活動報告 vol.22 伊藤ニコラ

昨年12月6日に行われた、読売新聞と香港政庁が共同で企画した全日本英文スピーチコンテスト、通称「香港杯」に参加し、3位に入賞された伊藤ニコラさんからの報告です。もともと、RTNプロジェクト能力開発&人材開発ゼミ(通称すどうゼミ)2008の課題でした。自分の英語能力を試すためもあって参加を決意したそうですが、まさか入賞してしまうとは夢にも思わず、3位発表のときに名前を呼ばれたときは、一瞬呆然としてしまったそうです。

伊藤ニコラ。1986年大阪府生まれ。生後直ぐ東京へ移り、3歳まで日本に滞在。その後、イギリスで小学校2年生まで過ごし、日本へ帰国。小学校5年生の終わりに、今度はフランスへ。中・高をフランスの現地校で過ごし、卒業後1年間、美術大学のプレパ(予備校)へ。その後、日本へ戻り、現在早稲田大学人間科学部3年に在学中。

活動報告

3位入賞に一瞬呆然とする

昨年12月6日に、私は読売新聞と香港政庁が共同で企画した全日本英文スピーチコンテスト、通称「香港杯」に参加し、3位入賞をいただいた。もともと自分の英語能力を試すためもあって参加を決意したわけだが、まさか入賞してしまうとは夢にも思わず、3位発表のときに名前を呼ばれたときは、一瞬呆然としてしまったくらいだ。入賞することで香港への旅行を獲得し、春休みの間2週間、香港政庁とThe Daily Yomiuriの寛大さに甘えて、実に充実した旅行をさせていただいた。

スピーチのテーマは「The Hongkonger’s Identity (香港人のアイデンティティ)」。中国とイギリス、2つの文化の影響が、どのように香港人のアイデンティティを形成したかを問う内容のスピーチだった。しかし、私は幼少時に一度旅行で香港を訪れて以来、香港と大した関わりを持つことなく生きてきたので、香港については全くの無知であった。そんな人間が集めたデータだけを頼りに組み立てたスピーチでは説得力がないのではと思い、自分の多文化的経験も盛り込みつつ、スピーチを構成することにしたのだ。

合計で12日間という短い滞在期間だったため、私は与えたれたほとんどの自由時間を使って、香港中を駆け足で回った。香港島とランタオ島といった大きな島に代表される香港の島々と、本土の一部からなる香港特別行政区は、そこまで広くないにしろ、多様な景色が混合するテリトリーには違いなかった。九龍地域と香港島の北部をはじめとする超高層ビルが立ち並ぶビジネスや観光の中枢から、ランマ島やチュンチャオ島など、少人口の緑あふれる田舎島まで、キャンバスに塗られた色は実に多彩であった。

路上の菓子売りのおじさんの口からは……

さて、原稿を組み立てていたとき、“where east meets west”と頻繁に称される香港は、西洋色の強い地域だと想像していた。しかし、実際に香港を訪れ、人々に会って話をするうちに、私の想像が現実と大分異なっていることに気がついたのだ。

滞在の初日3日間は九龍の高層ビルの中だったが、4日目からはさらに北の田舎のほうにある香港中文大学のゲストハウスに移り、授業などにも参加したため、多くの香港の学生と接する機会に恵まれた。そして、このように環境を変えたことは、まだまだ表面的で浅薄ではあるだろうが、自分の香港人のアイデンティティの理解に役立ったと言える。

香港国際空港に上陸し、九龍のホテルに滞在したはじめの3日間は、常に観光地間を移動していたため、私たち入賞者3人は国際的な空気に包まれていた。多人種的な空間は、今では東京でも六本木や渋谷に行けばあるため、特に香港人と接している感覚がなかった。確かに食文化や建築様式が日本と異なっていても、それは香港が外の国のために用意した一種の箱の包み紙であって、中身ではなかった気がした。しかし、香港について何も知らない自分には、そこでもすでに衝撃はあった。

高層ビルの谷底をしばらく散歩して気づいたことだが、道端で会う多くの香港人は英語をあまり喋らないのである。100年間イギリスの植民地として存在し、小学校から英語教育を行っていると聞いていた香港では、もう少し英語が通じるだろうと思っていた。町で会うほとんどの人がバイリンガルなのだろうとまで想像していた。

