海外生活体験者・社会人インタビューvol.29

interviewee_s_71_profile.jpg 李乾毓さん。1981年台湾高雄に生まれる。中学2年生の時から、単身でアメリカのペンシルベニア州へ。高校卒業後、来日し、上智大学比較文化学部(現国際教養学部)に入学。上智大学卒業後、アメリカのボストン大学経済学部大学院に進学し、修士号を取得。卒業後は、日本で外資系金融企業に就職し、現在も勤務している。

―まず、中学2年生で単身アメリカへ留学することを決意することは、かなりすごいことだと思うのですが、なぜ留学しようと思ったのですか?

姉が先にカナダへ留学してたんですね。その機会もあって、カナダへもよく遊びに行ってたんですよ。そしたら、海外に興味を持っちゃって、海外の生活が自分にあっていると感じるようになったんですね。それで、親に相談をして留学させてもらうことになりました。

―中学2年生だと、小学校を卒業したばかりで、1人で何でもできる訳じゃないと思うんですけど、ホームシックにはかかりませんでしたか?

それは、かかりましたよ(苦笑) 毎日泣いてました。やっぱり言葉が通じない影響が大きいですね。殴られても自分が何で殴られているのか、そして、言い分も何も説明できない。だから、すごく悲しかったです。だけど、僕は、そこで自分の殻に閉じこもり何もしないのではなく、英語を勉強してやろうっていう、前向きな気持ちになりましたね。それから、英語を一所懸命勉強して、2年くらいでアメリカ人と同じレベルまで話せるようになりました。

―中学生の割にはしっかりしすぎていますよね!?(笑) そんな中学、高校時代は、どんな生活を送っていたのですか?

まず、様々な国から留学生が来ていたので、たくさん友達もできました。それから、キャンパスも東京ドーム約10個分あって、気候も変化に富んでいたので、夏はライフルを使って狩猟をしたり、冬はスノーボードをしたりして、遊んでいましたね。勉強の時間はしっかり決まっていたので、遊びと勉強の区別がしっかりしていたのが良かったと思います。

あと、思い出ではないんですけど、面白かった話もあります。僕の学校にアラブの王様の息子がいたんですよ。それで、その日は大雪が降った後で、誰も外には出ていない状態だったんですね。そこに空からグランドにヘリコプターが降りてきて、アラブの王様が息子を連れてアラブに帰ろうとしたんですよ。もちろん帰りはプライベートジェットで!!!(笑)

―やっぱり金持ちはやることが違います……(笑) そんなBIGな生活から、なぜ日本に来ようと思ったのですか?

アメリカで生活もしたので、次はアジアで生活してみようと思ったからです。あと、アメリカで田舎の方に暮らしていたので。都会で暮らしてみたいっていう気持ちもあり、東京に来ました。でも、アメリカに行ったばかりのときと同様に、日本語には苦戦しましたね。「あいうえお」も知らない状態で日本に来ちゃいましたから。だから、ラーメン屋に行ってラーメン大盛りって注文しても、メンマ大盛りで出てくることが何回もあって(汗)

―聞くところによると、大学で全単位を2年半で取り終わったそうでが、なぜそんな早く取り終わっちゃったんですか?

僕も、大学に入った頃は、友達と遊ぶのが楽しくて毎日遊びに出かけてました。だけど、ある日終電で家に帰ろうと電車に乗り、ふと周りを見回したら、酔ったサラリーマンがたくさんいたんですよ。その時、なんで日本にいるんだろう、こんなことをするために日本に来たんじゃないって思いましたね。

それからは遊ぶのも断って、朝9時から夜9時まで毎日授業をいれたり、自習したりして過ごしました。大学院に行ってるときも、こんな感じで勉強をいっぱいしていたので、2年の課程が1年で終わっちゃいましたね。人間って、挫折や絶望を味わうと、腹を括れて死ぬ気で頑張れると思うんですよ。それが、僕にとっては酔ったサラリーマンだったわけです。

―何か色々と考えさせられる話ですね……。ところで、大学、大学院と卒業していよいよ就職ですね? 次は仕事について教えていただけますか?

