海外生活体験者・学生インタビューvol.36

倉門亜実さん。1988年、東京生まれ。国内を幾度か移動した後、中学2年でスイス・ジュネーヴに移り住む。インターナショナル・スクールを卒業後、帰国し、現在は早稲田大学法学部1年に在籍。

「ハイジの草原」から「寂れたパリ」へ

i :早速お聞きしますが、スイスは始めての海外経験だったんですか?
k :最初で最後です。今のところは……。
i :そうですか。スイスに行ってどう思いましたか?
k :イメージが違うって思いました。たぶんほとんどの人がそうだと思うんですけど、私も実際に行ってみるまでは「ハイジ」のイメージしかなくて(笑) 山とか草原とかを想像してたんですけど、ジュネーブは全く違いましたね。どちらかというと、ちょっと寂れたパリみたいな感じなんですよ。こんなこと言ったら、ジュネーブの人に怒られちゃいますね(苦笑) とにかく、着いてみたら、山も草原もなくてびっくりしました。
i :「寂れたパリ」ですか(笑)
k :スイスは地域によって街並みが本当に違うんです。文化が違う感じ。もちろんスイスだけじゃなく、どこの国でもそうだと思いますが、ドイツ語圏の地域とフランス語圏であるジュネーブを比べると、街の雰囲気がとても違っていて、ジュネーブはフランスっぽいんです。って、それじゃ、そのまんまですね(笑) 私の中では、パリのイメージに近いけど、でも、もっとこじんまりとしているのがジュネーブ。建物はそれほど高くなく、風合いがあって、旧市街の方は石畳みで。トラムの電線が綺麗に線路みたいに伸びて、空にすごく映えて。ジュネーブの街の景色は最初からすごく好きでした。そのこじんまり感が、居心地がよくて馴染みやすかったので、住む上での不安は特にありませんでした。

ジュネーブのコリアン・ネットワーク

i :では、他に不安だったことはありましたか?
k :そうですね……。やっぱり言葉が分からないのが、とても不安でした。向こうに行ったら、まず英語を勉強することから始めました。スイスに初めて渡ったのが8月で、9月まで英語を少しでも覚えようと、現地で語学学校に通ったんですが、英語が分からない状態で、英語で英語を習うから、宿題が出ても何をするのか分からないことが多かったです。だけど、その語学学校で、ジュネーヴで初めての友達が出来ました。彼女は韓国人だったんですけど、海外在住が長くて、フランス語、イタリア語はべらべらだったんです。でも、英語はほとんど話せないから、語学学校に来ていて。私と彼女の唯一の共通言語が、どちらも片言しか話せない英語だったわけですから、なんで仲良くなれたんだっけって、今でも本当に不思議なんですけど(笑) フィーリングかな? 「笑顔」って言語を駆使してたのかも(笑)
i :それは面白いですね。
k :ええ。でも、その学校は夏休みで終わっちゃって、その子とは会えなくなっちゃったんですが、最初の学校CDLへの転校初日、クラス分けのボードで自分の名前を探していたら、急に別の韓国人の女の子に、「あなたアミでしょ!」って話しかけられたんです。本当にびっくりしました。ジュネーブでの韓国人ネットワークは密だったようです。クリスチャンの家族が、韓国人のキリスト教会へ毎週末ミサに出かけるから、違う学校に通う子同士も、家族ぐるみで仲が良いんだっていうのは、後で友達に教わりました。とにかく、最初の友達のおかげで、転校初日からまた新しい友達が出来て、そんなふうに友達が増えていったから、ろくに英語も話せなかった私なのに、最初から学校が楽しくなりました。彼女たちに会えて本当に幸運でした。

私の「1年半ジンクス」

i :へえ。ってことは、学校は二つ通ったんですか?
k :あ、ごめんなさい! 説明しなくて。そうなんです。最初に通ったのがCDLで、その次がLGBなんですよ。
i :なぜ変えたんですか?
k :CDLにはIBがなかったんです。LGBにはあったから……。
i :それは大変でしたね……。
k :そうですね。私は新しい学校に慣れるのに、大体1年半くらいかかるんです。ちょうど1年半くらい経ったところで、ぐっと学校生活が楽しめるようになるんです。でも、大抵楽しいのがピークになる時期に転校しちゃうことが多くて、それがすごくイヤでした。でも、今考えるとその時転校したことで、すごく鍛えられたんですよ。
i :それはどういうこと?
k :LGBに移ったとき、1年半より今度はもっと早く慣れようと思ったんです。もうだいぶ転校は繰り返してきたし、もっと短くできるかもしれないと思ったのがきっかけだったかもしれません。1年半も膠着(停滞?)状態みたいになるのは、自分がそうさせておいているのかもしれないって思いました。それはもったいない、もっともっと楽しくできるはずって、自分に言い聞かせてたら、本当に少しだけど短くなりました。それでもLGB時代は1年2ヶ月くらいはかかったかな(笑) それに、このおかげで以前と比べていろいろなことに積極的になれました。
i :なるほど、もっと短くですか。ほんとにプラス思考ですね(笑)

