海外生活体験者・学生インタビューvol.23 ~前編~

interviewee_s_55_profile.jpg 松倉悠介さん。1985年東京都生まれ。3歳からインドのニューデリーに滞在し、6歳の時に一旦帰国。12歳の時にヒューストンに渡米し、ストラットフォード高校に通う。高校では、バスケ部とサッカー部に所属。18歳の時、大学受験を機に帰国し、慶應義塾大学経済学部に入学。大学では、高校生の交換留学を中心に国際教育交流活動を行う留学団体AFSと、楽籠バスケットクラブに所属する。学業では、武山政直ゼミにおいて、中央公論社東京2時間ウォーキング、ワンセグエリア型放送、東京電力単身高齢者のためのICT活用法など、多数のプロジェクトに従事。2008年度4月より、三菱商事に勤務。

―海外ではどういった生活を送られていましたか?

中学、高校時代を過ごしたヒューストンでは、バスケ部とサッカー部に打ち込んでいました。「人種のるつぼ」と言われる米国には、本当に様々な人種がいたことが記憶に残っています。サッカー部では、12ヶ国もの国々から来た人々と一つになり、チームをまとめなければならなかったため、とても大変でしたが、非常に良い経験になったと思います。今思えば、そこで違う文化や考えを持つ人々と協力し、何かを達成する楽しさを知ることができたのだと思います。

ただ、そのような環境で過ごす中で、自分の中の日本人としてのアイデンティティが不明確になっていたのも事実です。よりよく「日本」というものを理解し、「日本人」というアイデンティティを再確認するために、大学の進路決定の際に帰国を決意しました。 

―帰国後の生活はどのような感じでしたか?

帰国後は、河合塾の帰国コースで受験対策をした後、慶應義塾大学経済学部に入学しました。大学では、高校生の交換留学を中心に国際教育交流活動を行う留学団体AFSに一年次から所属し、楽籠バスケットクラブというバスケサークルにも所属していました。

個人的にカルチャーショックだったのは、バスケサークルでの考え方の違いです。ヒューストン時代のバスケ部では、いかに個人技でアピールするかが重要でした。Varsity(学校代表のチーム)に入るためには、freshmen時からチームの中でアピールしていかなければならなかったため、必然的に個人プレーに走らなければなりませんでした。他方、日本では個人プレーよりもチームワークが圧倒的に重要視されていました。プレー以外の面でも、先輩との普段の接し方一つとっても、やはり日米間には価値観の違いがいくつかあったのを覚えています。気を遣ったり、戸惑ったりすることもありましたね(笑)

―大学での活動として、AFSにも所属していたとのことですが、そこでの活動はいかがでしたか?

実は、留学生支援のAFSでの活動の方がバスケよりもメインでした(笑) 海外から日本に留学する高校生の日本での暮らしを支援することが、僕たちの主な活動業務でした。具体的には、日本で暮らしていく上で重要となるTIPSを、3泊4日のオリエンテーションなどを企画して、教えたりしていました。例えば、直接表現を避けるといった抽象的なものから、お風呂はシェアして入るものだというような些細なことまでです。

私が今までのAFSの活動の中で最も有意義に感じた瞬間は、アジアから奨学金を受けて来日してきた学生が、一ヶ月日本に滞在した後、日本で学んだことを母国のインドネシアやフィリピンの未来にどう活かすかというスピーチを聞いたときでした。自国の発展のために必死に努力していくであろう、未来ある高校生たちの力になれたということに、何故か強い感動を覚えました。

大学卒業後は、外資系企業で就職することも考えていましたが、彼らの母国を愛する姿を見ていると、私も日本という国の力になりたいと思うようになりました。日系企業に勤め、そこから世界の発展に寄与していこうと決意するに至りました。

―将来の夢、またはこれからどういったキャリアを築きていきたいとお考えですか?

夢は「パイオニア」になることです。未開地を切り開くパイオニアでも、新たなビジネスモデルを作るパイオニアでも、何でもいい。

一つ目のGeographicalな点では、何もないところに何かを作ってみたいと考えています。例えば、アフリカの未開地で発電所を作ります。そうすると、そこに行くまでの道が必要となる。人が増え、町が発展し、食料や衣服の需要が増加します。そういう意味で、発電所やプラントを作るということは、商社の持つ様々なビジネスの一番初めに存在するものなのかなと。端的に言えば、このように「社会を切り開く」業務に携わっていくのが夢です。

二つ目の、新たなビジネスモデルを切り開いていく点としては、排出権事業やヘルスケア事業など、これから社会的要請が強まるであろう分野で、新規ビジネスモデルを大成させたいと考えています。そういう点で、私が来月から入社する三菱商事では、インフラ・プラント開発、もしくは、イノベーション事業に携われればいいなと考えています。それ以外だったら凹むなあ~(笑)後編はこちらから>>

interviewer_s_43_profile.jpg 西堀裕二郎。1985年千葉県生まれ。5歳から10歳まで米国のハワイ州、ホノルル市に滞在し、4年半過ごした後、一旦帰国。14歳の時に、今度はイタリアのミラノ市へ。American School of Milan高校を首席卒業後、日本の大学受験を機に帰国し、現在一橋大学商学部経営学科4年に在学。大学ではCANNONテニスサークルに所属し、財務会計と企業価値評価・分析を専攻。‘07年1月には学内のGoldman Sachs Global Leaders Programにノミネートされ、同年2月にはFRI&Associatesが主催するFRI Winter Camp 2007に参加。’08年3月に「日経STOCKリーグ」の大学部門で優勝。学外では、日系投資銀行や外資系投資銀行、日系シンクタンクでインターンを経験。卒業後は、某証券会社のリサーチ部門で証券アナリストとして働く予定。