海外生活体験者・社会人インタビューvol.50

interviewee_s_133_profile.jpg 武石彰さん。82年東京大学教養学部教養学科国際関係論卒業後、三菱総合研究所に入社。社内の留学制度を利用し、マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院経営学修士(M.S.)取得。その後企業に戻り、再びマサチューセッツ工科大学スローン経営大学院Ph.D.(経営学)取得。98年に帰国後、98年一橋大学イノベーション研究センターの助教授に就任。同教授を経て、08年から、京都大学大学院経済学研究科教授を務める。

小さい頃からアメリカは良いところ!って思ってた

―今日はよろしくお願いします! まずは先生の留学経験を聴かせてください!

僕は、2回留学していて、1回目が88年から90年までで、MITのスローン・スクールで、経営学の修士を取った。修士号のタイトルは、正式にはMSなんだけど、基本的にはMBAと同じだね。2回目は94年から98年までで、また同じMITで、今度は経営学のPh.Dを取った。1回目は、当時勤めていた三菱総合研究所から派遣されて留学したけど、2回目は会社を辞めて、自分で留学に行った。

―何故、留学しようと思ったのですか?

60年代初めに、僕が3歳から4歳のときに父親の研究の仕事の関係でアメリカに住んでいた。アメリカが最も輝いていた時期だね。その影響もあってか、アメリカの文化や音楽、映画、小説などは好きだったな。アメリカは良いところ!って、僕は小さいころから思っていたんだよね。だからかな。それが理由の一つ目だね。

もう一つは、会社の先輩で留学する人がいたからかな。もともと何となく興味はあったんだけど、周りの人が留学するのをみて、段々行きたくなってきて、出張なんかで、留学した人のもとを訪ねたり、その際にハーバード大学やMITの先生なんかにインタビューしたりして、それで、良い大学だなあって思って、行きたくなったんだよね。

それで、TOEFLやGMATなんかを勉強して、会社の留学制度に応募して、最終的に選抜されて、MITに行った。

論文を書くことがものすごく楽しかった

―何故MITに、留学したいと思ったのですか?

MITの他にも受かったところはあったけど、MITは前にも出張で行ったりして、いい雰囲気のところだなあと思っていたし、あと、当時のMITのビジネススクールは修士論文があって、それが良いと思ったのかな。京大の経済学部みたいな感じで、卒業論文を必ず書けというものではなかったのだけど、書いてもよかった。修士論文を書きたいと思ったし、それが面白いと思ったんだよね。

会社では自動車業界関連の調査や研究などを行っていて、MITには、当時自動車業界に関する調査をしている人なら必ず知っているっていう修士論文を書いた人がいた。その修士論文に感銘を受けて、僕自身もそれに書いてあるようなことをやってみたい!って思ったんだ。

それで、MBA留学して、僕の修士論文の出来がスローン・スクールの修士論文の中で一番出来が良かったりして、最優秀賞ももらったりした。修士論文の指導教官(ゼミのようなものではない)に気に入られて、Ph.Dコースに誘われたりしたんだけど、会社のお金で留学していたし、ひとまず会社に戻った。

Ph.Dコースは本当に苦しかった

―再び留学しようと思った理由を教えてください!

会社に戻ってから数年働いて、指導教官から誘われていたこともあって、また留学したいなって考えたんだよね。

修士論文を書くのはものすごく楽しかった。会社では、色々なプロジェクトを並行して行ったり、やりたくないこともやったりで、深夜まで働いていたりしたけど、留学していた時は、修士論文だけをやっていればよかったから、充実してたんだ。それをもう一度やりたい!って、思ったんだよね。

あと、MITがあるケンブリッジっていう街がすごく気に入ってたのも大きいね。学生が世界中から来ていて、たくさんいて活気があるし、雰囲気がとっても好きで、また住みたいと思ったんだよね。

それで、悩んだ末にまた留学した。でも、MBAのときと違って、Ph.Dコースは本当に苦しかった。MBAは、良い成績を取ろうと思ったら大変だけど、卒業ならなんとかやっていけたんだよ。会社から派遣されて留学していたから、収入もあったし、夏休みは自由だったから、旅行もたくさんしていたなあ。旅行はニューヨークや、カナダ、バハマとか行っていたかな。

でも、Ph.Dコースは本当に苦しかった。MITから生活費や研究費としてお金は貰っていたけど、会社をやめていたから収入もなかったし、MBAと違って、必要な単位を取れば卒業出来るっていうのはないからね。良い論文を書かないと、いつまでたっても卒業できない。色々頑張ってなんとか3年半で卒業したんだ。

そのあとは、一橋大学に就職した。

人生の目標に対してしっかり考える

―留学して、武石先生が得たものを教えてください!

