海外生活体験者・学生インタビューvol.39〜第1編〜

interviewee_s_84_profile.jpg 山田尚輝さん。1987年愛知県豊田市生まれ。中学2年生の時に渡米。アメリカのミシガン州・デトロイト郊外にて中学・高校時代を過ごし、卒業後単身で帰国。’07年4月に早稲田大学に入学、現在は法学部2年に在籍中。2年次を通し、緑法会のゼミ内にて、刑法レクチャー・チーフを務めている。早稲田大学射撃部にも在籍。次期OB主任。

今回は緑法会のゼミの先輩にお話を伺いました。

―初めてアメリカに行ったときは、どうでした?

中学時代、ある日突然父が「俺はアメリカに赴任することになった。お前たちはついてくるか」って聞いて来たんだよ。両親が後から言うには、自分がアメリカに行くと言うとは思ってなかったらしいんだけど、そのとき「行く」って即答して(笑)

今思えば……、ちょっと、ノリみたいなところもあったのかな。それで行ったはいいんだけど、英語が見事なまでに分からない。自分が渡米したのが2001年夏、中学2年のときで、8年生の最初の学期から転入して……。行ったはいいけど、最初の3ヶ月間は全く英語が分からなかった。

9・11の日、端のほうで座って英語の本と格闘していたときに、先生が“oh my god”って言い出したんだ。ニュースをつけたら、映画のような映像がずっと流れてて、“plane”とか“crash”しか聞き取れなかったけど、それをひたすら繰り返してたのを覚えてる。英語は分からないながらも、アメリカが変わっていくのは実感できてたのが印象深かった。

最初のミドルスクール時代は、本当に英語が嫌いで、こんなやつらと関わるかーって思ってた(笑) うちの学校は教育システムが整っていて、1限から7限までESL、そのあと、だんだん慣れてきたらmain streamに入れて、どんどん慣れさせていこうっていう感じのプログラムだったんだけど、初めて英語習い始めた子も、体育だったらできるだろうっていうのがあって。おっかな半分で、体育の授業に初めて行ったわけですよ。そしたら、アメリカ人の独特なノリというか、すごいハイテンションな感じを前に、当時は真面目くんをしてたわけだから、もう「なんなのこいつら」って(笑)

初めて英語で話をしたのは、今でも忘れないんだけど、卒業まで付き合いがあったBrianてヤツがいて、そいつが突然 “what’s up?”って言って来たとき。「は? なんですか?」って感じで、言われても意味が分かんないんだ。唯一聞き取れたのは「What=何」と「up=上」だから、“ceiling?!”って言ったんだ。

周りの外国人も、俺が転校生だから聞き耳立ててたみたいで、そのときみんなに爆笑されて。もう「英語なんて覚えてたまるか。日本男児が!」みたいな。苦手っていうより、「なんなのこいつら」って、そういう感じだったかなあ。今でも忘れない、そう言ったときの、そいつの顔と皆の爆笑具合。

―英語に取り組もうと思ったのはいつですか? どうしてだったんでしょう?

英語やるようになったのは、まあ、これも自分らしいっちゃ自分らしいんだけど、完全に、なんか「流されるまま生きればいいわ」っていうスタンスで、ずーっと今まで来て。英語をやったのも、流されるままっていうのがあって、ちょうどESLのクラスに妹もいて、2歳違いだったから、8年生に自分、6年生に妹がいたんだ。8年生っていうと、そのなかで一番年長さんってイメージがあるし、しかも、日本人の子で同じ学年の子がいなくて、周りは年下の子ばっかりで、その子たちは同じように英語喋れなくて。

あるとき、日本人の子に対して若干やっかみというか、からかいみたいなのをされたときがあった。ESLにも喋れる子と喋れない子がいるわけで、日本人とチャイニーズ、コリアンの派閥で諍いとかがあったんだけど、みんな反論しなかったんだ。それとか、ランチで並んでたら、外国人が急に、並んでるのが日本人だからって、バッて入って来たときがあって。

今だったら“Don‘t cut the line” とかって言えるんだけど、そのときは「横入りするな」って言い方知らなくてさ。「おいちょっと待てよ、これはどう言えばいいんだ?」って思って、当時はすごく真面目だったから、辞書で調べて。次の日誰かが横入りしたときに、素晴らしい文法文法した英語で「ここは私たちが並んでいるところですから、あなたは後ろに行って下さい」みたいなのを言ったの。そしたらあっちも英語でばーばー言い返してきたんだ。

とにかく悔しかったっていうのもあるけど、何より後輩っていうか、下の子たちがいろいろ言われること、それが何よりも自分のことよりも許せなくてさ。自分はへらへらって笑って流せるけど。だから、これはちょっと英語が人と喋れる程度にはならなきゃいけないのかなと思って。それが一番のきっかけだったかな、英語やろうと思ったのは。無駄に責任感があったというか、流されるまま生きるくせに、無駄に責任感があるって感じだったんで。今思えば若かったかな(笑)

―日本帰って来て戸惑いはありました?

