海外生活体験者・社会人インタビューvol.49〜前編〜

interviewee_s_133_profile.jpg 森辺一樹さん。1974年生まれ。中学高校をシンガポールで7年弱過ごす。シンガポール・アメリカン・スクールを卒業し、帰国後は法政大学経営学部経営学科に入学、学外で様々な活動をする。現オリンパス株式会社を経て、2002年に現在のストラテジック・デシジョン・イニシアティブの前身となるSDI香港法人を設立し、中国でのリサーチ、マーケティング事業を開始。その後、中国本土に100%子会社を設立。07年に本社を東京へ移転し、ベンチャーキャピタルを中心に約3億円の資金を調達。事業領域を新興国全域に広げ、現在に至る。

女の子にもてるのが英語上達の秘訣

―海外での生活はどうでしたか?

当時向こうに日本人学校は中学校までしかなくて、父親の転勤が長期になりそうだったので、数ヵ月日本人学校に行きましたが、そのままアメリカン・スクールに入れられました。

向こうでの生活はというと、最初の2年間は全然英語が話せなくて、友達ができませんでした。ですが、幸いにも僕の場合は、英語は出来なくても女の子にはもてたので(笑)、外国人の女の子とつきあうことで英語が徐々に上達していきました。英語が出来るようになると、友達も増えてきましたね。

向こうでのライフスタイルは、ジャパニーズ・アジアン・アメリカンといった感じ。シンガポールは多国籍の国ですからね。僕の行っていた学校は、7割がアメリカ人で、3割がカナダ人を中心とした外国籍の人たちでした。家に帰るとそこは日本で、一歩外に出ると街は多国籍の国。学校はアメリカン。面白い世界に住んでいたと思います。

―学校の雰囲気はどんな感じでしたか?

とにかく楽しかったですね。衝撃だったのは、学校が日本の学校とまったく違うってこと。まず教育方針が違う。当時の日本では、先生は生徒に今で言う体罰を与えることは普通で、僕なんかは幼稚園からしばかれ続けてきましたよ(苦笑) でも、アメリカの学校は違った。間違いを起こしたら、全て校長先生に呼ばれて、ディテンションという、体罰ではないちょっとした「お仕置き」をくらう。生徒の問題行動にいちいち校長先生が出てきて、罰則を与えるのはちょっと意外でしたね。

日本の部活動に少々疑問

―僕も向こうでディテンションくらったことあります(笑) 学校では何かスポーツをされていましたか?

中学、高校と、テニス、サッカー、野球、アメフト、色々なスポーツを経験しました。ここでも日本との違いを感じましたね。日本だと部活動は1年の時に選んだら、後は3年間続けるか、それともやめるかでしょ? アメリカのプログラムだと、一年に4シーズンあって、スポーツの種目がシーズンごとに違うので、色々楽しめます。つまり、チョイスが出来るということ。もちろん、特定種目でプロになりたい人は、通常プログラムとは別にプロ育成プログラムに入る仕組みになっている。僕はこの仕組みはいいと思います。

逆に、日本の部活動って少し疑問を感じますね。 例えば、高校野球の例で言うと、学生の人生を拘束し過ぎ。プロになれるのは甲子園へ行ったチームの中でも優勝接戦したチームで、尚且つその中のほんの一握りの選手で、なれない人が大半であるということ。にも関わらず、日本の部活動のシステムが、その人の部活以外の全ての人生を犠牲にしてしまう。確かに、何か一つのことに打ち込めることは素晴らしいことだし、良い思い出になるかもしれない。と言うか、そう思うしかない。でも、他の選択肢を犠牲にしてまで、プロになれる可能性が極めて低い一つスポーツを徹底せざるを得ない仕組みはどうかと思います。青春かもしれないけどね(笑) だけど、実際にプロになった人、なれなかった人と話していて、やっぱりそういうふうに思います。やはり、スポーツを楽しむ選択肢とプロになる選択肢が選べる仕組みの方が素晴らしいと思います。部活が精神力を鍛えるというのは理解しますが、犠牲が多すぎますよね。

―非常に共感できます。僕も中学は日本で部活動でしたけど、やり過ぎですね。スイスにいって、練習が週2回なのは衝撃でした。でも、それでも密度が濃いから問題ないんですよ。

ああ、もう一つ思い出した! 日本は先輩・後輩システムがあるでしょう? 年功序列の学生版みたいな(笑)。アメリカの学校には全くないことに驚きました。至って実力主義。上手い者が上。1年も2年も3年も一緒。でも、これが正しいと思う。だって、たった1、2歳年上か年下ってことだけでしょう? そう考えると、先輩・後輩システムって仕組みは、バカらしいと思いませんか?

下級生が上級生より優っていることなんて往々にしてあるし、そもそも才能は年齢でカバーはできないと思います。なのに、下級生に実力で負けている上級生は、学生という、一番感受性が高く可能性が無限大にある時期に、下級生に負けているという認識に、必要以上に自分の負けを巨大化させてします。これはあまりに酷だと思います。下級生に負けたっていいんですよ。認識すべきは実力で負けていることであって、相手が下級生とか上級生とかは関係ない。年齢なんかで勝負しないで、実力で勝負すべきだと思います。

「ベストキッド」に憧れて空手部に入る

―なるほど。確かにそういった弊害はありますよね。森辺さんは日本でそのような体験はしましたか?

