海外生活体験者・学生インタビューvol.44

interviewee_s_94_profile.jpg 隅田裕也さん。1990年神奈川生まれ。2歳のときに渡米し、7歳までカリフォルニア州に滞在。帰国後、12歳の夏まで神奈川県の小学校に通う。15歳までスイスで過ごした後、単身帰国し、早稲田大学付属本庄高校へ進学。卒業後、早稲田大学国際教養学部へ内部進学し、現在2年に在籍。

―海外生活で苦労したことについて、お聞かせ下さい。

スイスに行った当初は、友人との意思疎通ができなかったことです。幼いころに、アメリカに住んでいたので、英語には多少自信があったのですが、自分の英語が全く通じないことには、正直ショックを受けました。ただ、偶然にも、家の近所に同じクラスの生徒がいたこともあり、彼を通して多くの友人を作ることができました。また、彼に宿題や先生の話をより詳しく教えてもらったお陰で、徐々に英語が身に着いて行きました。彼のおかげで、学校生活が非常に楽しく送れたことを、今でも感謝しています。

―英語が喋れないことに苦労したようですが、英語力を上げるためにしたことはなにかありますか?

とにかく、上手く喋れなくても、前に前に出ることです。友達といるときでも、授業中でも、少しでも話題について行けたら、積極的に発言するように努めました。自分の伝えたいことを発言することで、伝わったときの喜びを糧に、前に進むことが出来たのだと思います。僕はとにかく友達が作りたかったので、積極的に話すことは心がけました。

―それでは、海外生活で楽しかったことについてお聞かせください。

やはり、友達と遊びに出掛けることでした(笑) 日本の中学生とは少し違い、もっぱら公園遊ぶことが多かったですね。スケボーをしたり、バスケをしたり、アメフトをしたり、近代的な遊び場はほとんどなかったので、スポーツばかりしていました。アメリカ人やインド人、ドイツ人など、世界中から来た人たちが、人種や年齢に関係なく同じボールを追いかけて日が暮れるまで遊べたことは、いい経験をしたと今でも思っています。今でも、スイス時代の友達と、「あの頃は楽しかったね」と思い出話に耽るのも、僕の楽しみの一つです。

―海外に行ったことで、なにか変化はありましたか?

今までアメリカとスイスに滞在したことがあるのですが、やっぱり海外に行くと、日本との違いをいろいろ感じて、日本を客観的に見るようになりました。スイスでは、日曜日にすべての店が閉まっているんです。日本のコンビニは24時間毎日開いてるわけで、確かに便利ではあるのですが、そこまでする必要があるのかなって思うときがあります。不便だからこそ、ありがたみを持てるんじゃないかなって感じましたね。日本で生活していたときは、考えもしなかったことです。

―帰国後の生活について教えてください。

僕は高校受験をして日本に帰国したのですが、日本に帰ってきた当初は、久しぶりの日本の生活を満喫していました。ひとりで帰国したこともあり、結構自由がきいたんです(笑) でも、やはりスイスが恋しくなりましたね。滞在していたときは、日本に帰りたいって、ずっと思ったんですけど、日本に帰ってくると今度はスイスが恋しいですね。あと、スイスの生活に慣れちゃうと、日本の生活は疲れます。日本人ってせっかちじゃないですか。僕は、昼間から長風呂したり、何の目的もなくのんびり散歩に出かけたりすることが大好きなんです。だから、そういうのに疲れちゃいましたね。

―自分が帰国子女であることについてどう思いますか?

自分が帰国生、帰国子女であることについては、あまり意識していません。あえて言うなら、自分は「ラッキー」だなって思います。いろいろな国に滞在することもできたし、色々な人にも出会えたし。でもちょっと寂しい気持ちもありますね。僕は引っ越しが多かったので、中々深い人間関係が築けなかったと言うか。だけど、その分、友達を大切にするように努めています。今でも、小学校の友達やスイス時代の友達、高校時代の友達と、まめに連絡を取りながら、より深い仲になろうとしています。

―海外生活で特に思い出に残ってることはありますか?

僕の学年は日本人が少なかったので、他の日本人の友達に比べて、多くの外国人の友達ができました。凄く仲良くなって、週末もよく一緒に遊んでいました。僕の住んでいたところは、日本人もあまり住んでいなかったので、現地の人との交流も、他の日本人の人と比べて、多かったと思います。また、森林公園の隣に住んでいたので、野生のシカやイノシシ、ハリネズミ等が庭に出没して、家族全員で大騒ぎしたことを今でもよく覚えています。

―高校を卒業するまで、スイスに滞在しようとは思わなかったのですか?

思わなかったですね。日本にずっと帰りたいって思っていたので(笑) それに、親も日本に帰国する予定だったから、どちらにせよ、高校を卒業することはできなかったんです。ただ、日本にいざ帰るとなったときは、正直ピンと来ませんでした。スイスで通っていた学校では、新学期でも新学年になるタイミングでもない、本当に学校生活の真っ最中に、自分一人だけクラスを抜けることには、非常に違和感がありました。そして、日本に帰ってきてから、何で日本の高校に行くことに反対しなかったのだろうと後悔しましたね。

―日本の高校受験でなにか苦労しましたか?

最初は早稲田本庄を受けるつもりはなかったんですよ(笑) 成績も決して良いとは言えなかったので……。大学受験で早稲田を目指そうと考えていました。しかし、父親の勧めもあり、受けることを決めたんです。だから、志望理由を書くのには苦労しました。一次の書類審査はなんとか通って、二次試験は作文と面接だったのですが、面接もやはり苦労しましたね。現地で塾に通っていたわけじゃないので、面接の練習も父親と一度やっただけで、あとはぶっつけ本番って感じでした。自分の本音と学校生活への意気込みを、とにかく正直に答えるようにしました。

―なぜ国際教養学部に行こうと思ったんですか? 他の学部の選択することは考えなかったんですか?

前から留学したいと思っていたことと、英語を向上させるためですね。帰国したときから、また海外に行きたいと思っていたし、日本にこのまま残っていたら、英語が衰えていく一方だと思うんですよね。日本語は、今後日本で生活することで向上していくと思うんですけど、英語を使う機会は今後どんどん少なくなってしまうと思うので、今のうちに、僕の中途半端な英語を向上させたいと思っているんですよね。

―最後に、一番大切にしていることを教えて下さい!

一番大切にしてることかぁ~(笑) 繋がりですかね? 僕は一人では生きていけない弱い人間です。もしも、無人島に一人で暮らすことになったら、寂しすぎて自殺しちゃうんじゃないかな(笑) だからこそ、自分の周りにある様々人との繋がりを大事にしたいんです。僕がここまで生きてこられたのは、周りにいる人たちが支えてくれたからです。だから、その恩に応えるためにも、絶対にその人たちを裏切らないように努めようと自分の中で決めています。

インタビューアから一言

隅田くんをインタビューしている最中、終止笑いが途絶えませんでした。彼はクラコン、旅行などを率先して計画してくれるなど、行動力抜群、彼のおかげで、ほかのクラスの人とも仲良くなれました。彼の行動力をぜひ見習わなければと思います。今後も彼との交流を大切にしたいと、心からそう思える人物です。

吉房亮介。1988年アメリカ・イリノイ州生まれ。5歳までイリノイ州に滞在後、帰国。小学校6年まで日本で過ごし、後にアメリカ・イリノイ州のAdlai E. Stevenson High School(通称SHS)を卒業後、早稲田大学に入学。現在国際教養学部2年に在籍。