海外生活体験者・社会人インタビューvol.46

interviewee_s_128_profile.jpg 高橋悟さん。88年イェール大学大学院美術学部構想設計専攻卒業。卒業後はアートの制作の傍ら、NHKのニューヨーク支部に勤務。97年から01年まで、カーネギーメロン大学美術学部客員助教授を務め、01年から08年まで、ミシガン大学美術学部で准教授として教鞭をとる。08年帰国。現在は京都市立芸術大学美術学部構想設計専攻の准教授として、また、アーティストとしても活動している。
2006年、チリのサンチァゴ。写真は、〈今ここにある〉と〈どこにでもない〉ということをかけた「NoWhere: Vale of Paradise」というインスタレーションである。

チリにはSeptember 11 Streetという名の道がある。1972年のクーデターで大統領官邸にジェット機が衝突した日が由来だが、同じ言葉は米国ではNYのテロの代名詞だ。そしてそのクーデターが始まったValle Paraiso(天国の丘)という地名は、米国にも数箇所存在する。こういった名前や場所のアイデンティティーを使った、「ずれていくような、変な関係性」を表現した作品である。
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「構想設計とは名前だけで、定義はありません。3人先生がいたら3人とも違うことを言うだろうし。京都芸大では、他の彫刻があって版画や油絵やデザインだとか、そこらがやってないことをする、というのをやってきたと思う。多分ね(笑) ネガティブに言えば皆、『マージナルな人たち』なんだよ。」

「ポジティブにいえば、素材や方法に関わらず、自分の発想を大事にして何かを作っていくこと。それが、アートというシステムの中だけでなく、サイエンスなど別の領域、複数のシステムとの関係性の中で、アートというものを見直す。そして、なにか自分が当事者と思える新しい領域を作り出すことです。」

自分が当事者となるアート、構想設計。「他の領域からアートを見つめ直す」というその言葉通り、高橋さんはイェール大学院卒業後の6年間、NHKのNY支部で働いていた。

「僕にとって都合が良かったのは、経済と政治番組のライブ放送だったということ。日本時間の朝の6時45分から7時までの15分間の放送でした。むこう(アメリカ)だと夜の時間なので、僕が勤め始めるのは大体2時間前、4時半ごろに出社して、で仕事は8時半には終わるんですよ。だから半日で仕事が終わる。昼間はハーレムのスタジオでアーティストとして製作して、夜はミッドタウンで、っていうかんじで。アパートはSOHOに持っていたんで、一日マンハッタン中を動いていた。」

「それはそれで面白かったですね。アーティストって、オリジナルなものを作って、どちらかというと、クローズド・サーキットのコミュニケーションだったのだけれども、マスメディアっていうのを間近で見ることができて、どういう風に情報を伝えたり、操作したりするのかってのを学べたから。」

「ちょうど91年が湾岸戦争の最初の方なんですけど、あれは、メディアが半分煽り立てたショーみたいだったっていうのが、すごくよく分かった。」

しかし、TV業界での「時間」に対する考え方に疑問・危機感を覚えた高橋さんは、6年後突然やめてしまう。

「ある日突然きっぱりやめた(笑) でも、そんなことしたら困るもんね。」

次の仕事が決まっていたわけでもなく、再び大学院に入って、建築などの異なる分野を勉強することも考えたそうだ。しかし、社会とよりリアルに関わりたいと考えて、人に教えてもらうよりも、自分が教えてほしいことを教える「先生」になることを選んだ。

「(教員採用に応募した)カーネギーメロン大学が求めていたのは、コンセプトやプロセスを大事にすること。もともと構想設計やっていたし、僕とそこのディーンの人との考え方が似ていたので、あまり苦労せず先生になることができました。」

デパートメント間の区切りのないカーネギーメロン大学では、「コンセプト」という考え方のトレーニングをするコースに、カリキュラム作成段階から関わることとなる。そして4年後、ミシガン大学に異動していた当初のディーンの誘いで、高橋先生もミシガン大学へ移ることになる。

「ミシガン大学では、他所のデパートメントの人と共同で授業が出来るんですよ。Architecture(建築)の人ともやったことあるし、長くやっていたのはメディカル・スクールの人と一緒にアートとメディカルをテーマにした授業です。」

