海外生活体験者・社会人インタビューvol.35〜第1編〜

interviewee_s_82_profile.jpg クリストフ・クリタ(Christope Kourita)さん。日本のLycee Franco-Japonais (フランス人学校)で高校を終了後、フランスの大学で医学を専攻するが、卒業後は日本で漫画家になることを決意する。以後、フランスと日本を行き来して漫画や絵コンテを描き、両国で活躍している。代表作に『おだいじに』や『冒険野郎伝説「アヴァンチュリエ」』がある。

―漫画はいつから描いてらっしゃるのですか?

僕は生まれも育ちも東京で、17歳まで東京で暮らしていました。父親が日本人で、母親がフランス人ですが、日本にあるフランス人学校に、幼稚園から高校までずっと通っていました。重要なポイントは、僕は日本で育っているので、日本のテレビを見て、アニメなどもたくさん見ていたことです。

当時は日本のアニメの黄金時代と言われていて、学校にも漫画を描いていた友人がいたんですが、それを見て、「ああ、自分も描いてみたいな」と思ったのが、高校2年生のときでした。それで、友達がシナリオを書き、僕が絵を担当して、大体25ページくらいの漫画をカラーで描いて、自費出版したんですね。印刷所に持って行って、200部くらい刷ったのかなぁ。。。それを、自分の学校や日仏学院などで売りました。高校3年のときでしたね。だから、それが自分の最初の紙に印刷された作品ということになります。

―どういうジャンルのものだったんでしょうか?

SFでした。当時は宇宙戦艦ヤマトがとても流行っていて、それにかなり影響を受けて……。松本零士が大好きなんですよ。それでそういうSF物になったわけです。

―そうですか。ところで、クリタさんは、当初漫画ではなく、医学の道に進もうと思われたんですよね? 理由はなんですか?

その頃は、絵で仕事をしようとなど考えていなかったし、真面目に……って言っちゃおかしいんですけど(笑)、フランスに渡って医学の勉強をすることにしました。でも、そのときにフランスに来ていた手塚治虫に会ったんです。で、絵を見せて、いろいろ批評してくださいって頼んで、「あ、なかなかいいんじゃないですか」って言われて……。

やっぱり、フランスにいると有名人に会える機会っていうのは多いですよね。それで、大学の二年になってからまた絵を描き始めて、大学の雑誌などの挿絵とか、時々描いたりしてました。あと、日本人向けの新聞でOVNIというものがあるんですけど、そこでも連載していましたね。それは「Japonais a Paris(パリに住む日本人)」というタイトルの四コマ漫画でした。

そんなときに、あるシナリオライターに会い、フランスで本を出してみようかという話になったんです。サムライ、まあ、江戸時代を舞台としたオールカラーで、46ページのBD(ベーデー、バンド・デシネの略:フランスの漫画)。始めは出版社などを回ったりしたんですけど、途中でシナリオライターが自分で出版社を作ろうという気になったので、そこで出したんです。それが87年だか88年だったかと思います。それが有名なフランスの漫画フェスティバル、Angoulemeの新人賞にノミネートされたんです。

―そのときに漫画家になろうと思われたのですか?

91年だったかな? フランスで単行本を2、3本出して、そのときからどうしようかと思ってて……。医学部を卒業して、漫画でちょっとトライしてみるかと考えました。専門医になるかどちらかだったんですけど、漫画の方は、少なくとも試してみないと後悔すると思って、卒業したら日本でトライしてみることにしたんです。

―フランスではなく、日本で漫画家デビューをしようと決めた理由は?

フランスでやるよりも、日本でやった方が、やりがいがあると思ったんです。やっぱり、日本のアニメの影響を受けて育ったので、日本のタッチやストーリーの描き方が、自分には向いているんですよね。だから、フランスのBDを読んでも、あまり面白いと思わないし、読んでいて分からない部分が多いんですよ。

まあ、これはBD論になってしまうんですけれど、簡単に言えば「分かりづらい」。あとで読み返して、「あ、このコマはこういうふうにこのコマと繋がっているんだ」とか、「あ、この人物はここに出ていた人物なのか」ってなるんです。もしかしたら、フランス人はその分かりづらさを解読する喜びを感じて読んでいるのかもしれませんね。

でも、そこが日本の漫画と違いますね。日本の漫画は「とにかく読みやすく」、「読んですぐに分かる」なんですね。フランスの絵も、やはり懲りすぎていて、余計な雑音みたいに感じるんです。だから、フランスのBDを読んでいても、あまり面白いとは思わないんですね。

あと、フランス人は、なんていうか、プロ意識というのが、ちょっと足りないというか……。フランスではBDはアートの一種で、わりと作家さんは自由に描けるんです。例えそれが分かりづらくても、そのままのものを尊重するんですよ。こう言うと、いいことのように聞こえますが、逆に、駆け出しの作家さんにアドバイスを与えるのはいいことだと思います。でも、そういうフォローがあまりないんですよ。

あと、マーケット自体が小さいから……。一つの作品がそんなに売れることはないので、簡単に言えば、漫画だけで生きていく作家さんとかも、そんなにはいなということです。だから、日本で、自分に合ったスタイルで、なおかつ、ある程度売ることのできるところで描きたかった。やっぱり、第一に自分の育った場所だし、自分のテイストに合っていたというのもありますね。当時は、フランスでは「漫画」というのはあまり普及していなくて、自分の望む形で出すことは不可能だったんです。第2編はこちら>>

Christope Kourita Website :http://www.kourita.com/
伊藤ニコラ。1986年大阪府生まれ。生後直ぐ東京へ移り、3歳まで日本に滞在。その後、イギリスで小学校2年生まで過ごし、日本へ帰国。小学校5年生の終わりに、今度はフランスへ。中・高をフランスの現地校で過ごし、卒業後1年間、美術大学のプレパ(予備校)へ。その後、日本へ戻り、現在早稲田大学人間科学部2年に在学中。