海外生活体験者・社会人インタビューvol.32

interviewee_s_77_profile.jpg 黒津隆広さん。1980年に早稲田大学を卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学。帰国後、フリーライターを経てカメラマンへ。世界70ヵ国以上を巡り、自然や町の風景をカメラに納めている。現在、フォトエッセイストでありながらも、就職情報会社を経営している。

―まず始めに、学生生活について教えてください。

早稲田では、文学部文芸学科で勉強しながら、「ヤング」というテニス・サークルに入っていました。レギュラーとしてシングルスの試合に出ていましたが、あなたのお父さんとも試合をしたことがあるんですよ! 結果は……、お父さんに聞いてね(笑)

そして、大学3年生のときに、ヨーロッパと北アフリカへの6ヶ月の旅に出ました。もちろん、ゼミの論文の発表を終わらせてから行きましたよ。夏から12月まで行っていたので、テストの時期にもかぶらずに行けましたし。バックパッカーでありながら、ヒッチハイクをしながら回っていたのです。

―なにか面白いエピソードがありますか?

一生忘れられない出来事についてお話しましょう(笑)

まずパリに一週間いてから、その後、ロンドンに赴いたのですが、だんだん慣れてきて隙ができていたんでしょう。地下鉄の中で全財産を盗まれたのです! American Expressのトラベラーズ・チェック、日本円、そして、貴重な3ヶ月乗り放題のユーレイルパスを盗まれてしまい、その見事な盗難ぶりに、私は最初、感動してしまいました(苦笑) しかし、そのうち、自分の所持金など全てを盗まれてしまったと思うと、だんだん焦り、警察署へ駆け込みましたが、警察官は全く動揺しませんでしたね。お金が盗まれることは、彼らにとっては日常的なことだったからです。

その後も、所持金約3000円しか持たない、私の困難は続きました。トラベラーズ・チェックの使用を差し止め、新しく再発行してもらうために、イギリスのAmerican Expressに行くと、書く欄がものすごく多い書類を渡され、それを書き終えるまでは、手続きを進めてくれませんでした。そして、ユーレイルパスを再発行してもらうための手続きでも、日本の買ったところからのテレックスや、盗まれたところからの盗難証明書などの書類を集めなければ、再発行してもらえなかったのです。

―それは大変でしたね……。旅は断念したんですか?

困難が度重なる中、私は日本に帰りたいと思うようになりました。幸いパスポートは盗まれていなかったので、日本へ帰国することは可能でしたが、友人や家族に盛大に見送られて6ヶ月のヨーロッパの旅に出たのに、僅か10日で帰国したら、みんなの笑いものだなと思いました。

でも、このままだと、本当にシッポを丸めて日本に帰ることになる。そうしたら、私はもう二度とヨーロッパには来る気にはなれないだろうとも思いました。それだけはまずい。何か必ずいい方法があるはずだ。私は公園のベンチに座り、考えました。世の中には自分より優秀な人は数多くいて、その人たちはきっとこんな試練を簡単に乗り越えていくんだろうな。自分は何をすれば、その優れた人たちと同じくらいになれるんだろう。そう思った時、そうだ「自分は今試されている」。何にかはわからないけど、何かに試されていると思ったんです。そう思うと、自然と勇気が沸いてきました。その後、私はついにこの困難を全て解決する方法を見つけ、無事、ユーレイルパスもトラベラーズ・チェックも再発行してもらうことができたのです。

列車に乗って北上し、ノルウェーの北極圏にあるナルビク(Narvik)という街で雄大な景色を見たとき、日本に帰国しなくて良かったと改めて思いました。だからあなたも、私のような経験をすることはめったにないと思いますが、どんな時でも諦めないで、苦しい時は自分は試されているんだと思ってください。常に高い望みを持って頑張ってください! そうすればいつか絶対良かったと思えるときがあると思います。

―大変な旅のお話ありがとうございます! 諦めないこと、自分は試されていると思うこと……。わかりました! 努力してみます!

―それでは、次の質問なのですが、カメラマンになったきっかけはなんだったのですか?

