海外生活体験者・学生インタビューvol.59

interviewer_s_126_profile.jpg 井戸翔太さん。1988年岐阜県生まれ。出生後東京に引っ越す。6歳の時に渡米し、カリフォルニア州サンディエゴに12年間滞在。Rancho Bernardo High School 卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅱ類に入学。去年は英語ディベート部の部長を務め、今年は日本パーラメンタリーディベート連盟国際渉外担当を務める。現在、経済学部3年に在籍。

知らない間に拉致されて、ゲームに嵌って、猛勉強

―なぜ海外に行ったのですか?

親の会社の関係で、6歳のときに、アメリカのカリフォルニア州に渡りました。はっきり言って「拉致」っていう言葉を使っていいくらい、何もわからない間に連れて行かれました。気がついたら学校の中で……(笑)

―海外での学校生活について教えてください。

小・中学校時代は何も考えていなかったので、特に話せるような面白いことはありませんでした。あえて言うなら、小学校時代は「英語がわからなかったこと」、中学時代は「ゲームに夢中になったこと」です。ほら、Star Craftとか、流行ったじゃないですか(笑)

ゲームにはまり過ぎてしまって、これはヤバイと思い、猛勉強をしたのが高校時代です。勉強を始めた9年生のころは、GPAはわずか2.5程度(苦笑) ここから頑張って、10年生で3.0、11年生で4.0まで、成績を上げることができました。

特に、12年生の時は猛勉強をしました。周りの皆が大学に受かって遊んでいる中で、一人5限、6限を空きコマにして、毎日猛勉強。塾にも通い、11年生まで続けていたマーチングバンドも、勉強のために止めました。辛かったですけど、そのおかげで、現在志望していた大学に入れたわけですから、いい思い出です(笑)

結局のところディベートに嵌って

―なぜ日本に帰国したのですか?

自分にとっての日本というものを考えたかったからです。僕は幼い頃6年間しか日本に住んでいなかったので、それが自分にとってどのようなものかわかりませんでした。もちろん、アメリカにおいても、日本を知る機会は少なからずあります。しかし、それはどうしてもビデオやインターネットを通じてになってしまい、本当の日本を知ることができないと感じたのです。

―大学について教えてください。

入学当時は、駒場祭委員会とUT-Life、そして、University of Tokyo Debating Society (UTDS, 東京大学英語ディベート部)に属していました。もともと企画に携わりたかったので、駒場祭委員会が一番で、その次にUT-Lifeに魅力を感じました。一方のディベート部は、英語能力の維持という程度で参加しました。

しかし、最初に辞めたのはUTライフでした。それはUTライフに参加していても自分が続けて成長する姿が見えませんでした。次に辞めたのが駒場祭委員会。その理由は2つあります。まず、企画は駒場祭委員会にいなくてもできるということに気づいたからです。どこのサークルや団体に属していても、企画は必要ですよね。だから、駒場祭委員会にいなくても、企画はたてられると感じました。もう一つの理由は、ディベートが楽しくなってきたからです(笑)

2年生になると、ディベート一本に集中しました。1年生のときは普通の部員だったのですが、2年生では部長を務めました。部長は、自分を成長させる以上に、部のマネージメントと人材育成を行わなければなりません。人材育成であれば、ディベートの何を教えればいいのか。仮にそれがわかったとしても、どうやって効果的に教えればいいのか。それは、大学で直面した数々の困難の中でも、最も大変なことの一つでした。

これだけでも大変なのですが、普通のクラブはマネージメントと人材育成が制度化され、引き継ぎもシステマチックに行われるので、引き継ぎ書通りに進めていけばうまく回していくことができます。しかし、英語ディベート部にはそもそも引き継ぎ書なるものがなかったので、それを作成する必要がありました。マネージメントと人材育成を制度化し、その引き継ぎ書を作る。この作業が本当に大変でしたね。0から1にするのは本当に大変ですよ(笑)

―部長という経験を通じてどのようなことを学びましたか?

