活動報告 「世界の学校から」vol.5 古屋遙 ~前編~

ブリストル大学で演劇を専攻された古屋遙さんからの大学紹介です。学校の紹介にとどまらず、彼女のUKにおける日常生活や芸術活動が、幅広く紹介されております。大学内外において、役者・演出・舞台美術・ショート・フィルム監督・イラストレーション・歌といったさまざまな表現分野で、若きアーティストのマルチに活躍する姿をご覧ください。

report_s5Furuya1.jpg 古屋遙さん。1986年東京生まれ。幼少時代をドイツで過ごし、小中は日本に滞在、高1から再び家族と共にドイツに渡り、フランクフルト・インターナショナル・スクールに4年間通う。中学の頃より没頭していた演劇(パフォーミング・アート)をイギリス人講師の下で3年間学び、彼女の演出に感銘を受けたことから、19歳のときにイギリスに単身留学し、ブリストル大学ドラマ学部シアター、フィルム、テレビジョン学科で3年間演劇・映像を学ぶ。在学中は、大学内外で演劇(役者・演出・舞台美術)・映像(ショートフィルム監督)・イラストレーション・歌といった表現の分野で、マルチに活躍する。卒業後’08年に帰国し、来春よりCM制作会社(太陽企画株式会社)のCMプランナー(企画演出)として映像制作に携わる。

活動報告

大学紹介

ブリストル大学は、イングランド南西部の人口45万人の港町ブリストルに、1976年に創立した。英国内でも、質の高い教育を提供する一流大学として数えられており、中でも、高い教育水準と研究業績を強みとする大学である。最新の研究業績評価(RAE)では、95%の学科が上位のグレード(5*、5、4)にランクされている。全学生の13%が留学生であり、また、総合大学ランキングで、常に上位に入る国際大学としての顔も持つ。 interviewee_s_76_profile.jpg

interviewee_s_76_profile.jpg 学部や施設は中心街に点在しており、100万冊以上の蔵書を備える中央図書館を始めとした複数の図書館や、スポーツセンター、インターネットの利用可能な寮が多数完備されている。また、留学生向けのサポートや就職のための施設もあり、学生の教育・研究に必要な施設・サービスが充実している。街の一角にある6階建ての施設「スチューデントユニオン」は、180を越えるサークル活動の拠点となっており、学生用のパブやシアター、ピアノ室等が完備されており、バンドやダンス、空手、演劇といったサークル活動で常ににぎわっている。

私が所属していたドラマ学部は、プロの劇団も使用する劇場(Wickham Theatre)が拠点となっている。大舞台一つ、小舞台二つ、リハーサル・ルームを複数保有しており、その他、衣装室、工作室、照明機材室等に分かれ、舞台制作の関連業務について学ぶことが出来る上に、映像編集ルーム(Final Cut Pro等)やテクニカルサポートを行う機材室等も完備しており、キャメラ(PD150)の貸し出しも行っているため、学業の傍ら自主制作にも乗り出せる。 interviewee_s_76_profile.jpg

学校生活

●1年目&2年目
本学部では、舞台・映像表現を学術的・実技的双方の面からバランスよく学ぶことが出来るので、私は学期毎に映像・舞台をバランスよく専攻し、表現の幅を広げるよう努めました。

以下が、私が3年間で学んだことの詳細です。

演劇

― スタニスラフスキーの演技論(現実主義の演技論)
― 自然主義の演技論
― 神の演じ方(イギリスの行進劇・路上舞台の歴史・Dario Fo)
― 「自分」(性別・国籍・性格)の演じ方(パフォーマティビティ(演劇化)の研究)
― 法律と演劇の関係(アフリカの演劇)
― 中国京劇の伝統

(実技)スウェーデン民謡の舞台化。チェーホフの『カモメ』、イブセンの『ゴースト』を始めとする舞台発表。「自分」を演じる舞台。卒業舞台制作。(全て役者・演出双方で参加)

映像

― ハリウッド映画論(編集・カメラワーク・色彩・デザインの基礎知識。ストーリーの流れ。)
― ドキュメンタリーフィルム・テレビの表現(真実と表現の関係)

(実技)ショートフィルム制作 複数回(監督として参加 他制作スタッフ一員)

参加サークル

― UBFS(映像制作サークル)
― パントマイム(演劇サークル)
― ミュージックシアターブリストル(演劇サークル)
― STA(舞台装置・背景製作スタッフサークル)
― HELICON(アート雑誌サークル)
― 中国文化交流
― 日本文化交流

大学生活についてですが、はっきり言ってあまり参考にならないかもしれません(笑)あくまで私のケースということで見ていただけると幸いです。

言語(英語)を生業とする本学部では、アジア人は希少であり、私は学部唯一の日本人でした。倍率30倍を潜り抜けた猛者達が集まる中、私は3年間自分なりの表現方法を模索する日々を送りました。机上の勉学のみならず、体当たりの実技(実際に舞台に立ち、先天的なものや実力で成績が左右される)が重視されるので、最初の1・2年、舞台で大役を貰うことすら出来なかった私にとって、ある意味、自分と戦い続けた3年間となりました。

前途多難な渡英

私の渡英は「猛反対」から始まった、もともと前途多難なものでした。ドイツでお世話になったイギリス人の講師に、単身留学について相談したとき、彼女は途 端に険しい顔つきになり、「日本人として舞台に上がりたくなければ、やめなさい」と言い放ちました。「じゃあイギリス人になってやろう」と、挑戦心に燃え る私は渡英を決意しました。私の目標はイギリス人として舞台にあがること、つまりは「日本人」である自分の性質に助けられることなく、純粋に「演技」の質 で対等に舞台に立つことでした。 interviewee_s_76_profile.jpg

在学中は大学内外のオーディションには常に参加し、イギリス人の演技を盗んでは真似て、日々英語の台詞を一人で猛特訓しました。舞台で日本語を話したり、日本人としてだけの演技をしたりするのは、一種の「負け」だと思い込んでいたのです。しかしスタニスラフスキーも言っているように、「役者は自己の本質を捨てて演じることは出来ない」のです。中々大役を貰えることもなく、自然に「イギリス人にはなれないのでは」という疑問を抱き始めていました。

例えば、言語を重視する自然主義の舞台に立ったときは、ネイティブではない語学力とアクセント、アジア人のルックスのために主役である「イギリス人(西洋人)」の役を貰えることはありませんでした。歌唱力と体の表現では出番をいただけるのですが、脇役ばかり、なかなか喋らせてもらえない。2年目の春、「全身麻痺の女性」という、台詞どころか動きすらない役を貰ったときは、生まれて始めての挫折感を味わいました。 interviewee_s_76_profile.jpg

イギリス人講師の言葉を思い出しては、毎日悔し泣きしました。私の中の「日本人」をどうしても避けて通ることが出来ない。2年目はスランプでした。舞台なんて見たくもなかったし、日本の大学への編入を本気で考えていました。後編はこちらから>>