海外生活体験者・学生インタビューvol.48


K.I.さん。1986年東京生まれ。中学2年のときにフィリピン・マニラへ。International School of Manila を卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅲ類へ進学。09年東京大学農学部5類開発政策経済学専修卒業。4月から外資系投資銀行に就職。

―大学に入学する前はどんな生活だったのですか?

生まれてから中学校の途中まで、東京で過ごしました。クラスの友達と公園で木登りや草野球など、男の子みたいに、毎日泥だらけになって遊んでいた記憶があります(笑) 父親の転勤でフィリピンのマニラへ渡り、中学の途中から高校卒業まで滞在しました。

―フィリピンってどんな国です?

フィリピンという国は、不思議な国だと思っています。5年間住んでいたのですが、私の表現力ではフィリピンという国を定義することができませんし、無理に言葉で表現しようとすると、本当の意味で正確に伝わらない気がします。

スペイン、アメリカ、中国、マレーの文化が混在していて、どれにも偏らない。言語一つとっても、タガログ語がすべての島で通じると思ったら、通じない。7000の島で形成されているフィリピンには「七千島七千色」の文化があって、「これがフィリピンだ!」というものが見つからないんです。

―印象的な出来事とかありましたか?

滞在2年目くらいに、課外活動で地方の子どもたちに英語を教える機会があったのですが、そのときにフィリピン人だと間違われて、日本人だと伝えたら、「英語がうまかったので日本人だとは思わなかった」と言われたんです。

いつもは、「日本人は~」というような固定観念にとらわれない「真の国際人」を目指していましたが、このときはさすがに堪えて、日本人として悔しいと思いました。この体験から、日本人のイメージを変えようと努力しました。

―大学進学についてはどう考えていましたか?

もともとアメリカの大学に行こうと思っていました。日本の大学に行こうと思うようになったのは、卒業する10ヵ月くらい前のことです。卒業後どうするのかと考えるようになり、当時は、もしアメリカの大学に行ったら、もう日本に帰って来られないと思っていました。そう思うと、日本に帰りたいなと考えるようなり、帰国を決意しました。

東大を選んだ理由は3つあります。1つ目に、将来何をやりたいのかが決まってなかったので、専門を3年から学ぶ東大のシステムは、私にとって最適だと思いました。これがアメリカの大学に行きたかった理由でもありました。2つ目に、開発経済を勉強したかったのがあります。中西徹教授を始めとし、開発経済の分野で著名な研究者が多くいるので、東大は学ぶのにいい環境だと考えました。3つ目に、勉強をしたいと思ったら、東大はいろいろな意味で環境が整っていると思いました。

―実際、入ってみてどうでした?

勉強は最初大変かと思ったけれど、追いつけないというわけではなかったし、数学が若干難しいと思ったときもあったけれど、それ以外は思っていたよりは難しくありませんでした。

3年からは農学部の開発政策経済学を専攻して、卒論のテーマは「ベトナムにおける農地面積変動の要因と影響」にしました。農家経済をどのように向上させるかをひたすら調べていましたね。

―勉強以外では、在学中は何をしていましたか?

大学の課外活動は主にテニスをしていました。高校で少しやっていて、運動は大好きなので大学では運動系のサークルに入りたいと思っていたから、テニスでいいかなと思いました。今思うと、熱中できれば何でもよかったと思うけど(笑)

大学に入学した直後は、何でこんなにテニスサークルがあるんだろうって、純粋に疑問に思いました。考えたんですが、多分「ゆきだるま方式」であんなに増えたんだと思う。友達ができる、男女で組める、会話がはずむといった楽しさがどんどん肥大化していって、イメージがよくなった結果、どんどん皆入りたくなる……っていうのが繰り返されて、大きくなったのかな。人間の集団意識をうまく利用できているんではないでしょうか。結局私もテニスには熱中して大会前は早朝4時に起きて毎日練習したり、4年間続けていました(笑)。

―在学中苦労したこととかありますか?

