海外生活体験者・社会人インタビューvol.23~第4編~

interviewee_s_56_profile.jpg T.Kさん。1976年佐賀県唐津市生まれ。茨城県つくば市で育つ。中学2年の夏に家族でフィジーへ。4年弱を過ごした後、単身イギリスへ渡り、パブリック・スクールに通うも、3ヶ月で退学。その後、日本へ帰国し、高校2年の3学期から、神奈川県の高校へ編入。一般入試で一橋大学社会学部入学。卒業後は電通に就職。現在はTVブロス編集者。

やりたい放題の学生時代

W:じゃあ、大学時代って何をやってたんですか?
K:いやー、フツーに大学生活を。
W:学部はどちらですか?
K:社会学部です。大学楽しかったですよ。大学の後半とか、やりたい放題でした。
W:何をやりたい放題したんですか?
K:あのねー、あんまり、パンツ穿いてなかったです。下半身むき出しで、歩いてました。
W:学校構内を?! そ、それは、公然わいせつ罪にならなかったんですか?(汗)
K:ならなかったです。捕まりませんでした。
W:え、でも女の子いますよね?
K:いましたね。でも、もう、なんか許されてましたね。
W:しょうがないよねー、みたいな?
K:いやー、本当にチン○ばっかり出してましたねー(笑) なんかね、そういうのに付き合ってくれる友達がいたんですよねー。じん君っていう。じん君とね、テラスでご飯食べながら、排泄しようぜって話になって。
W:え?! それは実行しなかったんですよね?
K:いやいや、実行しましたよ。じん君ね、おそばの御汁飲みながら、おしっこしたりとか。カレー食いながらウン○しようぜ!とか。楽しかったですねー。毎日なんかやってましたね。自分が持ってる最高のモノを着て、水風船にコーラ入れて投げるとか。
W:えーーー(泣) サークルとかは、何やってたんですか?
K:サークルはやってなかったですね。
W:あ、じゃあ、自由気ままにじん君と。

焦る就活&肩書き集め

K:そうですね、でも、そんな矢先に、だんだん就活モードになってくるんですよね。
W:三年生ともなれば。
K:そう。で、周りがどんどん憎くなってくるんですね。皆、こう他人を出し抜いてやろうって。急に名刺作り始めるヤツとかね。お前、そんなヤツじゃなかったじゃーんっ! って。
W:一緒に馬鹿やってたのにー! って?
K:そうそう。傷つくわけですよ。ピーター・パンシンドロームですよ。で、肩書きが必要だと思ったんですよね。三年生の頭くらいかな。自分には肩書きがないと。で、肩書き集めに必死になった時期があったんですよ。
W:集まりました?
K:集まりましたねー。探すと結構あるんですよ、マニアックなのが(笑)
W:例えば?
K:まずなったのが、ゼミの幹事。あとは、色んなゼミを束ねてる、運営の上部組織の委員みたいなの。あとは、一橋って、元々商科大学で、他に大阪市立大学と神戸大学が、三商大って言われてたんですよ。で、その三商大でやる合同ゼミの運営をする、三商ゼミ実行委員とかやってましたね。あとは、就職ガイダンス実行委員とか。
W:3年生からでも結構あったんですね。
K:そうそう。そういうのをやってる先輩が、知り合いの後輩に渡していくっていうのを、間で全部掠め取ったんですよ。「俺がやる!」つって。
W:肩書きは役立ちましたか?
K:役に立たなかったかなぁー、今考えれば(苦笑) でもねぇ、予算が、少ないなりに、あったりしたんですよね。で、そのお金で大阪行ったり、神戸行ったりできたんで。
W:あ、三商大合同の。
K:そう、それに、就職ガイダンスとかは、大企業の人事の人に、こんな企業説明会やりましょう、とか言ってやったりとか。そういうのとか、全部友達で固めてやったんですよ。AIBOの新しい使い方を、学生が逆にソニーにプレゼンするなんてどう? やろうやろう! みたいなね。これが結果的に、就職に大きく影響したヤツもいたし、だから、就職ガイダンスは結構身になりました。
W:それって、結構大人数でやるんですか? 委員会とか。
K:二十人とかくらいかなー? 楽しかったですよ。
W:その縁で、電通に?
K:いや、全く関係ないです。フツーに受けて、入りました(笑)