元々、私はカメラマンではなくて、作家志望だったんですよ。学生時代の先ほどお話した旅行のときに、「オブニ」という日本人向けの新聞をパリで見つけ、その中にアルバイトの情報がたくさん書いてあり、特に「アフリカで通訳求む」という求人がとても多くありました。その内容を見てみると、産油地近辺でのフランス語の通訳を求めるものだったのです。その報酬に私の目が止まりました。街もない砂漠のど真ん中で通訳をするのですから、楽しみなど何もありません。だから報酬はものすごく高かったんです。まるで青春の切り売りですね。

私は大学を卒業したら、フランスに留学して、語学を習得し、サハラ砂漠で通訳をやろうと思いました。そう簡単に作家になれるとは思っていませんでしたからね。そして、その通訳で貯めたお金で、スイスのレマン湖の畔かどこかに別荘を借りて、小説を書き、群像や文学界の新人賞に応募しようと考えていました。そして、お金がなくなったらまたアフリカに通訳に行く(笑) しかし、グルノーブルから帰国後、旅行の記事を書くチャンスに恵まれ、ライターへの道を歩み始めたのです。

その頃、私は父譲りのカメラの趣味もあり、ライターとして海外に取材で回るとき、取材後はカメラマンの横で写真も撮っていたのです。ある取材に行ったときに、いつもと同じように写真をカメラマンの横で撮っていると、カメラマンに「日本へ帰国したら撮った写真を見せてください」と言われたのです。帰国後、写真を見せると、彼は一言「あなたの写真は売れるよ」と言ったのです。写真を取り扱う企業を彼に紹介され、その場で契約することになりました。少しずつ自分の写真が売れるようになると、私は、ライターという決まった場所で記事を書き続ける仕事をするのではなく、カメラマンの方が自分にはあっていると思ったので、今でもカメラを片手に色々な国を巡り歩いています。

―現在は、就職情報会社も経営なさっているんですよね?

現在の就職情報会社を設立するきっかけになったのは、ライターとしてリクルート会社で働いていたときに、たまたま学生旅行のツアー・コンダクターもしていたので、それをヒントに会社を設立したのです。しかし、その後私は一端カメラマンに戻ろうと思うようになり、会社を一部上場の企業に売却したのですが、ひょうんなことから、また同じ業界の仕事をすることになりました。ですから、今ではカメラマンでありながらも、就職情報会社を続けているのです。忙しいですが、後悔はしていません。なぜなら、人に必要とされるやりがいのある仕事をしているからです。

―それでは最後に、就職情報会社に勤めている黒津さんから、就職活動をしている方へアドバイスやどのように準備していけばいいのかなどありましたら、教えてください!

そうですね。リクナビやマイナビといったサイトで、どんな業界があるのか、世の中にはどんな職業があるのかなどチェックするのは大切です。それから、積極的に合同企業セミナーに参加することをお勧めします。網羅的なリクナビライブや就活の基礎知識などを教えてくれる大学生協主催のセミナーなどいいと思います。

エントリーシートや面接の前までには、しっかりと自己分析をすることです。自分はどういう人間なのかということを自分なりに研究し、それからいろいろな企業を見て、どのような仕事をするところなのかを見ながら、自分とマッチする企業を見つけることです。企業研究をしながら、社員とアポイントを取って話してみたり、OBやOGがいれば話を伺ってみたりするといいと思います。それから面接の練習を徹底的にやることを忘れてはいけませんね。

インタビューアから一言

今回のインタビューを通して、黒津さんは色々な貴重な経験をしている方だということがわかりました。父の古くからの友人であるため、幼い頃からお世話になっている方ですが、世界を駆け巡る黒津さんとなかなかゆっくりとお話をする機会がなかったので、今回お時間を頂けて本当に良かったと思いました。黒津さんの言葉にも凄く励まされました(笑) インタビューの記事にはありませんが、最後には私の就活のアドバイスもして頂き、自分に足りない部分も気づかせて下さいました。お忙しい中、インタビューを受けてくださり、本当にありがとうございました。黒津さんのフォト・エッセイは雑誌にも載っていることがあるので、そちらも是非読ませていただきたいと思います。また、旅のお話を聞かせて頂きたいです。
interviewer_s_54_profile.jpg 雄谷麻梨。1989年東京都生まれ。小学校1年生のときに、アメリカ・サンフランシスコに渡り、小学校4年生のときに一旦帰国。その後、中学1年生のときに再度日本を離れ、高校卒業までカナダ・バンクーバーの現地校で過ごす。大学受験のために帰国し、慶應義塾大学に合格。現在、法学部政治学科2年に在学中。スポーツが好きで、夏はテニス、冬はスノボー・サークルにて活動している。