海外生活体験者・社会人インタビューvol.21 ~前編~

interviewee_s_50_profile.jpg 水野雄太さん。1978年生まれ。小中と愛知県で過ごし、中一の冬から単身で6年間ニュージーランドへ。帰国後は、上智大学比較文化学部(現国際教養学部)で学ぶ。在学中に起業するが、大和証券でサラリーマン生活。退職し、株式会社バイリンガル・パートナーズを起業、2年間代表取締役を勤める。現在はロイター通信に勤務。

―色々とお伺いしたいことは多いのですが、まずは中学一年からの海外生活について、お話し願えますか?

中一までは、地元愛知県の小・中学校へ通いました。しかし、親の教育方針から、ニュージーランドのクライストチャーチというところへ、中一の冬に単身で行き、現地の学校の寮に入りました。1000人規模の男子校なのですが、寮は10人部屋、2段ベッドで、プライヴァシーの欠片もない。おまけに男だけなので、ヤンチャな奴ばかり(笑)

そんな環境のなか、当時英語も喋れなかったため、他の人より知らなくちゃいけないことが多く、色々と苦労しました。まず、宿題として何をすればいいか分からないし、それを誰に聞けばいいのか、それすら分からない。とにかく、黒板に書かれるものを全部必死にメモしました。そして、寮に帰って、ジェスチャーで質問して宿題をやっていました。

海のど真ん中にポトンと落とされて、陸へ戻って来い!と言われているような状況でした。急いで陸地に着かなくてはいけない分、最短距離で英語を学んだという自負はあります。とにかく必死で早く岸に着くために、必要なものだけを最優先で吸収し、英語を学ぶことができました。

―その状況では、かなり逞しくなられますよね。

かなり打たれ強くなりました。当然男同士だし、喧嘩もするし、人種差別も当時からありました。現地のプライドが高いお坊ちゃまばかりだったので、アジア人に対して拒絶反応を示して、攻撃をしてくる人も多かったです。

―やはり、最初は周りと打ち解けるのに、お時間がかかりましたか?

そうですね。そんな中、常に“笑顔でいよう”という、亡くなったお婆ちゃんの助言を守り、心がけました。親もいないし、不安だし、英語だから分からないことも多い。でも、笑顔でいると、雰囲気で自然と人が集まってくるのです。言葉は通じなくとも、数週間で現地の仲のいい友達が出来るようになりました。

―学校では、どのようなことをして、過ごされていたのですか?

学校が広かったので、運動場でサッカーやタッチ・ラグビー、体育館ではバスケットボールをし、夏はプールで泳いでいました。クラブ活動は、夏にバレーボール、冬にサッカーをやっていました。バレーボールは我々の代で全国大会に行きました。といっても、人口400万人の国なので、日本みたいにハイレベルな大会ではなかったです。なにせ人口の十数倍以上、7000万頭(‘93年当時)の羊がいる国ですからね(笑)

―なぜ日本の大学をお選びになったのですか?

実は、ニュージーランドに渡った初日から、日本に帰りたいと思っていたのです。でも、根性で乗り切りました。あと、日本をもっと知りたいという好奇心や、日本語を勉強し直したいという気持ちもありました。上智の比較文化を選んだのは、帰国子女用の日本語クラスがあったからです。英語で経営の勉強をしつつ、必修の漢字の授業も履修していました。

―在学中に、どのような経緯で起業なされたのですか?

いくつかの起業家の書物を読み、起業することに心を惹かれようになりました。就職活動中に出会った東大の学生と意気投合し、会社を興すことになりました。まだ学生であったので、「金ない・人脈ない・知識ない」という状況から、逆算して考え、思いついたのが、「バイリンガルの家庭教師紹介サービス」だったのです。

生徒が来た時点で、家庭教師を紹介し、お金を頂くというシステムだったので、我々には設備投資が必要なかったのです。また、人脈のなさも、周りにいた比較文化学部の帰国子女でカバーしたため、バイリンガルな人材には事欠きませんでした。知識に関しても、「紹介&マッチング」という形態であれば、なんとかできるだろうと思ったので、心配しませんでした。また、この時点でもう一人、大学の同期もウェブ担当者として仲間に加わりました。

3人とも企業の内定は出ていたのですが、将来のために「起業癖」をつけたくて、始めました。事務所も必要なかったので、資金2万円から始めて、60ドルをサーバーの運営費に、あとの残りを使ってKINKO’sでチラシを刷りました。

比較文化学部という、日本でもトップクラスのバイリンガルが集まる学部にいたので、家庭教師は簡単に集まりました。多くのバイリンガルが、自分の能力を活かした仕事を望んでいたのです。ただ、生徒を探すのに苦労し、最初は知り合いからあたって行きました。次第に、ホームページを見た生徒も集まるようになり、緩やかですが、軌道に乗り始めました。起業を通し、お金の産まれ方、マーケティングの方法、収益の仕組み、事務関係等の勉強ができましたね。また、ゼロから何かをクリエイトし、それに結果が付いてくるというプロセスを楽しめました。始めて半年経って、気がついたら銀行には50万円ぐらい貯まっていました。後編はこちらから>>

interviewer_s_39_profile.jpg 元重慎太郎。1986年東京都生まれ。小学校1年生から5年間をアメリカ・アトランタで過ごす。中高6年間を東京で過ごした後、早稲田大学国際教養学部へ入学。2年次に交換留学で、アメリカ・カリフォルニア州にて、一年間映画を専攻。帰国し、現在は3年に在学し、就職活動中。