海外生活体験者・学生インタビューvol.58〜前編〜

interviewee_s_124_profile.jpg 竹内友理さん。1987年東京で生まれる。4歳のときに、アメリカ・コネチカット州へ。11歳で帰国するが、中学校卒業後、再びコネチカットへ。Greenwich High School卒業後、東京大学文科Ⅰ類に入学。GEIL、日米学生会議、University of Tokyo Debate Society等、様々な活動を活発に行っている。現在法学部3年に在籍。

最初は日本に来るのが嫌だったのに

東京に生まれ、親の都合で4歳のときにアメリカ・コネチカット州に、父母、そして、生後10ヵ月の弟と行きました。天気のいい環境で、サルみたいに遊びましたね。11歳のときまでコネチカット州にいましたが、親の都合で日本に帰ることになりました。あのときは、“I want to be American!!”と思っていて、ずっとだだこねていたわ(笑)

帰国後、慶応義塾中学校湘南藤沢キャンパス(通称SFC)に通いました。英語の授業はネイティブが担うぐらい、英語教育が熱心な学校で、英語を維持したい当時の私にとっては、ぴったりの中学校でした。SFCは、思ったより楽しいところでした。特に、団結することによって、楽しさが倍増しましたね。例えば、文化祭や体育祭。合唱コンクールではクラス合唱の指揮をしました。チームで頑張るイベントが多く、すごく充実した生活を過ごせました。

中学卒業後、私も友達と同様、高校に進むと思ったのですが、親の都合で、再びコネチカット州に。最初は日本に来るのが嫌だったのに、今度は日本に残りたい私がいました(笑)

毎日の課題が地獄のようにきつくて

2度目のアメリカは大変でした。日米の学校制度の違いで、9年生は2ヵ月間しか在籍しませんでしたが、大変だったのは10年生から。理数系の科目は、上級クラスで問題はなかったのですが、問題は上級(Honors)アメリカ史でした。

とにかく、先生の出した毎日の課題が、地獄のようにきつかったです。3時に家に帰宅すると、毎日3、40ページのテキストを読み、それをもとに出された質問に答えなくてはならず、寝るのが朝の4時でした。宿題に13時間(笑)。テキストを理解しないと質問に答えられないから、テキストを読むのに、すごく時間がかかりました。

これが1年続いたせいか、10年生は勉強しか印象が残ってません。今思うと、かなりいい体験でしたね。春学期からは、アメリカ史の課題に加えて、Les Miserablesのミュージカルに出演しました。この二つの組み合わせで何度も限界を超えました(苦笑)

社会に少しでも希望を与えたい

10年の夏休みの新聞記事をきっかけに、私は社会により貢献しようと思うようになりました。たまたま手に取った新聞に、中国人の男の子の話が載っていて、その青年はすごく優秀で、大学に行きたかったんだけど、両親をなくし貧しい祖父母と住んでいて、そのための試験を受けるお金がなかった。そこで祖父母が全財産を叩いて先生に御馳走をしてお金を貸してもらえるよう相談するも、「無理です」と断言され、希望がなくなった青年は自殺したんです。これを読んだ私は、私の環境はかなり恵まれているんだなと思い、彼らのような人に、少しでも希望を与えたいと思うようになりました。

早速、私は、Global Citizen Corpsというプログラムに参加しました。これは、全国から選抜された50人の高校生によるもので、企画の目的は、高校生にリーダーシップ能力を育成することです。参加した生徒が、住んでいる地域でイベントを開催し、企画終了後、本部に結果報告をするという内容でした。

このプログラムがきっかけとなり、私は多くの企画を立ち上げるようになりました。参加して一番感じたのは、学生は普段信用がないと思われているかもしれないけど、学生だってできることがあるというのと、やらないで後悔するより、やったほうがいいということです。

AIDS、カトリーナ、飢餓、そして、子供たち

11年生のころはAIDSの認識を広げるキャンペーンを立ち上げ、参加者に1日のAIDS死亡者の数を工夫して伝えたり、AIDSを持つ子供たちのためにクリスマスプレゼントを集める企画を立ち上げたりしていました。また、12年生のときは、小学校でイベントを行ったり、カトリーナの被害にあった子供のためにBook Driveを開催したり、飢餓について考えるための体験イベントを開催したりしました。

また、企画を作るだけではなく、From Kid 2 Kidという児童援助団体を設立しました。アメリカの大学へ進学することも考えていたので、どんな活動をするにあたっても学校で好成績を維持することが自分の中での前提条件になっていたので、今思えばかなり必死でした(笑)

イベントに携わっていて思ったのは、アメリカの企業は一般的にこうしたイベントに寛容で、若い人を積極的にサポートしてくれようとする傾向があることです。自分が開催したイベントでもベーグル1年分無料、高級レストランのギフト券など多くの協賛を頂くことができました。ティファニーのブレスレットなどを提供して頂けたりもして、感動しました。大して経験もない高校生の女の子がいきなりやってきて問題意識や夢を語りに行っているだけなのに、それに共感して協力して下さる大人たちが、すごいと思いました。

落ちるところまで落ち、やがて吹っ切れて

日本の大学は、最初考えていませんでした。もともとエール大学を志望していたのですが、不合格だと知ったとき、私は落ちるところまで落ち、初めて自分を客観的に見ることができるようになりました。朝から一人で海に行ったり、かなり鬱でした(苦笑) でも、やがて吹っ切れて、前に進もうと決めました。

日本の大学を考えたのは、国連で働きたいからと思ったからです。良くも悪くも日本の代表として見られるため、恥をかかないよう日本で学び、日本に関する知識を身につけたうえで、代表になりたいと思ったからです。法学部で国際法・国際政治を学ぼうとここで決心しました。また、アメリカにいたら一生日本に戻らないと思い、逆に日本に行けばアメリカに戻る機会があると思いました。(後編へ続く>>)
interviewer_s_126_profile.jpg 井戸翔太。1988年岐阜県生まれ。出生後東京に引っ越す。6歳の時に渡米し、カリフォルニア州サンディエゴに12年間滞在。Rancho Bernardo High School卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅱ類に入学、現在1年に在籍。RTNプロジェクトをはじめ、大学内外で様々な活動を行っている。