海外生活体験者・学生インタビューvol.32 ~前編~

内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。帰国後、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、農学部獣医学科3年に在学。

今回、インタビューに応えてくださったのは、内山紗也子さん。東京大学農学部3年生で獣医学を勉強なさっています。赤門近くの焼き鳥屋で、隣の席は、テレビ関係とおぼしきおじさんたちが、景気のいい話をがなりたてていました。僕はと言えば、目の前の鶏肉やお刺身に在りし日の姿を思いながら、内山さんのお話にしんみりと耳を傾けておりました。

真空パックの子豚

内山(以下U:)この前、牧場で実習をしてきたんですよ。羊の牧場で、保定(注)の練習とか採血の練習をしたんです。

(注:採血などをしやすくするために動物を体で固定すること)

古谷(以下F:)なるほど。確かに誰かの飼ってる犬とか、採血の練習台にするわけにはいかないですもんねえ。うまくいくもんですか?

U:それがうまくいかないんですよ。みんな失敗するから、羊の首のところが針を刺した跡で5ヶ所くらい赤くなってて、申し訳ない気持ちになりながら、練習してました。

F:高校のときはどんな勉強をしていましたか?

U:高校では生物の授業で解剖をしていました。これはうちの大学の先生もびっくりしていたんですけど、アメリカでは教室に子豚が真空パックで送られてくるんです。解剖用の動物が通販のカタログみたいに一覧になってて、そこから注文する仕組みが確立しているんです。

F:ということは、生物を勉強するにはかなり恵まれた環境なのですね。

研究より臨床

F:内山さんは東京大学に入学されたわけですが、東京大学って、始めの2年間は教養課程なので、3年生になるまで専門的な研究はしませんよね。高校の時に恵まれた環境で解剖の技術を身につけても、そのあと何年かは、本来興味があることとは別のことも、たくさんやらなければいけません。その意味で、海外の大学に行けばよかったとか、東京大学に入ったのは遠回りだったなあとか、思ったりしたことって、ありますか?

U:全然ないです。むしろ、1・2年生の時は教養課程なのをいいことに、理系なのに文系の授業ばっかりとっていました(笑) 教養課程は英語の授業も充実しているので、英語の授業もたくさんとりました。英語を使う機会がないのはもったいないですから。

F:そうですか。僕も教養課程が好きなので、そう言ってもらえると嬉しいです。内山さんはこれまで授業をうけてきて、どんな先生が心に残りましたか?

U:2人います。ひとりは、松田良一先生で、「研究室を行脚しよう!」という趣旨のゼミを開いていて、私もゼミに入っていろんな研究室をまわりました。先生にしたら、自分が知ってる研究室を学生に紹介して、研究室と学生のマッチングをしてあげたいっていう気持ちがあったんだと思うんですけど、私は「研究者にはなりたくないな」って思いました(笑) 私は臨床がいいんです。

F:先生にしたら、研究者を育てたいという、当初の目的とは違った結果になってしまったんでしょうけど、でも、研究室を巡らせてくれたおかげで、内山さんはやっぱり臨床がいいっていう決断ができたわけですから、いいきっかけを与えてもらったんですね。

U:そうなんです。考える機会を設けてくれたことが、すごくよかったんです。

社会的死と個人的死について

U:もうひとりは、生命倫理の授業をやってくれた小松美彦先生で、臓器移植とか安楽死に反対してる先生なんです。臓器移植って、亡くなった人からもらうから、簡単だと思ってしまいますけど、手術をすると目も動くし涙も出るんです。だから麻酔を打たないと臓器は取れないんです。

F:うーん。それは知りませんでした。体が反応するのは、痛いという意識があるからなのか、反射なのかわかりませんが、こういうことを聞くと、言葉を発することができない人間から体の一部を切り取るのを、ためらう気持ちが出てきてもおかしくありませんね。

U:安楽死については、昔は、人が亡くなると、長い時間をかけてお葬式をやったり、そのほかにもいろんな儀式をやってましたけど、こういうのも全部含めて、人の死だったらしいんです。死っていうのは、ひとりの人が死ぬだけではだめで、それにまつわって、社会がいろんな関わり方をして、初めて死が完成するんです。だから人は社会の中で死んでいたんですね。安楽死って、社会とは関係なく、個人が自分でいつ死ぬかを決めるじゃないですか。でも、さっき言ったみたいに、死って、個人で決められるものじゃないんです。あと、「あしたのジョー」を読めとか言ったり、「高校教師」を授業で観たりもしたんですよ。

F:僕も、社会の中での死の話は、文化人類学をかじったので興味ありますが、「あしたのジョー」とか「高校教師」って……(笑) みんな最後には死んでしまうけれど、これは社会の中の死なんでしょうか、個人の死なんでしょうか……?

U:うーん。正直、この2つで先生が何を言いたかったのかは、わからないんですよ。(笑) でも心に残ってるんです。

F:うーん。僕も気になりますから、今度「あしたのジョー」を読んで考えてみようと思います。後編はこちらから>>

interviewer_s_52_profile.jpg 古谷博行。1983年広島生まれ。小学校4年からカリフォルニアに暮らし、中学校2年の春に帰国。中学校卒業と同時にドイツに渡り、フランクフルト郊外の高校に通う。その後、大学受験にあわせて帰国。東京大学文科Ⅰ類に入学後、文化人類学を専攻。卒業後は大学職員として働いている。