海外生活体験者・社会人インタビューvol.44〜前編〜

interviewee_s_112_profile.jpg エレーヌ・サルヴィニ・藤田(Helene Salvini Fujita)さん。フランス人の血と日本人の血を併せ持つ28歳の国際人。フランス語、日本語、英語に中国語とドイツ語と5つの言語を操る。生後5歳までをフランス、5歳から12歳の間を日本、12歳から大学卒業までをパリで過ごす。パリ第二大学 Pantheon-Assasの法学部を卒業後、一人東京に移り住み、5年間大手ラグジュアリーブランド、クリスチャン・ディオール(株)にて勤務。ファイン・ジュエリー&ウォッチ部のマーケティング・マネージャーを経て、女優に転身。

自分の中の「日本人サイド」が赤信号を出し始めていた

―エレーヌさんはフランスで大学を卒業されたんですよね。なぜ日本に戻ってこようと思ったのですか?

12歳のときに日本からフランスに戻った日、どれだけのカルチャーショックを受けたか想像できる?(笑) 今でも忘れられないぐらい、とても大きい出来事だったわ。はじめは日本人的な自分が、「パリっ子」たちに囲まれた生活を送ることによって、段々と自分の中の文化のバランスが逆転してしまったの。20歳を過ぎた頃には、自分の中の「日本人サイド」が赤信号を出し始めていたんです(笑)

パリでの生活はもちろん楽しかったけれど、「ずっとこの同じ環境にいて、どこか自分のアイデンティティーが失われていく」って、あるとき不安になったの。回りの環境に溶け込むことが得意だから、パリではとても「ローカル」な生活と人間関係を持っていたわ。ただ、心地良いのに、どこか「抜け出したい」という気持ちがあってしょうがなかった。パリは世界的に有名な街でも、私にとっては「パリっ子」の環境。もっと国際交流ができるところに、自分を置きたくなったの。

―そうして日本に来て、もう5年ですよね。

そうね、本当にあっという間。最初は半年東京、半年北京が私の予定していた1年プラン(笑) 弁護士の道を選択しなかった自分に、どんな仕事が合うのかを見つけるためのjourneyって思っていたの。むしろ、中国で就職を強く考えていたぐらい、あまり東京には長居するつもりはなかったの。

でも、時間が経つにつれて、私の周りには、約20ヵ国くらい、出身の違う人間が集まって、人脈ができたの。国際的な環境が一番しっくりくる。「島国の日本で?」って、大半の人は驚くでしょうけど、実は外国人にとって、東京は最も刺激的な交流の場だと思うわ。

日本の社会はヨーロッパと違って、「日本人」サイドと「外国人」サイドで、2つの世界に別れるの。だから、外国人はどの国出身でも、お互いfirst approachが結構簡単にできちゃう。未だに、渋谷のスクランブル交差点を渡るとき、外国人が近くにいると、すぐにアンテナが立っちゃうわ!(笑)

もちろん、このすばらしい可能性も、英語がわかってのこと。これだけたくさんの異文化交流だと、やっぱり共通語は英語よね。自分にとっては母国語でもないのに、理想の環境に結びつけてくれるこの“国際語”は、いつにか自分の中では、心の「母国語」的な存在になってる。

いくらでも同じシーンを演じたい!

―演劇は、小さいころからかなり練習してたんですか?

実はそうでもないの。私、父親がエリートだったこともあって、アカデミック的には家がすごく厳しかったのね。そういう環境だと、親はどうしても子供に良い学歴も望むもの。だから、私も優秀な成績を目指して、高校時代は文学や哲学を専門に、そして、大学では法律と中国語の勉強に専念したわ。そんな環境だったから、演劇は子供の頃からやってはいても、本当に影の存在。中心的にやりたくても、言えなかった。そのあと、演劇は中学まで続けたけれど、高校・大学と勉強の方が忙しくなってからは、全く何もやらなかったの。

―それでその後大学を卒業して、クリスチャン・ディオール(株)に入社したんですよね。一体どんな経緯で、演劇の世界に移ることにされたんですか?

それが聞いて! すっごく不思議なの(笑) 7、8年前くらいに、ディナーパーティで会ったカナダ人のひとから、3年くらい前かな、ある日電話があって、「僕のこと覚えてる?」って。そこで、「演劇好きだって言ってたよね。広告代理店の社内ビデオに出る人を探しているんだけど、オーディションに来ない?」ってオファーがあって、それに行ったら、受かっちゃったの。それが再スタートのきっかけ。その後も駄目元で行ったオーディションで役がもらえたり、自分から求めなくても他人から声がかかって来たりして、お芝居のきっかけは増えて行ったの。

―なるほど。それでそのあとは、演劇一筋……

ううん、全然(笑) DIORでは、上司や本国のマネージメント・チームからも期待が高かったから、やっぱりそっちの仕事がとにかく priority。だから、自分からはあえて情報は探さなかったんだけど、何かしら自分のネットワークでそういうチャンスが回ってきたの。それでちょこちょこやっていたら、一年半前に舞台のオーディションの話が来て、受けに行ったら、オーディションは2つあったんだけど、どっちも受かっちゃったの(笑)

―えー、すごい!(笑) 役が決まったときは、どんな気持ちでしたか?

