海外生活体験者・社会人インタビューvol.49〜後編〜

interviewee_s_133_profile.jpg 森辺一樹さん。1974年生まれ。中学高校をシンガポールで7年弱過ごす。シンガポール・アメリカン・スクールを卒業し、帰国後は法政大学経営学部経営学科に入学、学外で様々な活動をする。現オリンパス株式会社を経て、2002年に現在のストラテジック・デシジョン・イニシアティブの前身となるSDI香港法人を設立し、中国でのリサーチ、マーケティング事業を開始。その後、中国本土に100%子会社を設立。07年に本社を東京へ移転し、ベンチャーキャピタルを中心に約3億円の資金を調達。事業領域を新興国全域に広げ、現在に至る。

フォーブスの「億万長者ランキング」と世界地図

―もし、もう一度学生からやり直せるとしたら何をしたいですか?

めっちゃ勉強する!!(笑) そして東大に入るよ。出来るなら中学から始めたいですねぇ。全てのことをパーフェクトにこなしたい。で、高校生のときには起業する!!(爆) こういう想像を結構するんだよね、実は。やっぱり、幼い頃からなんとなっく自分は社長になるんだろうなという思い込みがあって、それが「なりたい」になったのがアメリカン・スクールの時。図書館でたまたま手にとったフォーブスの「億万長者ランキング」を見ていて、自分はこのランキングの1位になりたいと思ったんです。

ちょうどバブルが弾けて、ランキングには日本人があまりいなくて、そのことに不満を持った。だからこそより一層絶対になってやるって信念みたいなものがありましたね。別にお金が好きってわけじゃないけど、お金は誰かに感謝されてその対価としてもらうもので、ランキングに載るような人は世界を動かしていて、また、社会貢献もしている。ランキングにいる人の役職はほとんど社長。そうならないとフォーブスに載らないんだということを知ったんです。とにかくびっくりしたのを覚えてます。衝撃的でした。

これを見てから世界地図が大好きになった。土地の絶対面積は絶対に変わらないですよね? そうすると、人間の歴史は戦争を繰り返すことで土地を奪っていることが分かる。土地を奪うと付随して資源がついてくる。今でこそNOだけど、人類が争いの中で求めてきたものは土地と、もう一つはお金なんです。お金は色々な通貨があるにせよ、お金の絶対額というものは変わらない。この限られた土地の中に絶対額が変わらないお金があって、この増えない二つのうちの限られたお金がどこの大陸に移動しているのかが世界経済なんですね。もちろん、レバレッジということも考える必要がありますけどね。

今は世界情勢をみてみると、中国に集まっていますよね。とすると、自動的に西側諸国や日本や他の中東に集まるお金は減る。そうすると、お金の流れて来る土地でビジネスするのが、もっとも成功する可能性が高いということに気づいたんです。これが起業したきっかけかな。

もうひとつは、日本企業は新興国へ展開しているものの、そのでの仕事の内容は、何かを「新興国で安く製造」しに来ている。一方で欧米企業は「新興国へ売り」にも来ている。日本は新興国をマーケットとして全然捉えていなかったんです。今でこそ、グローバル化の煽りを受けて、マーケットとして捉え始めて来ているけれど、まだまだ未発展で、日本企業はもっと新興国進出できるなと考えて、そこにビジネスチャンスがあるのを見い出しました。

―最近の大学生を見ていて思うことはありますか?

とにかくうらやましい。大学生というだけでうらやましい。なんたって自由でしょう?(笑) 僕は今の日本の大学生に留年しろと言いたいですね。なぜかと言うと、あまりに狭い中でしか物事を捉えられないんです。試験管の中で物思いに耽っているような。遊んでばっかりいる人は人生見つめ直して欲しいし、勉強ばかりしている人は勉強以外に面白さを見い出して欲しい。日本にばかりいる人は海外放浪したりして、世界の広さというモノを実感して欲しい。人間って、基本的に全く逆のことをしないでしょ? だからこそどんどん興味関心の幅が狭くなって行きます。もっと色々見たり聞いたりして、自分の価値観を広げるべきだと思うよ。もっと自分の鎧をとっぱらって、冒険すべきです!

100万握り締めて、いきなり中国へ行く

―起業するまでの経緯はどのような感じでしたか?