まわりの人に「帰国生」という壁をいかに「薄く」感じさせるか。帰国生というと、英語が話せたり、海外で育ったりと、特別視されることが、初めは少しくすぐったかったんです。こうした壁を作りたくはなかったので、「英語できてすごいよね〜」って言われたら、「でも日本語できないから」と言ったり(笑)

数学や化学ができる人はそこまで騒がれないのに、英語になると突然「すごい!」って思われるのが不思議でした。学問の世界では英語も化学のように一分野に過ぎないのに。これが俗に言う欧米コンプレックスなのか、言葉の持つ力なのか、社会的なトレンドなのか。。。

―4月から社会人ですよね。就職活動はどのように進みましたか?

やりたいことが決まってなかったので、いくつかの業界を受けました。選択肢として考えた業界は金融、コンサル、メーカー、商社です。最終的にはメーカー、商社はやめて、金融とコンサルに絞り、結局外資系金融に決めました。

決めた理由はいくつかあります。まず、そもそもの選択肢の基準が、「どちらの選択肢の方がチャンスが多いか」でした。院に行かずに就職をするのも、後者の方がチャンスが多いと思ったからです。また、金融業界はとても流動的な業界なので、メーカーや商社と比べて、一つのことにとらわれず、色々と経験できると思いました。「100年に一度の不況」と言われていますが、時代を変えてしまうような、無限の可能性と影響力を持つ業界に、どこか危険な魅力を感じたのも事実です(笑)

今の会社を選んだのは、説明会であった社員が面白く、この人たちとなら働きたいな、と思ったからです。それから、ビジネス展開にも興味を持てました。欧州、アジアをプラット・フォームとしている会社なので、日本の外にも多くのチャンスがあると考えました。

苦労したことは、情報収集が十分ではなかったことです。企業説明会、ESの締切りなどをしっかりメモをしなかったせいで、何社か受け損ねました(苦笑) また、私の場合だと、同じ学部内で就活する人が圧倒的に少なかったので、環境の面でも苦労しました。

これから就職活動を迎える学生にアドバイスをお願いします。

まず最初に、締切りなどの情報をしっかり集めて情報を管理すること。企業によってESの開始、期限がちがったりするので大事です。私と同じ失敗を繰り返さないでください(笑) すごく基礎的なことだけど、結構忙しかったり、疲れたりで、こういった失敗はよく聞きますが、純粋にもったいないです。

次に、就職活動には明確な基準がないということを忘れないでください。受験は、基本的にAとBとCができれば受かるという明確な基準があるけれど、就活の場合、それが全てできても内定をもらえるかがわからない。これをやれば絶対成功するというものはないのです。

あらゆる面で対策をしないといけないし、逆に言えばあらゆる面で対策はできないということです。就活は運と縁といいますが、まさにその通りだと思います。たとえ何度か失敗しても深く落ち込まず、自分なりに反省をした後、次を目指す気力を持ち続けることが重要だと思います。

最後に、今の時代は厳しいと言われていますが、仮に希望通りの企業に行けなくても、大丈夫だと思います。終身雇用が神話化しつつある現代社会で、大学受験みたいに一生に一度ではないので、後でいくらでも修正可能です。ですから、長期的な目で就活をするのがいいと思います。その方が気が楽になりますし(笑)

International School of Manila :
http://www.ismanila.org/

インタビューアから一言

大変スマートな感じを受け、面白い話がたくさん聞けました。就活に対する疑問が多かったので、おかげで少しは不安が解消されました。Iさんには、インタビューには書けなかった野望を是非達成してほしいです(笑) 忙しい中、本当にありがとうございました!
井戸翔太。1988年岐阜県生まれ。出生後東京に引っ越す。6歳の時に渡米し、カリフォルニア州サンディエゴに12年間滞在。Rancho Bernardo High School 卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅱ類に入学。去年は英語ディベート部の部長を務め、今年は日本パーラメンタリーディベート連盟国際渉外担当を務める。現在、経済学部3年に在籍。