海外生活体験者・社会人インタビューvol.31

interviewee_s_76_2profile.jpg 岸岡慎一郎さん。アメリカ・イリノイ州の高校を卒業後、慶應義塾大学法学部に入学。卒業後、伊藤忠商事株式会社を経て、アメリカはシカゴをベースに、テクノロジー、ビジネス支援サービス&商社のベンチャー、ITA, Inc.を運営。(写真:Daisuke Ito)

―いろいろお聞きしたいことがあるのですけど、まず初めにアメリカで過ごされた中学、高校での海外生活について教えてください。僕自身、突然アメリカの現地校に入ったときは色々苦労したのですが、どんなところに苦労されましたか?

最近のシカゴ・エリアの学校だと、日本人の先生がサポート役でいたりする学校もあり、英語ができない子供たちのための、ESLなどの支援プログラムも充実しているのですが、当時は全く普及しておらず、私の通っていた学校には、そういったプログラムがありませんでした。ですので、いきなり普通のクラスに入ることとなり、理科などの一般教科などには苦労しました。また、言葉以外にも、アメリカの考えさせる教育に慣れるには苦労しましたね。自分から積極的に発表しなければならない加点主義は、日本の受身的な教育とは大きく異なっていましたから。

―学校ではどのような課外活動をなされていましたか?

運動は陸上とサッカー、あとはMath Teamに参加していました。

―英語はどのようにして学習、習得されたのですか?

最初の半年間は、元英語の先生に、チューターで週二回来てもらっていました。そこで、学校の授業の復習と予習をやってもらい、その過程で身につきましたね。

―次は大学生活について聞かせてください。中学高校とアメリカに八年間滞在されていると、日本の大学だけでなく、アメリカの大学という選択肢もあったと思うのですが、どうして日本の大学を選ばれたのですか?

実は、中学高校だけではなく、幼稚園もアメリカだったので、日本の教育は小学校でしか受けていなかったんです。そういった意味で、日本人になろうということで、自分のアイデンティティの確立のために、日本の大学を選びましたね。また、どの国でも自分を持っていた方がwelcomeな部分というのがあって、そういった意味でも自分を持たなければとも思っていました。

―大学では学生起業家協会を設立されたとお聞きしたのですが、詳しく教えてください。

大学では、帰国生を束ねるグループに参加していたんですけど、そのグループの先輩に起業された方がいて、日本起業家協会というベンチャー・ビジネスの支援団体に参加されていたんです。そして、その協会の顧問をされていた弁理士兼会計士の方が、アメリカ側とのパイプを持ちたいとして、話しが来たのがきっかけでした。

アメリカには、アメリカ起業家協会といった全国規模の組織があって、その下部組織に全米学生起業家協会があったんです。そこと学生同士の橋渡しをして、学生レベルでの起業家を育てる組織としてJEAを設立しました。

交流の一環として、米国でのイベントに参加したり、アメリカの組織にメンバーを送り込んだりしました。また、日米学生協会の調印式で、最も優秀だった学生起業家を表彰する場に参加したんですけれど、そのとき表彰されたのが、僕の横に座っていたDell Computerのマイケル・デルだったんです。当時はまだ有名ではなく、会社に自分の名前をつけるのなんて、面白いなとくらいにしか思わなかったんですが(笑)

―それでは、伊藤忠商事について聞かせてください。なぜ伊藤忠を選ばれたのですか?

まず、海外との接点が大きいことですね。あとは、当時バブルがはじけた93年に就職活動を行っていたのですが、金融やメーカの企業は前向きな雰囲気で採用を行っていなかったといった状況だったんです。そんな、商社も苦しいなかで、海外での経験を評価してもらったということもあります。また、伊藤忠の社風も自由で、アメリカ的な会社であったということも理由の一つですね。

―独立はそのときから考えられていたんですか?

実は、もともとアメリカに戻ってくるつもりでいたんです。そういったことを、面接のときに宣言しました。伊藤忠は、それでも僕に居場所をくれたんです。実際に自由な社風からか、起業を前提に考えられている社員の方は、先輩の社員の方にも結構いましたね。最終的には、グリーンカードのタイミングもきっかけで、アメリカに帰国することになりました。

―最後に、ITAについて聞かせてください。伊藤忠商事からITAに移られて、同僚の方が日本人からアメリカ人に変わったと思うんですけれど、その中で感じた違いを教えてください。

商社時代とあまり変わらないですね。作業の進め方が少し違うぐらいです。昔で言うと、個人の能力が第一といった雰囲気はあったのですが、今はチームで、さらに言えば、競争している会社同士が協力していかなければいけない時代に入ってきたので、その点においては変化を感じますね。

―伊藤忠からITAに移ると同時に、マネージメント・サイドとして働かれるようになって、必要と感じたものを教えてください。

リーダーシップの必要性を感じますね。また、日本ではボトム・アップに象徴されるように、決定もゆっくりなのですが、アメリカだとトップ・ダウンのシステムなので、決断を早く求められることも感じました。

―ITAは、コンサルティングやITソリューションなど、いろいろなことを手がけられていますが、今一番力を入れている事業を教えてください。

ITAでは、IT関連、市場調査、商社機能の3つが柱となっているんですが、今力を入れているのは、日本のアメリカ事業部という総合サービスです。市場調査部門の中にある、企業支援のデパートメントが担当しています。海外進出のためにまだまだ手助けが必要な中小企業や、海外取引に手が回っていない企業を支援するといったものです。

―岸岡さんはアメリカに進出する日本の企業を多く見てこられたと思うのですが、その中で、アメリカで成功する企業の共通点はなんでしょうか?

日本の本社が、世界を見ながら、マーケットを理解して、その中に入り込んで行くということだと思います。日本で売れているから、世界でも売れるに違いないといったような考え方ではだめで、こういうものを売っていこうという意識を持っていなければならない。日本の携帯がいい失敗例で、すごい機能はついているんですけど、海外ではあまり売れてませんよね。

―起業を目指す人たちに一言お願いします。

アメリカは、ダメならダメでも失敗を許す加点主義の社会で、日本は、どちらかというと減点主義的の社会と、温度差はあるんですけれど、とにかく行動、実践、汗をかくに尽きると思います。実践なくして結果はない。何事にも自分が当事者であってもらいたいですね。

岸岡さんのブログ:
http://dblog.dreamgate.gr.jp/user/kishioka/chicago/
シカゴ双葉会日本人学校同窓会
http://ameblo.jp/chicagofutabakai

インタビューアから一言

実は岸岡さん、僕の大学の先輩に当たる方です。なんと学部も同じ法学部。現在も、仕事の傍ら、マラソンやトライアスロンに参加されたり、大学や補習校の同窓会を組織されたりしていると聞き、僕も大人になったら岸岡さんのように、趣味にも仕事にも、精力的かつ行動的でありたいと実感しました。
interviewee_s_74_profile.jpg 後藤匠。1989年、兵庫県生まれ。小学1年から4年生までドイツ・デュッセルドルフに滞在。後に、アメリカ・イリノイ州の高校を卒業後、慶應義塾大学に入学。現在法学部政治学科に在籍。