わかりました。僕は最初、ロボット・メーカーに就職したかったんですけど、外国人であったため、ワーキング・ビザの発行が遅く、諦めて外資系金融企業に就職しました。そして、外資系金融企業に就職して最初の1年間は、バック・オフィスで損益レポートを書いたりしていました。ニューヨークへ研修に行った後に、帰ってきたらフロント・オフィスのコモディティーの席が空いていたので、トレーダーになりました。

―外資系企業と聞くと、とても憧れますよね。僕も働きたいと思っているのですが、外資系企業への就職を目指している人にアドバイスをもらえますか?

確かに、外資系企業は日系企業に比べて給料もたくさんもらえるし、色々なところへ出張もいけて良いと思う。だけど、日本の大学生みたいに外資系に入れれば良いと思うのは良くないですね。

まず、会社は外資系企業かもしれないけど、周りは日本人ばかりの環境だし、同僚は自分が1番になりたいと思っている人ばかりなので、わざわざ最初から優しく仕事は教えてくれない。だから、見たり、聞いたりしながら相手の知識を盗んでいかないといけない。例えば、誰かが面白い企画案を出したら、その企画案がなんで面白いのか、なんでこんな発想をしたのか、自分で分析しなくてはいけない。そこが日系企業と違うところかな。日系企業だと、先輩の下について、先輩の経験を基盤として、そこに自分なりのオリジナリティーを付けていきますからね。

あとは、外資系に就職したからといって、自分のやりたいことが見つかるとは限らない。これは就職全体を通して言えることですね。例えば、ルイ・ヴィトンやエルメスみたいなブランド品が好きだから、アパレル・メーカーに就職したいと考えてる人もいるよね。だけど、日本で1番売れてるアパレル・メーカーはユニクロだよ。これだと一方はハイ・ブランドだけど売り上げは普通で、もう一方は、ヴァリュー・ブランドだけど売り上げは日本No1。だから、職種もまったく異なってくるし、自分がどのようなことがしたいのか決めておかないといけない。

僕も、最初はバック・オフィスから始まったけど、自分にはフロント・オフィスの方が合ってると思った。僕の場合はたまたま運がよくてフロント・オフィスに入れたけど、中には就職してからじゃ遅い人もいますから。

―僕も外資系企業のアパレル・メーカーに就職したいと考えてたので、今の話は色々と考えさせられました。最後に、李さんの今後の人生プランがあったらお願いします。

人生プランなんてない! 人生なんて運命だからね!!(笑) 僕も台湾人として生まれて、日本人の美人な奥さんを貰い、可愛い赤ちゃんに恵まれ、日本人に帰化するなんて、大学生のときなんて、考えてもいなかったこと。だから、人生は何が起こるか分からない。でも、毎日目標にしていることならあります。それは、昨日よりも今日を楽しい日にすることです。

インタビューアから一言

毎回会うたびに、仕事についての話や人生についての話などをしてくれ、僕にとても刺激を与えてくれる人です。今回のインタビューが終わった後も、就職について考え直し、勉強も引き続き頑張っていこうと決心しました。李さんの人生が、僕にはとても楽しそうに見え、とても羨ましいと思います。それは、李さんの前向きな性格があるからだと、インタビューを通して実感しました。これから、李さんを見習って、僕も頑張ります!!
interviewer_s_51_profile.jpg 加藤超大。1989年生まれ。愛知県出身。高校3年間、中国の上海へ単身留学。現在は、立教大学社会学部1年に在籍。宮城夏子とRTNプロジェクト立教大学支部を設立する。将来はアパレルメーカーに就職したいと考えており、勉学の傍ら、アパレルメーカーでバイトをしながら修行中。