僕は、とりあえず、何するかも考えずに中国にいきなり行ったんです。100万円握りしめてね。でも、もちろん現地語は話せない。だから、日本企業に営業に行ったんだけど、もともと工場を作りに来ていたので、マーケットを調べることをほとんど必要としていないことが分かりました。現地の日本企業は物作りに関しては本当によく知っているんです。でもね、中国で作ったモノを輸出して収益をあげるという、既存のビジネスしかしていなかった。僕は、それは非常にもったいない状況だと思いました。こんなに中国が成長しているのに、そこにビジネスを展開しない手はないと。

しかし、中国という巨大な市場に狙いをつけ、内需獲得のために打って出るには、マーケティングをしなければならない。作るという行為は、自発的行為でなんとでもなる。極端に言えば、自分中心に行われる自己満足な行為でしかないわけです。しかし、売るという行為は、相手があっての話。買ってもらうのは取引先なので、ニーズをきちんと把握するためのマーケティングやリサーチが必要とされる時代だと直観しました。新興国が経済的に豊かになっているので、まずはそこから始めようと思い立ったんです。

―起業して最初にぶつかった壁はなんですか?

まずは、会社を立ち上げたのに、なにも知らなかったという事実。脱サラして始めたので、全てがゼロからのスタートだったわけです。でも、なんとか諦めずにやっていくことで、少しずつ分かってきて、今考えると起業して本当に良かったと思ってます。今の35歳のサラリーマンと勝負してもまず負けない。脱サラしてから7年間、いろんな苦労を経験するうちに、凝縮されて得た経験は凄く濃いし、一人でも生き抜く力が得られたと思う。例えば、大手のサラリーマンがクビね、と言われた場合、大抵は再就職しか自分が生きていく術がない。でも僕にはある。自らお金を稼げる。その強さを学べたのは本当に良かったと思います。

―仕事でやりがいを感じるときはどんな時ですか?

我々が、リサーチやマーケティングしたことで、現地でシェアを獲ったと聞いて、クライアントに感謝されたときかな。それがやりがい。あと、ちょっと脱線するけど、僕は現地でマーケティングするときは、現地化というのがとても大事な要素だと思っていて、ものを売るためにはその現地に住む人がトップに立って経営していくべきだと思っています。日本企業の現地法人は、ほとんどのトップが日本人なんです。トップがリーダーなり指導者となって、安い労働力を駆使していいものを作る。これは非常に得意とする分野。

でも、売るということになったら、そうはいかない。日本人が指導者になったら何が売れるのか? 日本がその国の何を知っているのか? よく、「私は5年現地に滞在していたか現地のことはなんでもわかっている」、という人がいるんだけど、それはあくまで「日本人として」のレベルなんですよね。日本人がよく言う、その「分かっている」というレベルは、現地の人と比べると全然お話にならない。日本以外でモノを売るとなったら、そういう分かっているだけじゃ足りないですから。「現地を知る」ことは現地の人にしかできないことなんです。もちろん、現地人ならだれでもできるわけでもないですけどね。

ベンチャーは、要はべジータなんだ

―今日はありがとうございました。最後に帰国生に一言お願いします!

あの時(海外にいた時)の感覚を忘れずに。ふと気がついてみると、忘れているでしょ? あそこで感じたものを決して忘れないようにして下さい。貴方たちは特別です! 特別な使命があるはずです!!

―就活生に向けてのメッセージもお願いします。

就職だけが全てじゃないぞ。起業するのも一つの選択肢だよ(笑) 大企業もベンチャーも面白い。とにかく有名なところに入るのが全てとか、そこの内定取ったモノが勝者だとは決して思わないこと。実際に勝負がつくのは5年10年たってからなんだから。

中途半端な大企業に入っても、言われたことだけをやるのでは、自己の成長はあまり望めません。大企業は仕組みが出来ているから、優秀な社員が言われた仕事だけを淡々とこなすことで、会社が儲かる仕組みになっていいますから。

逆に、ベンチャーは仕組み自体がまだまだ作られていないから、能力のある人、もしくはない人でも、無理矢理ハードルの高いことをやらされるから、自分の限界を超えることになり、結果的に能力が上がる。

要はベジータなんだ(笑) 彼はサイヤ人の中で最後までスーパーサイヤ人になれなかった。でも、倒されて、死にそうになって、強くなって、また倒されて、死にそうになって、強くなってを、繰り返して繰り返して、強くなって行った。あれがベンチャー。でも、大企業で働くと倒されることはない。もしあっても、死にそうになるまで倒されることはない。だからしょせんクリリン程度にしかならないし、なれない。

だからこそ、帰国生&就活生諸君、人生はたった一度です!
ごちゃごちゃ考えず、自分のなりたい将来像にひたすら進んでください。
きっと道は開けます。
諦めない限り。

―今日は本当にありがとうございました!

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interviewer_s_47_profile.jpg 倉門和遠。1986年東京生まれ。高校1年まで日本で過ごすが、その後、父の転勤により、スイスのジュネーブでおよそ4年間過ごす。 International School of Genevaを卒業後、大学受験のため日本へ帰国。慶應義塾大学に進学し、現在法学部法律学科3年に在学中。