海外生活体験者・社会人インタビューvol.23~第5編~

interviewee_s_56_profile.jpg T.Kさん。1976年佐賀県唐津市生まれ。茨城県つくば市で育つ。中学2年の夏に家族でフィジーへ。4年弱を過ごした後、単身イギリスへ渡り、パブリック・スクールに通うも、3ヶ月で退学。その後、日本へ帰国し、高校2年の3学期から、神奈川県の高校へ編入。一般入試で一橋大学社会学部入学。卒業後は電通に就職。現在はTVブロス編集者。

ちょっと大人になって蒸発になりました。

W:え? どこへ?
K:タイへ。一年目のお正月休みにタイへ行ったんです。
W:それは、勝手に冬休みを延長したんですか?!
K:まぁ、そう、勝手に延ばしたんですね(笑)
W:なんでタイに?
K:電通入って、研修が終わって、配属地の発表になるんですよ。電通って、東京と名古屋と大阪にあるんです。で、9割くらいは東京なんですよ。だから自分もそこに入ってると思って、友達と一緒に住もうぜとか言って、家も決めて。で、その日配属地発表に行ったら、名古屋、中部。。。 「ええーーーーっ?!」と思って、散々抵抗したんですけど、その決定は覆らなくて、結局行ったんですよ。そして、名古屋に行ったら、みんな東京に戻れてないんですよねー、その当時は。俺の二十代、名古屋で仕事してどうなるんだろう、って思ったんですよね。
W:で、それで嫌になっちゃって、タイに行ったんですか?
K:同期7、8人居るんですけど、皆不満に思ってるわけですよ。名古屋に送られちゃって。で、そいつら集めて決起しようぜって。「君はね、能力があるのに味噌樽に漬け込まれるのは勿体ない。俺もアクション起こすから、君も起こせ」って。で、ゲリラになったんですよ。そしたら、それからは、社内の政治活動ばっかりやってましたね(笑) 色んな権力持った局長クラスに会いに行ったりとか。
W:会いに行って、何をするんですか?
K:「戻してください!!」って。
W:直談判したんだ!
K:そんなんばっかりやってましたね。今考えたら、凄いなぁー。行動力あるなぁー(笑)
W:いやぁ、有り過ぎですよ。
K:自分を褒めたい(爆)
W:(笑) それで、その決起して、直談判した結果は?
K:結果は、自分だけポコッと戻すのは無理だって。で、精神病になって戻った同期がいたんですよ。でもね、精神病になってまで戻るのは、流石に自分のプライド的に嫌だったんですよ。でも、なんかちょっとね、会社を揺さぶってやりたいとか思ってて。それで、当時、電通って、社員の自殺とかに過敏になってた時期だったんで、蒸発ツアーに行く案が浮上したんですよ。タイに行って、そのまま蒸発するっていう。で、関係各所のメールアドレスを全部メモって、タイに持って行って実行したんです。
W:そこに、躊躇は?
K:やっぱねぇ。。。そりゃあ迷いましたよ。良いのかなぁーって。でも、離陸してまだ間もないし、電通という名の飛行機から飛び下りるなら今しかないと。今ならまだ骨折レベルで済むって。

『バンコクに来たら、凧の糸が切れてしまいました。』

W:うーん。。。一人で決行されたんですか?
K:一緒にタイ旅行に行った友だちは、皆それぞれ働いてるから、まぁ、お正月のお休みの前に帰りましたけど。一応、その一緒の便で帰るように、チケットは取ってたんですよね、バンコクからの。でも、「俺、やっぱ残るっ!」って、バンコクの空港のチェック・イン・カウンターで決めて。それで、友だちは先に帰って、僕は残って、その足でバンコクのインターネットカフェに行って、カタカタカタ。『バンコクに来たら、凧の糸が切れてしまいました』って。これはね、人生最大の、渾身のキャッチコピーですよ(笑)
W:研修で培ったノウハウを出し切ったんですね(笑)
K:でね、クリックする瞬間、いろいろ思うわけですよ。「このワンクリックで、人生が大きく変わるんだなあ」って。そんな感傷に浸るのもつかの間、その時、一緒にいたタイ人の友人が、横から手を出してきて、勝手にクリックしちゃったんですよ(苦笑) あぁー、行っちゃった……で、それから暫くして、ウチの親にジャンジャン電話が掛かってきて(笑)
W:「お宅の息子さんどこ行ったんですかー?!」って?(笑)
K:「東京に戻すということも視野に入れて、話し合いがしたい」って。で、2ヶ月ほどタイに潜伏していた後に、名古屋には直接戻らずに、東京に戻って、社内の動向を探っていたんですね。そしたら、名古屋の支社は、最初の1〜2ヶ月間、僕が病欠しているだなんだと、適当な嘘を報告して、本社に隠してたそうなんです。きったねぇことしやがんな、って見てたんですけど(笑) やがて嘘も隠せなくなったのか、本社に蒸発の事実が報告されて、自分を名古屋に送り出した張本人の人事部長が、僕に会いたいということになって、そこでようやく姿を現して会ったんですね。それで、理由を聞いたんです。そしたら、その返ってきた言葉っていうのが、「君はね、同期全体の中で、名古屋に送っても一番潰れなさそうだった」。多分、そういう理由があって名古屋に送られたんだろうって、新入社員ながらに思ってたんですけど、まさにその通りの答えが返ってきたんですよ。もう、こいつをプロとは言えないようにしてやれと思って、「その判断間違ってましたよ。だから、俺は辞めます!」って言って、最後に戦後処理のために、名古屋に行ったんですよ。すげぇドキドキしたんですけど(笑)、行ってみたら、皆フツーに接してくれるんですよ。本当は色々聞きたいんだろうけど、なぜかみんな聞いてこない。この不自然さが“会社”なんだなあ(笑) それで、軽トラックで乗り付けて、荷物全部積んで、東名高速に乗って、東京に戻ってきたんです。
W:名古屋には、謝りに行ったんですよね?
K:そうですよ。最後は消化期間みたいなもので、消化しないと退職できなかったんで。その後数年経って、たまたま名古屋の電通で働いているヤツに聞いたんですけど、名古屋に配属されたら必ず俺の話が出るそうです。
W:伝説になったんですね(笑)
K:そうそうそう(笑)
W:その後は、東京戻って?
K:ずーっと、ニートしてましたねー。2年間くらい遊びました。そしたら、流石に遊ぶのにも飽きてねぇ。。。第6編はこちらから>>

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若林志帆。1986年広島県生まれ。高校2年まで外国とは無縁に過ごす。17歳の冬、無謀にも単身渡英。語学学校を経て、現地の高校へ。ケンブリッジで2年間の高校生活を送り、卒業後帰国。現在は慶應義塾大学法学部政治学科2年に在学中。