海外生活体験者・社会人インタビューvol.45

interviewee_s_118_profile.jpg 稲垣隆郎さん。新潟生まれ。一橋大学社会学部卒業後、大手コンビニエンスストアに入社。入社後13年後して海外勤務、ハワイに7年間、テキサスに1年間滞在。帰国後、同業他社に転職。

30年後はどうなりましたか?

―大学時代はどのように過ごされたんでしょうか?

大学時代は一橋大学社会学部に所属していました。大学の半分の時間は、部活の水球に使っていました。

―当時の就職活動について教えて下さい。

4年になって、就職を考えたときに、先輩から次のように言われました。

「30年前、東大の優秀な学生はどのような会社に就職していたか知っていますか?」

それは、当時人気があった「銀行」、「証券」、「商社」などではなく、「造船」、「石炭」、「映画」業界だったと言うのです。

「これらの業界は、30年後はどうなりましたか?」

「企業30年説」ですね。今一番栄えており、人気のある企業や業界は、その後30年を見てみれば、衰退している可能性が高いということです。

正直ここまですごくなるとは思わなかった

―それでコンビに業界に就職したんですね?

ええ、そうです。この言葉がきっかけになり、そもそも私自身が出来上がった会社に就職したくなかったという意識が合致して、私は当時誰も見ていなかった「小売」業界に行くことにしました。当時は、スーパーがやっと出来上がったところであり、商品の注文をするにも電話で行っていたんです。つまり、小売業は最も合理化が遅れている業界の一つでした。ゆえに、小売業で面白い仕事ができると考えたわけです。正直ここまですごくなるとは、思ってもみなかったですけどね(笑)

―仕事はどうでした?

私の務めた会社は、出来て弱冠3年とまだ若く、出来あがっているものが何一つなかったので、いろいろな経験をさせてもらいました。もちろんこれは、裏を返せばすごく大変だったということです。特に、会社のトップが「人の会社を見るな」、「競合の店を見に行くな」という姿勢だったので、全ての仕事を自力で考え、自己流でこなしました。そんなある日、ハワイ転勤の辞令をもらうことになります。

日本人でありながら、彼らからすれば部外者

―ハワイでのプライベートの生活はどうでしたか?

最初は生活に慣れることに苦労しました。例えば、「お金の支払い」です。日本では公共料金などの支払いが、銀行の預金から自動引き落としされます。しかし、アメリカでは小切手で支払わなければなりません。同様に、ハワイでは給料も小切手で支払われるのです。小切手を銀行に持って行き、現金にしてもらう。これを行うのも、慣れるまで最初は大変でしたね。

―仕事の面では、日本とどのような違いがありましたか?

ハワイという独特な文化を持つ場所ゆえに、さまざまな問題が存在します。仕事面においては、それらの問題を乗り越えることが最初は大変でした。ハワイで仕事をし始めたとき、向こうの日系アメリカ人の人に「442、100が何を意味するか知っているか?」と聞かれました。これらが何を意味するかわかりますか? 実は、第2次世界大戦中に、ヨーロッパの西部戦線でドイツ人と戦った日系人部隊の番号なのです。442連隊と100連隊が最も犠牲者と勲章が多かった。

ハワイの日系の方々は、日本の日本人とは異なった歴史と苦労があり、それを認識する必要があるということです。彼らの先祖は日本人でありながらも、今はハワイの人でありアメリカ人です。私たち日本人は彼らから見れば部外者なのです。彼らの歴史とメンタリティをしっかり理解した上でビジネスをしないと、大変だということを実感しました。

意思決定を行うのは、あくまでもトップの人間の仕事

―他にはどんな違いがありましたか?