まずは、当然英語力だね。英語は得意じゃないけど、リーディングは出来るようになった。書くのもまあまあ出来るようになった。それから、博士号まで取ったから、大学の先生になれたかな。ドクターまでいってなかったら、大学の教授にはならなかったかもしれない。

あと、大きいのはアメリカ人の友人だね。特に親しいのは、一人がMITの指導教官。もう一人が小さい頃アメリカに住んでいたときからの友人。彼は地質学者だ。留学してから、とても親しくなって、お互いの家に泊めたり、泊めてもらったりもしながら、人生についていろいろな話をするようになった。その二人はドクター取っているから、一般的なアメリカ人とはちょっと違うかもしれないけど、アメリカ人は自分の人生の目標に対して、しっかり考えているなあって思った。それまで、自分の人生をある程度考えていたつもりだったのだけど、改めて聞かれてみると答えられなかったりすることがあって、留学する以前だったら流されていて考えなかったようなことを、ちゃんと考えるようになった。特にそれは、2回目の留学に対して影響が強いかな。彼らといろいろなことを話すのは今でも続いているし、今でもとても大切なことなんだ。

歳をとってからの勉強は楽しい

―留学した際には、何が印象に残っていますか?

そりゃあ、勉強が大変だったってことだ(笑) 30歳から2年間留学して、次は36歳から40歳まで。留学していたときは、本当にたくさん勉強したし、30歳過ぎてからそんなに勉強するなんて、珍しい経験を出来たと思うよ。

歳をとってからの勉強は、目的がはっきりしているから、楽しかったかな。大変だったけどね。小さい頃にアメリカに住んでいたけど、英語は忘れていたから得意ではなかったし、何書いてあるかわからないような本をたくさん読まされたし。

他には、最初に言ったけど、音楽が好きだったからボストンで音楽をたくさん聴いていたかな。クラシック、ジャズ、ロックなんかのコンサートに散々行った。小さなライブハウスに有名な人が来たりして、すごく楽しかったなあ。ボストン・オーケストラのコンサートにも行ったなあ。友達の家を訪ねて、泊まりに行ったりとか、プライベートの付き合い方も面白かった。

アメリカはすごく楽しかったけど、メシが美味いわけではないから永住するのは難しいかな。ハンバーガーも、不味いわけではないけど、美味しいわけではないよね(笑) 温泉もないしね(笑)

ある程度目標を持ったら、そこに向かって邁進する

―最後に、武石先生がなぜイノベーションを専攻しているか教えてください!

元々、三菱総合研究所で、自動車業界に関する調査なんかを行なっていたし、MBA留学した際も、自動車業界について修士論文を書いたんだ。2回目の留学でも、自動車の製品開発のことを研究していた。それが、イノベーションの分野だったわけで、Ph.D修得後は一橋のイノベーション研究センターに誘われて、面白そうだったから就職して、さらにイノベーションのことを研究するようになった。

確固たる目標があって、イノベーションのことを研究するようになったわけではないんだよね(笑) 会社で元々、そういうことをしていたからであるという理由が大きい。やってみたら面白いとか、楽しいとかを基準にして、進む方向を選んでいる。一橋大学から京都大学に来たのも、京都も楽しそうって思ったから。

事前に長期的な計画や目標をもっていたわけじゃないよ。元々、大学の教授にはなるつもりはなかったしね。気が付いたらなっていた。でも、流されているわけではなくて、それぞれの段階で、自分である程度の目標とか方針を立てて、その都度その都度、そこに向かって邁進、頑張っていく。そういう意識を持って、考えている。

インタビューアから一言

武石先生は、僕の大学のゼミの教授なので、毎回お世話になっています! 今回のインタビューで、武石先生の独特の雰囲気の正体が少し掴めたような気がします(笑) インタビューに応じていただき、そして非常に興味深い、ためになるお話をありがとうございました。記事に出来なかったお話もありますが、それらも非常に面白いものばかりです。今後も、ご指導鞭撻のほどよろしくお願いします!
interviewer_s_57_profile.jpg 山下博之。1988年神奈川県生まれ。小学校6年生の時に渡米し、カルフォルニアに在住。以後、日本人学校に10年生まで通い、その後、West High Schoolに転入し、卒業まで在籍。帰国し、京都大学へ入学。現在、経済学部2回生。