオを開くことです。今は教えることや振り付けもしていますし。子供を育てることにとても興味があります。

―バレエを見たことがないというひとが日本にはたくさんいますが。

確かに、チケットが高いということもあるでしょう。でも、だからと言って、見る人が少ないというわけではないんです。この冬も、世界トップクラスのバレエ団が次々来日公演を行っていますが、席はほぼ埋まっていますからね。ただ、バレエを知らない人たちに対しての宣伝が必要なのだと思います。バレエってどういうものなのかとか、日本のバレエ団などは特にね。そう思います。

(編集者注:インタビューのほとんどはロシア語で行われました。翻訳はインタビューアの伊東裕子によります。)

最後にメッセージをいただきました。

最近では、テレビのCMなどでバレエのシーンが流れたりしていますが、一般の方々にとって、いまだに“別世界”というイメージが強く、なかなか舞台に足を運んでもらえないのが現状ですが、これから先、もっともっと多くの方が、ライブに行くような感覚で気軽にバレエを観にいらしていただけるようになってほしいです。そのためにも、これからもバレエの普及に努めたいと思います。

インタビューアから一言

バレエダンサーという特殊な職業ではありますが、どんなに大変であったとしても、やっぱり「好きだから」と思える道に進むべきではないかという点では、どの職業でも同じであって、とても大切なメッセージをいただきました。そして、そう思わせるほどのバレエの魅力は、一度劇場に行って見てみるとわかると思います! サボチェンコさんは、長い手足、洗練された仕草、軽い足取り、どれをとっても美しく、舞台の上ではもっと輝くのだろうなと感じました。これからの活躍を期待しています!!

伊東裕子。1984年愛媛県生まれ。8歳から11歳までバングラデシュ・ダッカで過ごし、中学2年までタイ・バンコクに滞在。その後、ロシア・モスクワで6年間過ごす。日本ではボリショイ・バレエ学校として知られるモスクワ国立舞踊アカデミーを卒業後、フランス・パリのソルボンヌ大学付属講座に学び、 '05年日本に帰国。現在上智大学法学部国際関係法学科2年に在学。