海外生活体験者・社会人インタビューvol.28~前編~

interviewee_s_70_profile.jpg 川中一樹さん。1984年大阪生まれ。小・中学校は大阪、高校は京都の立命館宇治高校へ通う。卒業後、立命館アジア太平洋大学へ進学。2年次の終わりに、カナダのワンダリング・リバーに1年留学し、現地の子供たちに日本文化を教える。今年4月からは、株式会社インテリジェンスの人事として、業務に奮闘する毎日を送っている。

―まず始めに、大学時代はどのように過ごされましたか?

入学当初は、アカデミック・サークルという勉強サークルに入ったんですが、つまらなくて、一ヶ月ホワイトボードの下でひたすら寝てました(苦笑) その後、和太鼓を始めたんですが、そこでは、音、強弱、姿勢など、「こだわる」ということを学びました。

また、1年次の間、大分放送というテレビにも出演していました。入学式の時に、一人だけとてもはしゃいでいて、目立っていたみたいで、スカウトされたんです(笑)

このテレビには、1ヶ月に2回ほど出演し、4時間耐久ママチャリ・レースや泥んこバレーなど、さまざまな企画をやらせてもらいました。人生でやったことないことばかりで、楽しかったですよ。でも、このテレビ出演で得られたことって、大分の知識がついたことと、面白い話が出来るようになったことくらい。なぜなら、このときの自分はまだ受身だったから。自分からやりたくてやっていなかったんですね。

―その後、何か変わるチャンスがあったんですね?

はい。この、今まで受身姿勢だった自分が、1年の終わりにある先輩に出会って、大きく変わったんです。その先輩は、とにかく主体的で、自分らしさを持っていた。自分はこれがしたい、これが楽しいと思って行動している先輩で、とても尊敬できる存在でした。それから、その先輩と一緒に、人の集まる場所を作ろうと、築80年の一軒家を借りて、おしゃれなカフェ風のコミュニケーション・スペースを立ち上げたんです。この場所を作ってからは、毎日、「自分がこの場所に集まる人のために出来ること」を、常に考えていました。

その、2年次の頃から、色々な組織でリーダーを務めるようになりました。一度に3、4個の組織のリーダーを受け持っていて、毎日50人以上とメールをする日々。本当に、この時は毎日が必死でした。また、インドネシアの地震があった2005年には、風船を2005個飛ばすチャリティー・イベントをやったこともありました。

こんな感じで、色々なことに挑戦していくようになって、本気でやるって面白いなと感じるようになり、訳も分からずやっていたなかでも、大きく成長出来たと思います。まぁ、仕事をするようになって、最近は、訳も分からず必死にやっているだけじゃ、だめなんだなと感じているんですけどね……(苦笑)

そして、2年次の終わりに、カナダへ留学することを決めたんです。

―いよいよカナダ留学ですね。カナダでの生活を詳しく教えてください。

まず、留学を考えたときに、交換留学か派遣留学かで迷いました。それで、大学と提携をしている大学をいくつか実際に回ってみたんですね。でも、どこもいまいちピンと来なくて。そこで見つけたのが、ある留学派遣会社の、『カナダで日本文化を教える』という留学プログラム。これは面白いなと思い、一年間、カナダのワンダリング・リバーという、人口400人ほどの小さな町で過ごすことになりました。

この町は本当に広大で、家と家が2、3キロ離れているのが当たり前。とってものどかな町でした。そこでは、校長先生の家にホーム・ステイさせてもらって、平日は、その町の幼稚園児から中3の子供たちが通う学校で、日本文化の授業を受け持ちました。カナダへ行った当初は、全く英語が話せなくて……。子供たちに一所懸命話しかけても、「ああ??」と言われるばかり。本当に子供って正直ですよね。思いっきりコミュニケーションの壁にぶち当たりました。

―そのコミュニケーションの壁はどのように乗り越えられたのですか?

まず、なめられないように、尊敬されようと思った(笑) 得意のサッカーを生かして、子供たちとコミュニケーションを図りました。すると、だんだんと子供たちに、休み時間もサッカーしようよと、誘われるようになったんですよ。またその時、ちょうど学校で体育の先生が不足していたので、日本文化とともに、体育の授業も受け持つようになりました。

―日本文化の授業では、どのような授業をされていたのですか?

最初は、折り紙の授業をしました。英語が出来なかったので、知っている単語をめちゃくちゃに並べて、子供たちに折らせたんです。でも、やはり全く伝わっていなくて、結局、自分が各テーブルを周って教える羽目になりました。もちろん、子供たちもつまらなそうな表情ばかりです。それから、どうしたら、もっと子供たちが反応を示すか、楽しんでもらえるかを考えるようになりました。

それでやり始めたのが、カナダと日本を比較して、違いを説明するという授業。たとえば、「カナダでも日本でもスイカを食べます。でも、日本では、スイカ割りをするという文化があるんです!」と言って、子供たちに実際にスイカ割りをやらせたり、日本の駅前に黒いタクシーが行列している写真を見せて、カナダと日本のタクシーの色の違いを説明したり。

一年間で合計1000個以上のパワーポイントを作りました。このような授業をするようになって、子供たちも、とても日本に興味を持ってくれるようになりましたね。特にスイカ割りの授業では、子供たちは大はしゃぎでした! 本当は、この日本文化を教えるというプログラムは、3ヶ月で違うプログラムに変えられたんですが、この子達に自分の知っている日本文化を教え切って帰ろうと思って、結局1年間この学校で過ごしました。

―先生をやりながら、語学学校へ通ったりはされたのですか?

語学学校へは通っていません。むしろ、英語を覚えようなんて、全く考えていませんでしたから。留学の目的は、英語を使って何かがしたいということだったので、あくまでも、英語は手段でしかなかった。だから、子供たちと接したり、休みの日におじいちゃん、おばあちゃんとゲートボールを楽しんだりして、日常会話は自然に話せるようになりました。

―このカナダでの生活を通して、自分が一番得たものは何だと考えますか?

一言でいえば、コミュニケーション能力。カナダでは、子供やお年寄りと接する時間が本当に長くて、しかも、彼らと英語での接し方を学んだので、それが今の日本でのコミュニケーションに対する自信に繋がっていると思います。今でも、子供やお年寄りとでも、うまくやっていける自信が十分ありますね。それと、やはり価値観の幅も広がったかな。

―カナダでの生活を振り返ってみてどうですか?

カナダで感じたことは、「カナダは広い、日本も広い、でも一番広いのは、自分の“こころ”なんだな」ということです。毎日、本当に、一人で色々と考える時間が長かったですね。考えても、考えても、まだまだ考えることが出てくる……。人間のこころは、本当に広いですよね!!後編はこちらから>>
interviewer_s_46_profile.jpg 宮城夏子。1989年愛知県生まれ。中学まで日本の学校へ通うが、中学卒業後、中国・上海へ単身留学。高校3年間を上海で過ごし、現在は、立教大学経営学部国際経営学科1年に在学。RTNプロジェクトの立教大学支部を自ら立ち上げ、1年生ながら、代表も務める。