「一番初めにやったのはmanic depression(躁うつ病)をテーマにしたやつでした。患者さんとアートの学生とのコラボレーションで作品を作るというのをやり、そのときに、Emotion(感情)がLowになると、記憶も弱くなるということに気がついたんですね。うつ病になると物覚えが悪くなるのです。それとDementia(痴呆)、Alzheimer’s(アルツハイマー性認知症)と関係があるのかなと思っていたら、次の学期にその分野の先生に誘っていただいたので、じゃあやってみようかなと。それは4年間くらい、色々な方法で続けました。」

昨年、20年以上も暮らしていたアメリカから、古巣の京都市立芸術大学へと拠点を移した。アーティストとしての姿勢も現在進行形で、来年京都国立近代美術館にて発表予定のプロジェクトにも携わっている。

「タイトルは『Trouble in Paradise: 生存のEthics』っていうんです。「生存」をどう訳すのかがわからなくて。Existenceって意味なのかSurvivalって意味なのか。どちらも入れたいから「生存」って言葉にしているんですけれども。これは医療・環境・宇宙工学をテーマに、「人間」と「時間」と「空間」の概念、つまりは、近代モダニズムの基本概念を再構築する。そうすることで、それぞれの孕む問題を再び考え直すアートプロジェクトを進めています。僕だけでなくて、京都芸大の他の先生や京都大学の人にも共同研究者として入ってもらっていて。それから、つくば宇宙センターの先生方にも関わってもらっています。」

アーティストとして、一教師として、物事を多様な角度から見直すことをずっと伝えてきた。それはアート・スクールだけでなく、どんな分野にも通じる、普遍的なメッセージだ。

「1000人がアート・スクールを卒業しても、良くて5人くらいしかアーティストにはなれない。じゃあ残りの995人は失敗したのか? それは違う。「アーティスト」じゃなくてもいい。パン屋さんでもいいのかもしれない。自分の日常の中で、なにかクリエイティブなものを生み出すことが出来れば、それでいいと僕は思います。」


「アート・スクールにありがちな、GeniusがGeniusを育てるのではなく、凡人が凡人を育てて凡人になってもらう(笑) 世の中で普通に生きていくことを学んで欲しいと思ってきました。Ready Madeのものではない、Originalな関わり方を探すことが一番大事なんちゃうかなと。つまり、自分で自分のメニューを作る。ゲリラ的でもいい。でも、世の中からIsolate(孤立)されないよう工夫して、世の中と結びついて、自分の現場を作って当事者になる方法を探すこと。難しいよね。」

自分の目線で捉えたことを、「アート」にする構想設計は戸口が広い。かといって、これは自己中心的に終わることのない、世の中とのつながりを保つ「アート」である。キーワードは、クリエイティブで面白いこと。どうだろう。今までは遠い存在だったかもしれない「アート」が、身近に感じられないだろうか。

インタビューアから一言

今年5月に、高橋先生の構想設計ゼミに所属する友人の「交換」という課題で、私は友人の代わりにゼミに出席した。高橋先生むっちゃおもろいで! という友人の言葉通りだった。「これは何? どうして?」と学生の自由な思考経路を重視する授業は、「枠組み」に押し込める法学部の講義に慣れきっていた私にとって、斬新で刺激的だった。自分の興味の範囲で面白いことをしつつも、KYにはならない。(先生!「KY=空気読めない」です!)やや厚かましいかもしれないが、私も自分の表現の手段を使って「アーティスト」になれるのかな、とも思った。
interviewee_s_89_profile.jpg 岸茉利。1990年3月23日生まれ。小学校6年生の夏に渡米、フロリダ州オーランドで10年生まで過ごす。06年にリベラル・アーツ・カレッジであるBard Collegeサイモンズロック校に入学、07年に中退。日本に帰国し、予備校を経て、08年京都大学法学部に入学。現在に至る。マーチングバンドの管楽 器ユーフォニウムを得意とし、フロリダ代表としてチームでヨーロッパ演奏旅行をしたこともある。主としてジェンダー論に興味を抱いており、大学2回生の今、自分の目指す道を精力的に模索中である。