海外生活体験者・社会人インタビューvol.40〜前編〜

interviewee_s_93_profile.jpg 山口久仁子さん。1981年5月、結婚後すぐにジョージア州アトランタへ渡米し、5年間の在住を経て、日本へ帰国。その3年後、1989年からドイツのドュッセルドルフへ。1994年に再度日本へ帰国した後、帰国子女教育のサポートを始める。2001年にロサンゼルスへ再度渡米し、その間3年は活動を休止したが、帰国後に再開する。現在は、帰国子女教育の情報提供・サポートをするボランティア「海外&帰国保護者のサロン:ピアーズ@関西」を運営し、精力的に活動中である。

日本に帰国したのち、自分がどのような進路を選ぶか、あるいはわが子にどのような教育を受けさせるかは、海外生活体験者にとって最も悩ましい問題の一つである。現地で培った語学力を伸ばすのか、不足した日本語力を補うのか。日本で「フツウ」に小中高と進学していくメインストリームから外れることは、視野を広げ自分を高めるチャンスに他ならないが、そこには帰国後に周りから浮いてしまうリスクが常に付き纏う。

海外生活体験者のそんな不安をそっと汲み取り、寄り添う。山口さんの活動は、我々が海外に在って、ふと日本へ目を向けたとき、先の見えない未来へ踏み出す後押しをくれる。そんな存在である。

「主人と結婚してすぐアメリカのアトランタへ渡り、そこで81年から86年まで、5年間過ごしました。どこへ行くにも車を出さなければならないのどかな田舎で、周りに英会話スクールもありませんでした。しかし、娘が1歳9ヵ月差で二人生まれたので、すぐに子育てで忙しくなりました。」

アトランタでの5年間の生活を経て、山口さんは日本へ帰国することになる。

「日本では3年間、西宮で過ごしました。子供はまだ幼稚園生でした。」

「その後、89年から、今度はドイツへ行くことになります。上の子が小学1年生、下の子が幼稚園生の頃のことです。上の子は日本人学校に通わせました。デュッセルドルフは、ヨーロッパではロンドン、パリの次に日本人が多いといわれるほどで、ましてやバブルの前でしたので、在独日本人はかなりたくさんいました。まるで日本人の〈カプセル〉の中にいるみたいで。」

しかし、日本人のコミュニティに閉じこもることはしなかった。

「日本人が多かったので家に空きがなくて、日本人学校の傍には住めなかったんです。結局、日本人学校から一時間ほど離れたところに住むことになりました。学校と自宅が遠いと時間の制約があっていろいろ大変でしたね。日本人学校近くのお友達宅へ学校帰りに遊びに伺うと、下の子を連れて迎えに行かねばならず、お夕飯の支度なども。」

「でも、だんだんちょっと「もったいないな」って思ってきたんですよね。せっかくドイツにいるのに、日本人の〈カプセル〉に閉じこもっていることが。だから、下の子がドイツの小学校1年生にあがるときに、上の子も一緒にドイツの小学校に転入させたんです。最初、学校側は上の子が小2に途中編入することは認めてくれず、小1から入らなければ駄目だと言われたんですが、交渉してなんとか小2へ入れてもらいました。校長先生はドイツ人で英語が喋れなかったので、通訳してもらって交渉したんですよ。」

ドイツで4年間過ごした後、山口さん一家は日本へ再び帰国する。1994年のことだ。

「そのころから、帰国子女教育のサポートを始めました。上の子が小学校6年生の頃です。帰国受け入れ校の情報を提供したりするサポートは、それから7年間ほどやりました。」

このサポートをはじめたきっかけは、知りあいの女性から引き継ぎの声がかかったことだった。

「私が二度目に帰国した94年当時、関西にはある帰国子女教育のサポート団体が存在していました。運営していた方々は、かつてご自分のお子さんたちを帰国子女として日本で育て上げた方たちなのですが、そのお子さんも成人されたりして、そろそろこの団体を解散しようかと考えてらっしゃったようなんです。」

「でも、帰国子女の教育をサポートすることの意義や、そこで果たす紙媒体の力、情報を集めた本を作成することの重要性を考えると、このまま解散してしまうのは惜しい。そこで、私と、私の友人の二人で、この団体を受け継ぐことにしたんです。」

「帰国学級のお母様方の協力もあって、私が編集長となり団体を引き継ぎました。帰国子女受け入れ校の資料部分を改訂したり、学校を訪問したり。あとは、帰国子女とその保護者のご相談に乗ったり、悩みを話し合ったりというのが主な活動でした」。


そんな折、アメリカロサンゼルスへ行くことが決まる。

「2000年に、アメリカのロサンゼルスへ行くことになりました。このとき、上の子は高校3年生で、地元の公立高校へ通っていたため、日本の大学を受験するために日本に残りました。私は上の子をサポートするためにしばらく日本に残り、彼女が合格した後に、下の子と主人がいるロサンゼルスへ移ったわけです。アメリカ行きが決まったとき、下の子は中学3年生の終わりだったため、ロスでは現地のハイスクールに3年間通うことになりました。」

渡米をひかえて、サポート活動に関して、日本にいる内に手を尽くした。

「私は、このサポート活動のグループを「私物化」するのは嫌だったんです。学校訪問のためのマニュアルを作りました。月1回の定例会を持ち、またカウンセリング事業も軌道に乗せ、グループが活動しやすい状態をある程度作り上げたつもりです。こうして、後任の方が引き継げるように道筋を作って、私はロサンゼルスへ渡米したんです。」後編はこちら>>

ピアーズ@関西 website :http://tpeerskansai.web.fc2.com/


吉田瑞穂。1986年生まれ。中学2年の秋に渡英し、4年半をイギリスのロンドンで過ごす。ISL(インターナショナル・スクール・オブ・ロンドン)卒業、IB取得後、京都大学法学部に入学。現在4回生。「薬害肝炎起訴訟を支える学生の会大阪」および「司法研究会」に所属。‘05年国際法学研究会模擬裁判大会において新人賞を獲得。‘06年インターカレッジ・ネゴシエーション・コンペティションに、京都大学代表として出場し、準優勝。