海外生活体験者・社会人インタビューvol.23~第1編~

interviewee_s_56_profile.jpg T.Kさん。1976年佐賀県唐津市生まれ。茨城県つくば市で育つ。中学2年の夏に家族でフィジーへ。4年弱を過ごした後、単身イギリスへ渡り、パブリック・スクールに通うも、3ヶ月で退学。その後、日本へ帰国し、高校2年の3学期から、神奈川県の高校へ編入。一般入試で一橋大学社会学部入学。卒業後は電通に就職。現在はTVブロス編集者。

若林(以下W):こんにちは。よろしくお願い致します。
T.K(以下K):いえいえ、こちらこそ。何を話せば良いんですかね?
W:あ、あの、突然ですが、野豚狩りについてお伺いしても良いですか?!

野豚と、巨大ウナギと、コウモリと。

W:あの、フィジーで野豚を狩っていたっていうのは……?
K:あぁ、狩ってましたねぇ。巨大ウナギも捕まえてましたよ。2メートルくらいあるやつ。
W:え?! デカッ!
K:いや、ウナギが食べたいって思った時期が凄いあって(笑) で、村の人たちと大ウナギを取りに行ったんですよ。でー、網持ってくのかと思ったら、鉈持ってって。何すんのかっつったら、ウナギがビシャァ―――ッ!!ってなったら、その鉈で戦って、ズタボロにして勝つ! みたいな。
W:こ、怖いっ!!
K:ハハ。で、そのボロボロになったウナギを担いで帰る。
W:それは、ぶつ切りにして食べるんですか?
K:いや、向こうはなんかボイルして食べるんですよ。で、ウチは、やっぱり蒲焼にしてみたりとかして。
W:美味しかったですか??
K:いやっ。チョー不味かったすよ。まず、泥抜きが出来てなくて臭い。皮が厚くて、骨がひどくて、味も大雑把で、食えたもんじゃないですね。
W:えっ、凄い。野生ですね……。それは、中高の頃ですか?
K:そうですね、中高の頃。
W:野豚を狩ったのも?
K:中高。野豚ばっか捕まえてましたねー(笑)
W:野豚って、その辺の森とか草原とかにいるんですか?
K:ええ、家の近くに。
W:それは、何で捕まえるんですか? や、槍じゃないですよね?
K:トラップですね。
W:罠を仕掛けるんですか。
K:餌置いといて、近寄ったらガシャンッ!!って。
W:その罠は自分で?
K:罠ね、売ってるんすよ。
W:凄い。皆獲るんだー(笑)
K:皆獲りますよ、一番のご馳走ですからね。あとね、何獲ったかなぁ……、あ、コウモリ!(笑)
W:洞窟かなんかでですか?
K:いやいや、あんな小っちゃいのじゃなくて、デッカイの。狐みたいな顔した、果物食べる、フルーツ・バットってやつ。
W:それは、害獣だから駆除のためなんですか、それとも。。。
K:いや、食べるために。コウモリって結構美味しいんですよ~。あとね、フクロウとかね。フクロウは、夜、木にいるところを、懐中電灯を当てると目が眩むから、そこに石を投げて落っことすんですよ。で、それを焼くなり、煮るなりして、食べる。
W:えー、凄いぃー(汗)
K:あっ、あと、マングースとかも喰ってましたねぇ(笑)
W:あわわ。。。それはじゃぁ、イギリスは合わないですよねぇ。。。(笑)
K:まぁ、そうですよねー。ノーシステムの国から、超システムの国に入っちゃったんだから(爆)

最大限の罵倒は「馬鹿!!!」

W:フィジーに滞在後はイギリスとのことですが、そこにはどのくらいいらっしゃったんですか?
K:3ヶ月位ですね。3ヶ月で退学したんですよねー。
W:自主退学ですか?
K:いや、その前にも停学とか色々あったんですけど、最後は先生殴って。
W:えぇ? なんで??
K:なんかパブリック・スクールって、ルールがいっぱいあるんですよねー。裸足で歩いただけで怒られたりとか、髪の毛をちょっと立ててみただけで、その日夕飯抜きになったりとか。だから、結構いましたよ、退学するやつ。まぁ、僕はその時、I-GCSEで途轍もないスコア叩き出して、一応Oxbridgeコースにいたんですけどねー(苦笑)
W:えっ! 凄いエリートじゃないですか?!
K:いやぁ、一番輝いてた時でしたねぇー。でも、ある日、カルチュアル・ファッション・ディみたいな日があって、ふんどし付けようと思ったんですよ。フィジー人に間違われてたから、日本男児たるところを見せ付けてやろうと思って(笑) でも、ダメだとか言われて。
W:あー、下着だからですかね(汗)
K:でも、お相撲さんはしてるじゃないですか。だから、相撲レスラーはやってるぞ、とかいって。で、先生殴っちゃって。でも、その時、途轍もない悪口を日本語で言ってやろうと思ったのか、思わなかったのか分かんないけど、口から出てきた言葉は「馬鹿!!」だったんですよねー(笑)
W:「途轍もない」はずなのに……(笑)

