海外生活体験者・学生インタビューvol.41〜前編〜

interviewee_s_89_profile.jpg 岸茉利さん。1990年3月23日生まれ。小学校6年生の夏に渡米、フロリダ州オーランドで10年生まで過ごす。06年にリベラル・アーツ・カレッジであるBard Collegeサイモンズロック校1に入学、07年に中退。日本に帰国し、予備校を経て、08年京都大学法学部2に入学。現在に至る。マーチングバンドの管楽器ユーフォニウムを得意とし、フロリダ代表としてチームでヨーロッパ演奏旅行をしたこともある。主としてジェンダー論に興味を抱いており、大学1回生の今、自分の目指す道を精力的に模索中である。

フェミニズムの視点が法学に与えた影響は大きい。かつて、社会における男女の構造的な力関係の不均衡は、「女性は○○である」とその本質を定義することによって「自然化」されてきた。今日、男女という社会的カテゴリー間の力関係、そして、そこにおける構造的暴力が『ジェンダー差別である』と認識されるに至り、法は明示された女性差別を禁止しはじめた。だが今なお、女性が置かれた社会的文脈は、性別階層制という、法が触れなかった区別によってかえって苦しめられている。そして今、フェミニズムの第三期として、そもそも性を人格の本質として語ることこそが問題の根源なのではないかという、『性=人格論批判』も沸き起こっている3

このようなフェミニズム論の激動期において、自分なりにジェンダーと向き合い、男女同一賃金・機会均等をはじめとする、さまざまな「性」に関わる問題に関わろうとする、一人の海外生活経験者に話を聞いた。

アメリカでの経験

「父の転勤でアメリカフロリダ州の公立学校に転入しました。最初はESOLという、いわゆる、英語があまりできない生徒のためのクラスに入ったんですけど、日本人は私以外誰もいなくて、ヒスパニック系の生徒が多かったので、そのクラスそのものがスペイン語ばっかりというか、ヒスパニックの人だけでコミニュテイができてしまっている感じでした。」

英語を全く習っていない状態での渡米、いきなりの現地校……、心細くはなかったのだろうか。 

「ESOLがヒスパニック系ばかりだったので、かえって少数派のポーランド人やフランス人の子と仲良くなれました。やはり境遇が同じだったので、英語がある程度話せるようになっても、ずっと友人関係を築いていけました。特に、フランス人の子は親友と呼べるいい友人で、今でも交流がありますよ。」

「あとは、私の家族の影響も大きいですね。自由な家風なんです。自分で道を切り開け、というのがモットーというか。だから、在学中も結構自由にさせてもらえましたね。6年生で、他の子は親が送り迎えしてもらってる中、なぜか私は自転車で通っていたくらいなんですよ。」


子を信じ、その選ぶ道を尊重する家風は、その後の彼女の進路にも影響を与えたようだ。

「私が10年生の時に、家族が日本に帰国することになったんです。私はまだ日本に帰国したくなくて……。そしたら、両親も「じゃあ帰国しなければいい」と単身残留を認めてくれたんです。」

「単身残留を決め、どこか全寮制の学校はないかと探したんですが、どこもプレッピーというか、いわゆる「固い」学校ばかりだったんですよ。そこに、バード大学の案内状が送られてきて。学校を訪ねてみたら、すごく自由で、私みたいな子がたくさんいて(笑) だから、入学を決めたんです。」


そう言って微笑む彼女は、テンガロンの下から、鮮やかな金髪をのぞかせている。自分の好きなファッションで、自分の興味のある学問に邁進すること。それはアメリカの、しかもリベラルアーツの大学だからこそできたことかもしれない。

では、そのバード大学とは、どのような学校だったのだろうか。大学というと、日本の固定概念で考えてしまいそうだが……?

「なんていうか、特別な学校です。全部で学生300人くらいしかいなくて、3年次からは別の大学に行ったり、留学したりする人がほとんどですね。大学にはかなり年齢幅があって、映画監督の子供とか、著名人の子も多く通っていました。ウディ・アレンの息子も13歳で通っていたし、風変わりな生徒も沢山いて。冬に裸で雪の上を歩く学生さえいたんですよ(笑) あとで凍傷になっていました。」

少人数の、アットホームな学校。授業形態はディスカッション中心である。

「数学とか、一部の科目を除いては、ほとんどディスカッションでした。セミナーが1回生からあるんですよ。与えられた課題を授業の前に読んでおいて、授業で議論する、というスタイルですね。全部が教養学部の大学で、3年次で専攻を決めるんです。」

日本の東京大学のスタイルに似ているようだ。1回生からゼミのような双方向授業を受けられるというのは、自身のディベート能力を深めるのに、かなり役立ったのではないだろうか。しかし、最初から法学を学びたいと思っていたわけではないらしい。

「実は最初は医学部志望だったんですよ。でも、バード大学に数学ができる人が沢山いたので、断念して。ちょうどそのころ、Introduction to gender studyっていうジェンダー論のクラスを受講したんです。もともとは、映画を見る授業だっていうので、「楽しそうだな―」くらいの軽い気持ちで受けたんですけど、いざ受けてみたら、その面白さにどんどん惹かれていきました。これがジェンダー論に対する興味の始まりでしたね。」

日本への帰国

ジェンダー論に惹かれた彼女は、大学中退・日本への帰国という道を決断した。

「バード大学は、どうしても議論中心のクラスです。議論してみると、自分がまだ何も知らないということに気がつきました。まだ、私は「教えてもらう」というスタイルの授業を受けていなかったんですよ。もっと腰を据えて勉強したいと思いました。自分の考えが、日本人的なのかアメリカ人的なのか、どっちつかずの気がしたんです。」

「アメリカの大学への編入はちょっと難しい。そこで日本の大学を調べてみると、少なくとも上智大学は受けられるらしいということがわかったんです。日本へ帰国して、大学で勉強しようと決意しました。」


ジェンダー論というと、社会学部や経済学部という道もあったと思うが、なぜ法学部を選んだのだろう。

「帰国枠で受けられるのが限られていたし、母に法学部を勧められたというのもありますが、なにより、私が女性の労働問題に興味があったというのが大きいですね。日本に帰ってきてから、新聞のお悔やみの記事で、中島通子という女性弁護士の存在を知ったんです4。彼女は女性の労働問題に積極的に取り組んだ方で、彼女の著作を読む中で、私がしたいことはこういうことかもしれない、と感じたわけです。」

しかし他方で、弁護士というのは、あくまでも問題が起こってからのアフターケアという立場になってしまいがちであることも事実であろう。

「そうなんです。労働問題の改善は訴訟だけでは見込めないわけですから。だから今、道を模索している最中です。」後編はこちら>>

1,http://www.bard.edu/
2,http://www.kyoto-u.ac.jp/ja
3,『図書新聞』1998年5月2日内、インタビュー記事「発情装置、ナショナリズムとジェンダーをめぐって」上野千鶴子×斎藤美奈子
4,http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/mixnews/20070806ok01.htm
1967年より弁護士。労働法、家族法専門。「働く女性のための弁護団」共同代表。


吉田瑞穂。1986年生まれ。中学2年の秋に渡英し、4年半をイギリスのロンドンで過ごす。ISL(インターナショナル・スクール・オブ・ロンドン)卒業、IB取得後、京都大学法学部に入学。現在4回生。「薬害肝炎起訴訟を支える学生の会大阪」および「司法研究会」に所属。‘05年国際法学研究会模擬裁判大会において新人賞を獲得。‘06年インターカレッジ・ネゴシエーション・コンペティションに、京都大学代表として出場し、準優勝。