僕は日本の大学に入って、数ヶ月の間だけだけど空手部に入ったんですよ。準部かな。サークルのような雰囲気ではなかった気がします。「ベストキッド」って映画知ってます? 海外では「空手キッド」という映画なんです。この映画は、アメリカの青年が日本人の師匠について、空手を学んで強くなっていくサクセスストーリーで、僕はこれに憧れて、軽く汗流す程度で(笑) プロの空手家になる夢はなかったので。

それで、入部してみたのはいいんだけれど、先輩のお下がりの学ラン着用を強要され、さらに下駄を履かされた。飲み会に行けば、先輩の接待をするのが1年の仕事。練習でも1年は雑用しかやらせてもらえず、型の稽古などの空手の練習はほとんどできない。もちろん、上級生と試合をして実力で負けたら相手のお世話をするけど、勝負もさせずに学年の違いだけで絶対的な権力を持つのはおかしいと、そのとき思ったんですね。これをもし4年間続けていたら、大学生活がもったいないと思った。ある意味、その環境が普通になり、人間にとって最も怖い慣れが、それが普通だという人格までをも形成してしまい、最終的にはそれが幸せになり、誇りにもなるわけですが、でも僕はそんな選択肢は嫌でしたね。

僕が個人的に思うに、この教育の仕組みが国際化を遅らせていると思う。もちろん、目上の方には敬意を払ったり、組織内でのマナーを学んだり、良い面もたくさんあるんだけど、でも、やっぱりどこか違う。合理的じゃないと思う。そう思いませんか? 言っておきますが、私は超愛国者です。日本を否定するのではなく、この国を世界で勝てる国にしたくて、こんなこと言っています(笑)

シンガポールで得たもの、それは古川英太との絆

―はい、そう思います(笑) 海外生活で苦労したことはなんですか?

うーん。。。基本的に、環境が変わることにそれほど抵抗感を持つ方ではなかったから、あまり苦労はしなかったかな。生活スタイルも受け入れることができたから、むしろシンガポールでの生活はとても楽しかったですね。当時のシンガポールの学校は、アメリカ人も多かったけれど、日本人も多かったですし。

一番の良かったことは、古川英太との出会い。僕が13歳のときだったかな、確か。海外の高校に行くと、みんな離ればなれになるのが普通でしょう? でも、僕は古川英太とは大学に入っても就職しても、ずっとしょっちゅう会ってましたね。彼と会社を立ち上げて、それからずっと一緒に事業をやってきているほど、かけがえのない親友なんです。人にとって一番大切なモノは絆だと思う。彼とは、異国の地に住んでいる同じ日本人ということで、凄く仲良くなれた。知り合ってからは、学校ではほぼ毎日一緒にいたなぁ。他の日本人も集まってきて、日本人のコミュニティーが出来ました。よく、日本人だけで集まっていると、英語力が伸びないとか、アメリカ社会に馴染めなくなるとか、デメリットが良く言われるでしょう? でも、自分の立ち位置をどうするかで、いくらでも対応出来ると思っています。

大学時代に得たもの、それは片岡信矢と谷村真の二人

―大学生活はどうでしたか?

本当に勉強をしなかったな。そもそも中学も高校もまったく勉強せずに、高校の先生からは君が行ける大学はないよと言われていたからね(苦笑) だけど、入れてくれる大学があったので、ラッキーって感じで、いざ入学したらアルバイトばかりしてました(笑) 塾の講師、コンピュータのインストラクター。出来ないくせに、時給が良いから無理やりやって出来るようになって稼いでました(笑) 毎月20万近く稼いでましたね。

大学の勉強も教養を学ぶ上で大事だけど、社会との接点というか、外でしか得られない交流とか経験は、自分にとってはそれ以上に貴重なものでした。結果論ですけどね。お金を稼ぎたいという思いもあったけど、その根底には、小学校のころから持っていた「将来は自分はなんとなく社長になるんだろうな」という馬鹿な思い込みがあったから、自分の中では自然と優先順位をつけていたのかもしれません。

大学時代も、やはり「人との出会い」や「絆」は、僕が会社を立ち上げるのに大きな影響を与えてくれました。僕の大学生活で得たものはこの2人。片岡信矢と谷村真。バイトを通じて出会い、今は一緒に事業をしている。教科書からは得られない、自分の右腕と左腕の存在。友達と一緒に事業をやるのはすごく楽しい。もちろん、辛いことも乗り越えなければならないことも多いですけどね。後編はこちら>>
interviewer_s_47_profile.jpg 倉門和遠。1986年東京生まれ。高校1年まで日本で過ごすが、その後、父の転勤により、スイスのジュネーブでおよそ4年間過ごす。 International School of Genevaを卒業後、大学受験のため日本へ帰国。慶應義塾大学に進学し、現在法学部法律学科3年に在学中。