実は、そんなに違和感を感じたっていうのはなかった。まず、中学1年2年を経験したっていうのがあって。中学時代に部活に入ってたのよ。そこでも、やっぱり先輩には敬語使わないといけないっていう文化があって、それからアメリカ行って、先輩後輩っていうのがない文化にも適応して、帰ってきた。

実際、今射撃部ってとこに入ってるんだけど、ガチガチのタテ社会なわけで、部活に入ったのは、そのタテ社会っていうものを経験したかったっていうのもあったんだ。将来、会社とか入ったり、まあ、将来どんなことしてくにしても、絶対に、上下関係・先輩後輩の関係っていうのは、一生ついて回るものと思うから、早めに体験しておいてもいいだろうと思った。だから、そこまで違和感っていうのは感じなかったかな。

―先輩は、こちらがお話しているときも、急かさず、目を見て聞いてくださいますよね。後輩としては、とてもお話しやすいです。

うん、たぶん、それはアメリカに行って、二つの異なる環境を経験したのも、かなり大きかったんじゃないかなって思う。アメリカじゃ、苦手なのに、自分の意見を押し通さなきゃっていう感じがあったんだけど、特にここ2年、日本に帰って来てからは、人の話を聞こうっていうふうに思うっていうのはあるよ。

―それについては、何かきっかけなどあったのでしょうか?

きっかけかぁ……。やっぱり向こうにいたときには、先輩後輩って関係がないわけだから、素直に一個人として話を聞くことが普通に出来る。しかしながら、帰って来ると、上下っていう関係があって、で、下の子ってのは上のヤツに心を開きづらいっていうのがあるわけ。今までアメリカで使ってたノリが通用しない。「あれ? おかしいな。」って。そのとき、やっぱり人の話を聞くべきで、何よりそれが必要だなって思った。

やっぱり、なんていうんだろうなあ、相手の気持ちっていうのは、やっぱ言葉に出していただかないとわからない。というか、こっちが分かった気でいても、相手がどう思っているか分からないっていうのがあるから、それを推し量りつつも、分かんないところは人の話を聞いて、相手が話しているときは、絶対に言葉をさえぎらない。それを心がけているっていうのはあるかな。

―自分を押し通すのは、苦手だったんですか?

日本帰って来て、一回、河合塾っていう、ワンクッションを置いてるのも、大きいと思う。今でも楽しかった思い出のひとつなんだけど、寮、入ってたんだ。飛翔寮っていうんだけど。すっごい楽しかった。前にインタビュー受けた木村くん、彼もおんなじ寮に入ってて、まあ、「そうちゃん」とは、部屋が隣同士だったのね。

正直最初は、共同生活っていうのはどないなもんだと思って、で、結構自分は言うのもなんだけど、人見知りしないように見えて案外するタイプで、あんまり自分から積極的に言ったりしないほうで、まあ流されるままというか。来る者は拒まないけど、自分からはそこまでは行かないっていうタイプだったのね。でも、寮に入ってて、みんなに積極的に話せるようになったんだ。

私立終わって、国立受験の時期に入ったころから、特にかな。すごい仲良くなった。風呂に5時から8時まで入れるんだけど、5時から8時近くまで入ってたり、井の頭公園で缶蹴りしたり。いい大人が本気で缶蹴り。この間も、寮のみんなが集まったときに、また缶蹴りしたよ、代々木公園で。毎回会場が違うの(笑)

寮生活を通じて、自分から積極的に発言して行くっていうスキルを学んだのが大きかった。集団生活やってくと、今までやってきた流されるままのスタンスだと、なんかいけないんじゃないかっていうのが芽生え始めて、とたんに発言し出したというか、受動的だけじゃなくて、能動的に動き出したきっかけでもあった。

やっぱり、正直帰国子女って、個性がめちゃくちゃ強い連中の中で、自分は目立たないようにって、日陰者的に生きて来たやつだから。でも、やっぱり寮に入って自己主張すべきだなって再認識した。色んな個性に触れたことで、自分はどんな者か、どんなんだっていうのを確認しとかないと、やっぱり他の人に飲み込まれちゃうと思った。

だから、今でも、流されるのは自分のスタンスだな、まあいいかな、って思ってるんだけど、ある一本の芯みたいなのは……、ここだけは譲れないっていうのは自分で引いてるっていうか。寮生活を通して、一本芯が出来たのが一番の収穫かな。

―芯ですか。芯とは、具体的にはどういうものでしょう?

どうなんだろう。これがね、まだうまく説明出来てない。自分でも、そこはあんまり分かってないっていうか、直感的に自分が嫌だな、これはいいな、っていう線引きがされるっていうか。こっから自分の領域であって、こっから入られると嫌だなっていうところは、みんなあると思うんだけど、その線引きをどこにするか。

たとえばさ、寮生活で、最初は鍵閉めてたんだけど、後半は自分の部屋にある漫画、勝手に持ってっていいよっていうふうになった。俺、後半は一回も鍵閉めたことないんだ、窓もドアも。ま、別にここまでは入って良いなって。パーソナル・スペースが狭まったんだな。

色々な人に対して、「この人こういう考えがあるんだ」「こんな良いところもあるんだ」っていうふうな、考え方のシフト・チェンジが出来た。基本的に、プラスに上積み採点。そういう思考に至るためには、パーソナル・スペースを狭くする必要があると思ってる。ある人に会って、たとえその人の第一印象が悪くても、この人にはこういう良いところがあるんだって、後から見つけるためにも、自分を開けっぴろげにする必要があるなって思った。第2編はこちら>>
倉門亜実。1988年、東京生まれ。国内を幾度か移動した後、中学2年でスイス・ジュネーヴに移り住む。インターナショナル・スクールを卒業後、帰国し、現在は早稲田大学法学部1年に在籍。