ところが、実際に香港に行ってみると、自分の思い込みによって構築されていた想像が完全に間違っていたことに気づいた。九龍観光地の中心の路上で、お菓子を売っていたおじさんに英語で注文をしたら、「?」という顔で眺められた。「あれ?」と思いつつも指で指して注文をしたが、そのおじさんの口から英語が帰ってくることは、その場を離れるまでついになかった。

そして、よく市内の様子を見回しても、ダブルデッカーバスが走る以外に、西洋的アイデンティティを感じさせるものは何もなかった。細く、壁の色がくすんだ高いビルが聳え立つが、それはむしろアジアの特徴である。特に西洋らしき建築様式は見当たらなかった。

政府機関の建物のほとんどは本当に奇抜な建築をしており、地震の多い日本では考えられないくらいのアンバランスなものもあったが、それもアジアではよく見る建築であった。香港は間違いなくアジアの一部なのだと、根本的なことでありながら、思い知らされた。なにを当たり前なことをと感じるかもしれないが、それほどまで自分は香港という場所に対していろいろな偏見を持っていたのである。

しかし、私はそこで安心したのだ。せっかく新しく訪れた国が、日本やヨーロッパと同じでは、面白味もなにもなかっただろう。香港は、当たり前ではあるが、中国の一部であった。

香港人のアイデンティティとは

私は2週間弱の滞在期間の間、できるだけ自分のスピーチのテーマでもあった「香港人のアイデンティティ」というものを調べ、考えた。

まず、香港人の西洋的アイデンティティに関してだが、上でも述べたように、その希薄さには驚いた。英語を話せる人はある程度高い教育水準を受けた人に限られ、ローカルな小さな食堂を構えているおばちゃんなどには、簡単な単語ですらひとつも通じなかった。ちょっとお茶をしようとそんな食堂に入り、注文をした際は大変な思いをしたものだ。

あとでチュンチャオ島の小学校の英語教師の話を聞いたら、どうやらイギリスは香港を「植民地」というよりも「アジアで商売をするための拠点」としてしか考えておらず、特に自分の文化を現地人に押し付けようという意図はなかったそうだ。私はそれを聞いて妙に納得した。わずか2週間という短い滞在期間中に、いろいろと不思議に感じたが、それを解説する答えの「カギ」が、そこに含まれているのだと感じた。

確かに社会システムは西洋のモデルをなぞったものであったが、香港人のアイデンティティが「西洋的」に発達したことはイギリス統治時代もなかったのであり、ずっと中国の一部としての香港という意識が強かったのだろうと感じた。そして、香港政庁が「英語」の価値を見出したのは最近であり、むしろ中国に返還されて10年ほど経った今になって、香港政庁は小学校などでの英語教育の普及を進めているのだ。

だからと言って、香港人が本土中国人と同じかなんて言ったら、香港人に怒られてしまう。私が話した香港人の学生の中には、本土中国人の留学生とはなかなか仲良くなれないという人がいた。香港人にして見れば、本土中国人はすこし横暴で、マナーが悪いのだそうだ。そんな彼らの言うことは、日本人と同じだなと感じた。

しかし、私自身は中国本土を訪れたことはないので、香港人と本土中国人の関係について、あまり勝手なことは言えない。今度香港や中国を訪れることがあれば、香港人と本土中国人との間に生じる意識や価値観のズレを調べることが課題となるだろう。

ツアーの一部として、3日目に、行政機関を3件訪問した。その中でも、Department of Cultureの代表のウィニー・ソウさんのおっしゃったことが耳に残った。これからの香港は「既存の中国文化を土台とし、それを尊重した文化発展」をしていくのだそうだ。この時、私はこれが現在の香港の文化的アイデンティティなのだろうと思った。自分たちの中国的ルーツを意識しつつ、イギリス占領時代より受けた価値観的影響を感じて、新たな文化的アイテンティティを育てていくのだろう。

伊藤ニコラ 香港杯2008スピーチ原稿:
http://www.yomiuri.co.jp/adv/hongkongcup2009/winner03.htm