ハワイでは、アメリカと日本の仕事に対する考え方の違いが浮き彫りとなりました。その代表的な例が、組織としての「意思決定」の仕方です。日本においては、会社の意思決定は組織で行います。プロジェクトに関わる皆に判子を押してもらい、合意の下に意思決定がなされます。しかし、アメリカでは意思決定を行うのはトップの人間なのです。

私も最初は、トップとして会社の決定を行う際、「会社としてどうするか」ということを考えていました。そんなとき、部下の一人に “What do you want?”と聞かれました。これは私にとって、とてもショッキングな言葉でした。向こうでは、会社の意思決定において、「会社はどうしたいか」ではなく、「私はどうしたいのか?」を問うてきます。これは、周りの人が意思決定に参加しないということではありません。周りの人達は、意見を言います。そして、もちろんトップの人間はそれに耳を傾けます。ただ、最終的な意思決定を行うのは、あくまでもトップの人間の仕事なのです。その代わり、責任を負うのも、もちろんトップです。

右手で握手して、左手に銃を持っている

―帰国されて同業他社に転職された理由は何ですか?

7年後、仕事が一段落したのと、子供が小学校6年生で区切りがよかったので、帰国することを決めました。

―プライベートにはどのような影響がありましたか?

英語の本が読めるようになったことですかね。ハリーポッター7巻すべて、翻訳される前に読めたことは嬉しかったです(笑)

―仕事に対する考え方は変わりましたか?

仕事面では、海外生活を通じて、日本が特殊だと気付きました。島国であり、閉鎖的であり、グローバルではないなと感じました。それは特に、「交渉」の方法から見て取れると思います。

アメリカでは、必ず「右手で握手して、左手に銃を持っている」ような交渉を行います。「あんたがこうしなきゃ、私はこうするよ」といった、「レバレッジ」を必ず持っていました。日本では、「衣の下の兜」は卑怯であり、嫌がられます。「信頼関係」や「仲良くやっていく」ということを重視して交渉を行います。

しかし、この方法には限界があると私は考えます。信頼関係は、交渉を有利に進めていくような武器としては、効果が弱すぎるような気がする。日本の政治力がそれを物語っています。国際的なネゴシエーションの戦争の中で、日本がこの先有利に交渉を進めて行くには課題が山積みだと思います。

―将来ついて教えて下さい。

現在、コンビニエンスストアは、出店数こそ増えているものの、93年をピークに店舗当たりの生産性は下がり続けています。段々、スーパーにも侵食されてきています。コンビニ業界は成長の踊り場を過ぎて衰退期に入っているかもしれません。これを何とか盛り返すのが私の今の夢です。

プライベートでは、将来どこかの廃業した農家を買って、自給自足の生活をしたいと思っています(笑)

―最後に、帰国生及びこれから海外体験を考えている学生にメッセージをお願いします。

経済も、文化も一層グローバルになってきています。考え方が一つではないということをしっかり見据え、物事を多面的に考えて活躍してもらいたい。それは、ある意味、日本という基軸となるものをしっかり知ってほしいということの裏返しでもあります。そのために、私は「日本史」を皆さんに勉強してほしい。その中でも特に、「戦国時代」と「明治時代」といった、日本が世界に対してオープンで目的意識を持っていた時代を、是非勉強していただきたいと思っています。

インタビューアーから一言

稲垣さんの話を聞いて、日米の小売ビジネスについて、この方以上に精通している方はいないのではないか、という印象を受けました。また、「今から30年後、どこの産業に活気があるのかは私にはわかりません。しかし、一つ言えることは、今が絶頂期の会社は、30年後、そうでないということです」という言葉は、非常に印象的であり、就職活動をする上で、是非参考にさせていただきたいと感じました。
糸木悠。1987年東京生まれ。6歳から18歳まで、インド・トルコ・ルーマニア・ハンガリー・オランダ・ドイツに、それぞれ数年滞在。ドイツ・ベルリンのBerlin Brandenburg International School(BBIS)を卒業後、東京大学文科Ⅱ類に合格。現在、東京大学経済学部3年に在籍中。