海外生活体験者・社会人インタビューvol.27 ~前編~

interviewee_s_68_profile.jpg Roland Nozomu Kelts(ローランド・ノゾム・ケルツ)さん。アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、ニューヨークで育つ。オーバリン大学、コロンビア大学を卒業後、ニューヨーク大学、ラトガーズ大学、バーナード大学などの教壇に立つ。アメリカでは、数々の雑誌や新聞に、作品・記事・エッセイを寄稿。’06年に “Japanamerica: How Japanese Pop Culture Has Invaded the U.S.”を出版。日本では、「朝日新聞」「読売新聞」「毎日新聞」「ジャパン・タイムズ」などに作者プロフィールが紹介され、「群像」「ヴォーグ・ニッポン」などの雑誌に、エッセイや記事を提供する。書き下ろし小説“ACCESS”が’08年中に出版される予定。現在、東京大学、上智大学、聖心女子大学の講師を務め、また、ニューヨークを基点にした雑誌の共同編集者も務める。

―どういうきっかけで日本に来たのですか?

仕事で日本に来る前に、母の影響で、何度か来る機会はあったんです。まず、盛岡の幼稚園に1年ほど通いました。その時も、全く日本語が話せなかったから、最初はぜんぜん楽しくなったのですが、徐々に慣れていきました。祖父とセミを採ったり、相撲の番組を見たり、楽しかったです。ウルトラマンが大好きで、その時買ったウルトラマンのマスクを、今でも持っています(笑)

次に来日したのは、私が15歳のときでした。その時も日本語は話せなかったけれど、一人で東京のCDショップを回ったり、ラーメンを屋台で食べたり、都会の雰囲気を楽しんでいました。

―現在のお仕事をするきっかけは何だったんですか?

2000年に、フランシス・コッポラとソフィア・コッポラから、日本に来た外国人の映画を撮るから、その下書きになる話を書いてほしいという依頼があって、そのために大阪に引っ越してきました。彼らは、私の母が日本人だということを知っていたし、外国人の目線を持っていたから、私が選ばれたのです。その時の経験をもとに、“Hiropon My Heroine”を書きました。

大阪にいるときは、英語を教えたりもしてたんですが、コッポラのプロジェクトが終わったあとは、また、ニューヨークに戻りました。その時から、日本についての記事を書くようになったんです。ですから、村上春樹にインタビューをする機会もあったんですね。その時から、村上春樹とは何度も会っています。

その頃、編集者も同じように、日本についての記事を欲しがるようになっていました。ちょうど、欧米人がアジアに興味を持ち始めた時期だったんですね。ですが、私以外に日本に詳しいジャーナリストがあまりいなかったので、私はタイミングがよかったのだと思います。

日本にまた来る機会があったので、英文雑誌のJapan Inc.で編集長を務め、多くの業界人やジャーナリストに会いました。このときの経験が、後に“japanamerica”を書くとき、とても助けになりました。その仕事のあとは、日本とニューヨークを行ったり来たり。’04年に、村上春樹を通して、柴田元幸(東京大学講師)から東大の講師をやらないかと誘われ、今も続けています。ですが、私は1年の半分をニューヨークで過ごしています。例え、母が日本人であっても、私はやはりアメリカ人なので、仕事は常にアメリカがベースになると思っています。

―なるほど。では最初に日本に来たときの印象はどうでしたか。

2000年に日本に来たときは、とても驚きました。私たちがアメリカにいるとき、日本は経済大国のイメージしかなくて、満員電車で押しつぶされているサラリーマンしかいない、保守的で、陰鬱な感じなのかと思っていました(苦笑) これらは80年代や90年代の産物でしたね。2000年の日本には、「ガン黒」や「ヤマンバ」がいて、若者はみんな髪を染めていました。人々は、とてもカラフルで、とても個性的です。また、オヤジ狩りや援助交際といった、マイナス・イメージのニュースも、よく流れていました。日本の文化が、保守的なものからなにか新しいものへと、明らかに変わりつつあったのです。

―では、こうした変化を見た後、どうして“Japanamerica: How Japanese Pop Culture Has Invaded the U.S”を書いたのですか?

’05年に、アメリカの編集者から、現在の日本のポップカルチャーについて紹介する本を書いてみないかと言われました。最初、私はオタクじゃないから書けないと断ったんですが、編集者はオタクじゃない人に書いてほしいと言ったんですね。通常、このようなポップカルチャーの本は、オタク向けか学術向けのものしかありませんでした。普通のアメリカ人が読んでわかる本が欲しかったのです。ですから、この本を書くことを決めました。

しかし、始めてみたら、仕事の量が半端なく多かったのです(苦笑) かなり多くの人々に、インタビューをしなければなりませんでした。テレビ、映画などのメディアに詳しい人だけではなく、経済に詳しい人にも会いました。そして、もちろんオタクにも(笑) ですが、インタビューして行くうちに、たくさんの人が次にインタビューする人を紹介してくれたりして、とても助けになりました。「そのことに調べているなら、この人と話すべきだよ。僕が連絡を取っておくよ。」みたいな感じで。

後は『東大』の力も馬鹿にしてはいけません(笑) 東京大学の講師と書いてある名刺を人に見せると、信用度が格段に違いました。この本で助けてくれた多くの人に感謝しています。そのときは何度も秋葉原に行きました。後編はこちらから>>

Part 1 English Version>>
内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。帰国後、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、農学部獣医学科3年に在学。