本当に多くを学びました。特に「人は一人じゃ何もできない」ということです。ひと一人の考えは限られています。時間も一日一人当たり24時間しかありません。だから、問題に直面すると、相談をすることが大事です。助けてもらうことが大事です。引き継ぎ書を作るときも、他の部員にアイデアを出してもらったり、分担して仕事をしてもらったりしました。人は一人では本当に無力です。

―この先の学生生活もディベートを続けていくつもりですか?

はい。現在は大学3年生ですが、今年中に単位をすべて取り終えて、4年生はディベートに専念したいと思っているくらいです(笑)

ディベート部では、部長を引退しましたが、引き続き監査として参加しています。また、日本パーラメンタリーディベート連盟においても、今年は渉外を担当させていただくので、今後は責任も大きくなる分、楽しみも増えていくと思っています。

ディベートを続けることで、色々な分野の様々な立場を学び、考える力を養うことができます。また、来年それに専念できるということは、勉強や就活を頑張るインセンティブにもなります。だから、それを続けていくことは、単純にディベートをしたいという欲求を満たしてくれるだけでなく、生活の様々な面で頑張るインセンティブを与えてくれる意味のあることなのです。

で、将来は海外を転々と……

―将来の夢は何ですか?

今の僕の目標はちゃんとした仕事に就くということです。具体的には、戦略系のコンサルティング・ファームのコンサルタントやシンクタンクのリサーチ・アナリストになりたいと思っています。

―それはなぜですか?

それは企業やその戦略に興味があるからです。例えば、マクドナルドのダブルクォーターパウンダーに関してですが、ダブルクォーターパウンダーは日本とニュージーランドにしか売っていないらしいのです。なぜこれらの国だけなのでしょうか? これはマクドナルドのどのような戦略なのでしょうか? こういった企業の戦略に、僕は深い関心を持っています。そして、このような企業戦略に携われるのは、コンサルティング・ファームやシンクタンクです。だから、このような企業に勤めたいと思っているのです。

また、ディベートなどを通して行ったリサーチが楽しかったことも理由の一つです。何かを調べ、知ることは、この先ずっとやっていっても苦にならないと感じました。

―その先の未来にしたいことを教えて下さい。

海外を転々として働きたいです。特に、東南アジアなんて行きたいですね(笑) どんな仕事をしているのかわかりませんが、あまり一つの国に居座るつもりはありません。これは、ずっとアメリカに住んでおり、その後日本に帰ってきて、どちらの国に所属していいかわからないゆえに出てきた結論かもしれません。

帰国子女大学入試・合格体験記vol.15
http://www.rtnproject.com/2008/11/vol15_2.html
活動報告 「世界の学校から」vol.1 Rancho Bernardo High School :
http://www.rtnproject.com/2008/02/post_20.html
University of Tokyo Debating Society (UTDS, 東京大学英語ディベート部) :
http://utdskomaba.googlepages.com
日本パーラメンタリーディベート連盟 :
http://www.jpdu.org

インタビューアーから一言

井戸さんは、知の探究に関して、ひたむきな努力家だということ印象を受けました。また、インタビューの最中も、間をとって考え、整理された説得力のある答えを捻り出す場面が度々見られました。これらはきっと、ディベートに身を捧げてきたゆえに身についた能力なのでしょう。僕も頑張らないと負けてしまう。いや、頑張っても負けてしまう。そんな、常に人の一歩も十歩も先を走っているような人でした。来年には、就職活動を無事に終えて、世界中でディベートを楽しんでいることでしょう。
糸木悠。1987年東京生まれ。6歳から18歳まで、インド・トルコ・ルーマニア・ハンガリー・オランダ・ドイツに、それぞれ数年滞在。ドイツ・ベルリンのBerlin Brandenburg International School(BBIS)を卒業後、東京大学文科Ⅱ類に合格。現在、東京大学経済学部3年に在籍中。大学では、サッカーと株式投資をサークルで行い、金融系のゼミに所属。