スイスから帰国して考えたこと

i :5年間海外で過ごして帰国してからは、どんなことを考えました?
k :私、読解は苦手だったんだ!って思いました。生まれてからスイスに行くまで、ずっと日本に住んでいたし、IBでも日本語を取っていたから読解は大丈夫だと思っていたのに、本当にできなかったんです。新書を読むのは、特に苦労しました。一冊読むのにすごく時間がかかって……。漢字はそんなに困らなかったから、小説等は読めたんですけどね。論理的思考が試されるような文章の読解は、もう……(苦笑)
i :スイスに行ったことのプラス点は?
k :早稲田大学って人数多いじゃないですか。なかなか友達とか出来づらいと思うんですけど、でも、初対面の人に「スイス出身」って言うと、とりあえず覚えてもらえるんです。帰国生っていうことを特別視はしていないから、スイス出身ってことも主張したいわけじゃないんですけど、でもそれが取っ掛かりになるんですよね。それはちょっと武器かな。そこから先知り合っていくための、きっかけになってると思います。
i :マイナス点は日本語?
k :うーん、それもそうなんですが、あと高校や受験を日本でしなかったことですか……。中2のときにスイス行っちゃったので、受験の経験がないのもあって、集中してコンスタントに長期間勉強するってことができないんです(苦笑) それはものすごい欠点だと思います。IBのときも苦労したし、受験勉強のときも苦労しました。なんと言うか、+αの勉強ができないんです。やるべきことが1なら、効率よく1.5を勉強する方法が分からないんです。ポツポツと勉強しちゃって、繋がっていない感じで……。だから、法学部にいけてよかったです。法学部は全体的にみんなすごく勉強するから、私もつられて勉強します(笑)
i :充実した学生生活を送ってるって感じですね。

法学部における充実した大学生活

k :充実してますよ!
i :早稲田大学のどんなところが好きですか?
k :早稲田はとにかくキャンパスがきれいだと思いました。大隈講堂や正門に入って大隈銅像まで続く中央通りとか……。緑もあって建物も風情があって……。ちょっとジュネーブを思い出します。夜、サークル帰りに大隈講堂がライトアップされているのを初めて見たとき、早稲田が好きになりました。
i :サークルは結構遅くまであるんですか?
k :はい。7時30分まであることもあります。勉強会ですね。2年生の先輩がレジュメを作ってきて、民法の勉強などするんです。
i :スイスにいたころから法律をやりたいと思っていたんですか?
k :そうですね……。隣の家に住んでいた夫婦が二人とも弁護士だったんですよ。奥さんの方は企業を対象に仕事をしていたり、大学の教授をやったりしていて、旦那さんの方は法廷弁護士だったんです。進路とかを決めるときに相談に乗ってくれました。
i :へえ、ではずっと法律の勉強をしたいと思っていたんですか?
k :いえ、ニュースキャスターやピア二ストになりたいと思っていたこともあります。ピアノは下手ですけど(笑)

私が一番大切にしていること

i :では、最後に、自分の一番大切にしていることを教えてください。
k :ありきたりなんですけど、後悔しないことですね。毎日それを心懸けています。
i :今日はありがとうございました!
k :いえ、こちらこそ!

インタビューアから一言

倉門さんとはRTNプロジェクトの企画などで一緒に仕事をすることが多いのですが、あまり落ち着いてお話をする機会がなかったので、倉門さんの海外経験が聞けてよかったと思います。帰国生の誰もが海外に行って壁にぶつかるものと思います。僕などは、慣れるのに5年ほどはかかったと思います。しかし、倉門さんは持ち前のプラス思考と明るさでその壁を切り崩し、非常に充実した海外生活が送れたようで、羨ましくもあり、深く尊敬もしました。
伊藤ニコラ。1986年大阪府生まれ。生後直ぐ東京へ移り、3歳まで日本に滞在。その後、イギリスで小学校2年生まで過ごし、日本へ帰国。小学校5年生の終わりに、今度はフランスへ。中・高をフランスの現地校で過ごし、卒業後1年間、美術大学のプレパ(予備校)へ。その後、日本へ戻り、現在早稲田大学人間科学部2年に在学中。