海外生活体験者・社会人インタビューvol.26 ~前編~

interviewee_s_63_profile.jpg フィリップ・オステン(Philipp Osten)さん。1973年ドイツ生まれ。外交官の父のもと、世界各国に滞在。中学時代に来日し、慶應義塾大学法学部法律学科へと進学。ベルリン・フンボルト大学法学部卒業。慶應義塾大学とベルリン・フンボルト大学の大学院にて、法律学を研究。法学博士。ドイツの弁護士資格を持つ。現在は慶應義塾大学法学部准教授。専門は刑法、国際刑事法、司法制度論。

―最初に来日したいきさつを教えて下さい。

最初に日本に来たきっかけは、父親の仕事の都合で、家族全員で赴任してきたわけです。父親が大使館の仕事をしていたので。それがもう20年以上前の話ですね。日本で、結局、中・高・大のほとんどを過ごさせてもらいました。高校まではドイツ人学校、そして、大学はドイツのベルリン・フンボルト大学とこちらの慶應大学に行きました。

―それ以前にもドイツ国外に住んでいらしたんですよね?

そうですね。オーストラリアのメルボルンとか、ハンガリーのブダペスト、旧西ドイツの首都ボン……、そこで生まれました。本当はカメルーンで生まれる予定だったんですけど、衛生状況がよくなかったので、生まれる直前に母親がドイツに戻ったんです。親が外交官をしていた関係で、ドイツにはそれほど長く住んだことはなくて、むしろ、他のいろんな国を転々と周っていました。その中で、結果的に、たまたま日本が一番長くなったんです。

―そのときの日本の第一印象を聞かせてもらえますか?

生まれて初めて、なんにも読めないような環境だったんですね。当時は、山手線の駅にも、ローマ字の表示はほとんどなかったんです。漢字と平仮名だけ。だからどうしたかというと、駅の数を数えるしかなかった。お店行って何か注文したくても注文できない場合が多くて、必然的に、窓にゴムでできた料理があるようなところにしか行けなかったし。家族全員で、日本語をゼロからスタートしたものだから、本当に大変でした。

―今話に出た日本語についてですが、どのように勉強なされましたか?

高校まではドイツ人学校だったので、別に日本語を勉強しなくてもよかったんですよ。ただ、せっかく日本に来ているのだから、日本語をしっかり勉強しなさいっていう、親の教育方針があったんです。家庭教師もつけていました。最初は抵抗感があったけれど、振り返ってみれば、それはすごくよかったなと思いますね。

高校の時には、ハーフの人や帰国子女でドイツ人学校に行っている人などのために行われる日本語の授業とか、日本語で行われる歴史の授業とかを履修するようになりました。あとは、語学学校にも通いつつ……。うーん、色々な方法で、同時進行でやっていました。

でも、やっぱり大学に入るまでは、幼稚な日本語というか、大人のしゃべるような日本語じゃなかった。周りは変な言葉しか教えてくれないし(苦笑) 慶應では、法学部の授業をとりながら、国際センターの留学生向けの授業も少し取ったので、それはかなり役に立ちました。

―先生はフランス語と英語も話されるんですよね?

そうです。フランス語と英語、あとラテン語をやらされました。ドイツのギムナジウムっていう、日本でいう旧制中学みたいな、要するに、唯一大学につながる学校では、最近まで必修だったんですね。死んだ言葉ではあるけど、思考回路の訓練のために。勿論しゃべれないけれど、イタリア語とかスペイン語の新聞とか見ても、なんとなく分かります。

―ドイツ語以外の言語で、先生はどれが一番得意ですか?

日常的にそれほど不自由なくしゃべれるのは、日本語と英語かな。フランス語は、学生の時によくホームステイとかに行ったけれど、最近は全く使う機会がないので、ブラッシュ・アップしなきゃいけないなと思っています。

―それらの言語を学ぶ上で、どれが一番難しかったですか?