フジでウケずに、日テレでウケる

W:いっぱい企業を見ていく中で、どこにいこーとかって?
K:結局、消去法でした。自分の性格とかから考えていって、どんどん削ったら、マスコミとか、そこらへんが残ったんですね。
W:じゃあ、他のマスコミも?
K:でも、出版は受けなかったですね。活字嫌いだから。
W:え? でも今は。。。
K:奇しくも、そういう感じになってますけど(笑)
W:流れ流れたって感じですか。じゃあ、新聞も。
K:受けなかったですね。ラジオも聴かないから受けなかったですね。
W:馴染みがないとやっぱり。
K:テレビと広告かな。あんまり受けなかったけど、何となく受かっちゃったんですよね。
W:凄いですね。なんで受かったんだと思いますか?
K:なんででしょうねー。短い時間のトークが上手かったんじゃないですか?
W:何を喋ったんですか?
K:大した内容は喋ってないですね。
W:じゃあ、何を聞かれるんですか?
K:なんで、志望したのかとか。フジテレビでそう聞かれたんで、まぁ、論より証拠だろうと思って。実家のリモコンの“8”のボタンが一番擦り切れてるのを発見したんですよ。で、これ持って行こう! と思って持ってったら、「そういうの邪魔だからしまいなさい」って落とされたんですよ。で、後日、その話を日テレの面接でしたら、「面白い!」って言ってもらえて、最終面接まで進んだんです。でもね、面接って、基本、会話だと思うんですよね。
W:でも、長い時間与えてもらえないじゃないですか。
K:短い時間で、こっちも相手を楽しませなきゃいけないんじゃないかな、と思うんですよね。
W:エンターテイメントですか。
K:でも、だからといってネタばっかりに走るのも。。。
W:芸がない。
K:そう。ちょっと真面目な部分も見せなきゃいけない。多分、そのさじ加減が上手かったんじゃないですか。
W:何社くらいエントリーされたんですか。最近だと50社くらいするみたいですけど。
K:7、8社じゃないですかね。
W:内定を頂いたのは?
K:電通だけです。
W:あ、日テレは最終面接まで?
K:最終面接の前に、電通が決まって辞退したんです。「テレビだけやってたら、テレビから先がなさそうだな。潰しがきかない。」とその時思ったので。今ねぇ、その判断は成功だったなぁーと思いますねぇ。今、こうして外から見ていると、テレビの絶頂期って過ぎてしまったように見えるし、制作するにしても、なかなか規制が厳しそうだし。そんでも、いまだ潤沢な資金が集まるテレビっていう恵まれた環境じゃあ、自分の性格的に、そんな状況に対して危機感を持てなかっただろうし。とはいえ、皮肉にも、今はテレビ雑誌やってますからねぇ。。。人生何が起こるか、わかったもんじゃありません(笑) でも、雑誌はテレビと比べて関わる人数が少ない分、好き勝手できると思います。まぁ、テレビにせよ雑誌にせよ、中身を作るってことに関しては、方法は違えど同じだし、どの時代においても需要はあるわけだから、今はひたすらその力をつけていって、良き人脈を築いていって。自分の作った中身を、ただ雑誌という媒体を通して世に出しているんだ、という程度にしか考えてないです。

で、結局、電通に入ったものの。。。

W:電通のときは何をやられてたんですか?
K:電通ではクリエイティブってところに配置されたんです。
W:何かを作るんですか?
K:広告を作るんですけど、「こんな広告にしたいっす! こんなキャッチコピーはどうっすか?! こんなのどうでしょうか?」って。
W:企画みたい。
K:そうそう、企画みたいな感じ。
W:電通は長かったんですか?
K:いや、短かったです(笑) 一年に満たなかったです。まるで、イギリス時代の俺、みたいな。
W:え? まさか殴ったわけじゃないですよね?(汗)
K:殴ってないですけど、ちょっと大人になって蒸発になりました(爆)第5編はこちらから>>

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若林志帆。1986年広島県生まれ。高校2年まで外国とは無縁に過ごす。17歳の冬、無謀にも単身渡英。語学学校を経て、現地の高校へ。ケンブリッジで2年間の高校生活を送り、卒業後帰国。現在は慶應義塾大学法学部政治学科2年に在学中。