初めての海外体験は「アフガニスターン」

K:僕にとっての「初海外」って、実はフィジーに行く前からあったんですよね。
W:へー、それは、どういう?
K:僕、地元は、筑波研究学園都市なんですよね。それで、結構外国人が多いんですよ。で、隣の席だったのが、H.Aっていうアフガニスタン人の子だったんです。その頃、外国って、アメリカぐらいしか思いつかなかったんですけど、「お前、アメリカ人?」って言ったら、「んんん、アフガニスターン」って。「なんじゃそれ?」って思って。それからずっとHと遊んでたんですけど、消しゴムをいっつも持ってこないやつでね。僕がいつも消しゴムを貸してたんですよ。もうね、今でいうNGOの走りですよ(笑)
W:(笑) あぁ、じゃあ、もう最先端を行ってたんですねー。
K:そうですよ(笑) それでね、その後Hもヤンキーになっちゃったんですよねー。ぼくの妹も、フィジーから帰国後ヤンキーになっちゃったし(苦笑)
W:えー?! 茨城ってそういう土地なんですか? 国籍は関係ないと!
K:そういうこと!(笑) 1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻して、親ソ政権が出来たんですよ。その新政権で働いてたのがHのお父さんだったんです。で、その後、80年代になってソ連の力が弱まって、元々のアフガニスタンの部族たちが内戦を勃発させるわけですよ。ソ連を追い出せー!って。そこで追い出されたのが、H一家なわけですね。
W:なるほど。亡命して来たと。
K:そうそう。
W:はぁあ、ストーリーがある……。
K:そう、で、Hと仲良くなったと。Hはアフガニスタン人なんですけど、ちょっとペルシャ系の顔をしてるんですよ。ローマ人の末裔らしいんですけど、アレクサンダー大王がアフガンに侵攻したときの末裔みたいで、結構、西洋的な顔立ちをしてるんです。向こうでもマイノリティーらしいんですけどね。で、あと、これは、僕がフィジーに行った後なんですけど、その後、K・Mっていう、アフガニスタンの女の子もやってきたんですよ。
W:はぁ。
K:で、まぁ、普通同い年で、同じ国の出身の男女だったら、Hとも仲が良くなるだろうと思うじゃないですか? ところが、Hは、「あいつはゲリラの娘だ」つって、一言も口を聞かなかったらしい。それはなぜかというと、親ソ政権がふっ倒れた後に、ムジャヒディン同士の戦いになったんですよ。で、その戦いに敗れた一派がKだったと。Hは、彼女にとって、自分を倒した仇敵ですよね。快く思ってなかったんですよ。そういう、なんかね、今につながる種が、その頃に身近にあったりとかしてね。今、アフガン侵攻で、アメリカがタリバンやっつけたりとかしてるじゃないですか。
W:うんうん。
K:H自身は、骨のあるヤンキーでしたよ。小学校5年だったか、6年だったかのときに、「お前らに見せたい映画があるから来い」って言って。つくばから大分離れた、土浦の片田舎の潰れかかった映画館に連れて行かれて。何の映画かっていったら『ランボー・怒りのアフガン』だったんです。で、ランボーが何かこう、バババババババって戦ってるんですよ。映画が終わった後にHが言うんです。「俺はこういうところから来たんだ」って。「俺は生まれてから周りはずっと戦争だった。途中、アフガニスタンからパキスタンに逃げるときに、ヘリコプターで輸送されたんだけど、ちょっとでも顔を出すと打たれて殺されるからって、ずっとちっちゃくうずくまってた」とか。ヤンキー同士の喧嘩のときもね、自分は戦争経験したから、こんなの屁でもねぇよって。真っ先にわーー―って(笑)
W:先陣切って。
K:そうそう。それから、やっぱ度胸がすわってて。常磐線の駅のホームでね、アナウンスで「まもなく特急列車が通過します」って言った途端に、線路に下りたりとかしてて(爆)
W:度胸試しですか?
K:そう。俺はこんなに度胸があるんだぜ!って見せ付けてくるんですよ。
W:それは、小学校のときですよね?
K:そうですね。だから、Hっていったら、戦争ってイメージですねぇ。彼はハードガイ、みたいな。
W:いやぁー、それは、海外に行くよりも凄い異文化体験ですね(汗)
K:そうそう。だから、まぁ、それが自分にとっての海外の原点だったりするんですよねぇー。。。第2編はこちらから>>

若林志帆。1986年広島県生まれ。高校2年まで外国とは無縁に過ごす。17歳の冬、無謀にも単身渡英。語学学校を経て、現地の高校へ。ケンブリッジで2年間の高校生活を送り、卒業後帰国。現在は慶應義塾大学法学部政治学科2年に在学中。