うーん、それはちょっと比較しにくいところがある。というのも、英語と日本語は、やっぱり、その言葉をしゃべる国に住んでいたから。英語はオーストラリアで、しかも小学生の頃だったから。子どもは大人より早く言葉を身につけるでしょう? 耳から入ってくるような感じで。

日本語の場合は、中学生くらいだったから、ギリギリ子どもと大人のちょうど中間で、ある程度耳から入ってくる部分があった。けれど、日本語の場合、会話とは別に、読み書きが特段に難しかった。しゃべる言葉と書き言葉のギャップの大きさが、それまでに学んでいた全ての言語と、決定的に違うところです。 

―では、日本語で話している時は、何語で考えていらっしゃいますか?

それはもう、日本語でやらないと間に合わない。いちいちドイツ語に直してから考えて話すのだったら、多分教員っていう仕事は無理だと思う。その場で、キャッチボールみたいな感じで、学生と意見交換するには、やっぱり速さっていうのが結構大事なんでね。

―では、日本語を勉強していらした間、ドイツ語はどうしていらっしゃいましたか?

家では必ずドイツ語を使っていたので、そこは特に問題なかった。あと、読書が好きだったから、ドイツ語、英語、日本語の本を常に読んでいたんですね。

―よくドイツ人と日本人は似ていると言われますが、先生はどう思われますか?

うーん、いい質問だね。ステレオタイプになってしまうけれど……。日本人もドイツ人も、根が真面目ですね。悪く言えばクソ真面目(笑) あんまり冗談が通じないというか、皮肉が通じないようなところが一致してる。でも、それが勿論いい面として、勤勉さとか真剣さにも表れるわけですよね。とにかく、何事に関しても真面目に取り組もうという姿勢はどちらにもあります。

相違点もいっぱいあるんですけどね。例えば、ドイツ人は自分のプライベートな時間や休み、まあ、休暇を凄く大事にしているわけで、多分、世界中を見ても、一番休みを取っているのはドイツ人じゃないかと思います。年間一ヶ月以上休んだりとかするんですよ。それは、オン・オフのメリハリを大事にしているからです。日本人は多分世界一休みを取らないんじゃないかなっていう気がする。

まあ、そういった細かいところを見れば違うところもあるんですけど、でも、普段の生活において真面目に勤勉に仕事しているという点が、一致しているわけですね。あとは、「精神論」が通じたり、「根性」や「やる気」、「誠意」といったものをかなり重視したりする点が、両国で一致してるんじゃないかな。 

―今でも日本について戸惑うことはありますか?

たまになんですけど、社交辞令とか、口だけの挨拶代わりのような言葉、例えば「今度遊びに行こうね」とか、本当は全然考えてもいないようなことを言われると、戸惑うことがあります。ある程度見抜けるようになったと思うんですけど、たまに見抜けないときがあるんですね、今でも(笑)

あと、逆に、ドイツに久々に帰ると、サービス精神の低さと人々の不親切さに、かなり驚くことがあります。本当に商売する気あんのかって思っちゃいます(苦笑) うん、本当に恐ろしくひどい。 

―先生は、自分のアイデンティティっていうことについて、悩んだりしましたか?

それは、あんまり問題として感じたことがない。むしろ、両方の国の色々な情報とか刺激を受けられるというように、プラスの方向でしか考えたことがない。ドイツで私をよく知っている人は、私がジャパナイズされているなんて言うこともありますが、そこはもう切り替えて、それぞれの国の社会的環境に順応して、合わせるしかないと思うんですね。

嫌だったり、日常的にアイデンティティ・クライシスとかを感じたりするようであったら、多分ここで生活しないと思う。一つの国でしか生活できない人が多い中で、自分は恵まれているなと思ったりもする。

まあ、それには責任もあって、日本では常にドイツを代表している面がある。というのは、日本社会が、おそらく無意識なところで、私の存在・振る舞いを通じて「典型的なドイツ人像」を見出そうとしているからです。別に、私は外交官でもなんでもないんですけどね(苦笑)後編はこちらから>>
interviewer_s_49_profile.jpg 野田陽一。1986年生まれ。東京都出身。生後間もなくサンパウロへ渡り、幼稚園から小学校5年まで、再び東京で過ごす。その後、バルセロナへ渡り、2年間を日本人学校で過ごすが、ある日突然、同市内のBenjamin Franklin International Schoolへの転校を希望し、中学・高校を同校で過ごす。迷った挙句、日本の大学への進学を決意し、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。現在第3学年に在籍。オステン研究会に所属。