最近の流行語で言えば「うれしビックリ!」(ウィンク)。久しぶりで技術も大してないのに、主役に続く重要な役がもらえていいの?って驚いていたのと、長い間封じ込めていた、演劇に対しての情熱が生き返った喜びがあったの。高校入学から10年間、ほとんど何もやっていなかったのに、こんなちょっとしたきっかけでまた演劇に戻れて、本当に感激だったわ。

―それがシェークスピアの『Richard3世』でLady Anneの役を演じたときですか?

そう、それが今年の春に行われた『Richard3世』の舞台ね。去年の秋ごろから、自分がどれだけ演じることが好きなのか、毎日実感したわ。いくらでもリハーサルに通いたい、いくらでも同じシーンを演じたい。私、これのためなら、いくらでも努力したいと思ったのね。仕事もその頃は5年経ってポジションも上がっていたし、すべてが安定していた。安定した仕事を持つことは良いことなんだけど、挑戦好きの私には、ちょっと落ち着きすぎていたのかも(笑) リチャード3世のラストシーン
リチャード3世のラストシーン

全力をつくしたら、私はどこまで達成できるのだろう?

―でも、初仕事で5年間も働いた会社だったら、そこでのお仕事は好きでしたよね?

もちろん。新卒の私が、最初から責任感のある仕事を任されたのは、本当に最高の経験とチャンスだったと思うわ。今、そのキャリアを捨てたからと言って、過去のオフィスワークを後悔しているわけではない。むしろ、そこで勉強になったことは限りないくらい。おかげで精神的にとても成長したと思っている(笑) ただ、皮肉なことに、お給料が年々増えるにつれて、危機感を感じるようになってしまったの。

DIORって有名で多くの人には憧れのブランドでしょ? 名刺を見れば誰でも「わー!」ってなる。そういうのにも、私慣れてきていて、「これをこの先長く続けちゃったら、一生道を切り替えられなくなりそう」って、逆に不安になっちゃったの。今現在の私にとって、人生の目標は社会地位と収入の安定じゃなくて、何よりも自分の心が示す「幸せ」に対して向き合うことなんだなってわかったの。 デイオールとのお別れ:同僚と店舗スタッフから送られた数々の花束
デイオールとのお別れ:同僚と店舗スタッフから送られた数々の花束

―でも、マネージャーの地位から降りるという決断は、そうとう勇気が必要だったと思います。だって、こんなご時世ですもの(苦笑)

確かに。だからもちろん一夜で決心したことではないのよ。色々と悩んで相談して決めた「ライフ・スタイル・チェンジ」。実際これから挑戦する道はキャリアの保証がないから、私にとっては、自分の生活すべてにおいての、再スタートだと思っている。エリート志向でも、親は勉強や仕事以外での充実した生き方を、いつも応援してくれた。人間は仕事のために生きるんではないんだって。とてもフランス人的な発想。親は仕事でない他のactivityを持つことを重視するように私を育ててくれた。「おもしろい、人間味のある」社会人でいてもらいたいから。

残念ながら、キャリア志向のオフィスワークとお芝居に対する情熱は、精神的にも実質的にも両立できなかった。どれも50%でやるぐらいならば、どれか一つを100%、むしろ130%で頑張りたいとしか思えなくなっちゃったの。「実際私が本当に全力を尽くしたら、私はどこまで達成できるのだろう?」オフィスで徹夜していた平均週50時間を、すべてやりたいことに使ったなら、どんなことができるんだろう?って。何もせずに、すでにチャンスは何度も訪れている。このままトライしないではいられない。私結構行動派だから、自分のdestinyは、自分で努力をして手に入れるべきだと思っている。その気持ちだけで、一気にエネルギーがパワーアップするの!(笑)後編はこちら>>
    
    
藤原彩加。1988年生まれ。5歳から9歳までフランス・パリで過ごし、帰国後、東京の小学校に通う。小学校6年からインドネシア・ジャカルタ。中学1年の時に日本に一時帰国、中学2年でインドネシアに戻るが、その直後にカナダに渡り、オタワにある私立高校へ編入。卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学し、現在3年に在籍。RTNプロジェクト広報代表&慶應義塾大学支部代表として活躍。