海外生活体験者・社会人インタビューvol.52〜前編〜

interviewee_s_138_profile.jpg 石丸由紀さん。1974年愛媛生まれ。小学校から12年間アメリカに在住。帰国後、東京大学文科Ⅰ類に入学。法学部に進学後、通訳学校に通っているうちに、仕事が舞い込み、卒業前に独学で通訳を始める。現在は、フリーランスの通訳者・翻訳者として、映画・舞台・ファッション・IT・金融業界など、多方面で活躍中。旅行、映画、音楽、舞台が好きで、最近始めた趣味は乗馬。

自分の常識世界の「非常識」

―日本に戻ってきて、自分が帰国子女であるということを、どう感じましたか?

私のそれまでの常識世界の「非常識」と思いましたね(笑) 私が当たり前だと思っていることが、悉く……というわけではないのですが、大小はありますが、異なるのです。自分の思い込みを、常識だと思っていること自体を疑う。何事も当り前だと考えてはならないと痛感しました。

どんどんと仕事が広がっていく

―石丸さんは通訳としてご活躍ですが、初めてのお仕事はなんだったのですか?

ソフトウェア会社のイベントで、設営プロジェクターのテクニカル・ディレクターの通訳が初めてでした。イベント会場の通訳みたいな感じですね。

―現在の仕事の状態になるまでのキャリアを教えてください。

キャリアは色々幅広いというか、全部が積みあがって出来たという感じですね(笑) ソフトウェア会社の仕事もまだやっているんです。Perlという言語をご存知ですか? コンピューター言語、プログラミング言語ですが、通訳とは全然関係ない縁でやらないかと言われて、社長の講演の通訳をやらせていただきました。そのお客さんのなかに、「今度はテーマパーク会社をやらないか?」と仰って下さった方がいて、そこに通訳を出している通訳派遣会社に紹介してもらいました。ソフトウェア会社もテーマパーク会社の通訳も、まだ続けてやっています。

テーマパーク会社のところから、渡辺謙さんの仕事にも繋がりましたし、劇団四季にも繋がりました。さらに、ソフトウェア会社の方からIT系の会社の仕事をいただいて、それも今でも続いているんですね。そうこうしているうちに、テーマパーク会社の仕事でご一緒させてもらった通訳の方から、今度は金融系、証券会社を紹介してもらい、それももう5年くらいやっています。映画も、一本やるごとに、そこからのつながりが出てきて、これの翻訳をしてみませんか?というのが続いて行くんです。

すごく恵まれているんですね。私が自分からというのではなくて、周りに「すいません」「ありがとうございます」「ごめんなさい」っていうばかりなのですが、どんどん仕事が広がって行くんです。だから、紹介してもらってる人の顔は絶対潰せません。「どうしてこんな人よこしたの」って言われると申し訳ないですよね。その人に報いるためにも、頑張らないといけない。

知らないことを知るのが楽しい

―もともといろんな分野に興味があったのですか?

興味はあります。なんにでも興味はあります(笑) 知らないことが大好きです。知らないことを知るのが楽しいというのが、根本にあるかもしれないですね。あまり知っているところばかりにいくと、楽で、段々つまらなくなってくるんです。

―そんなに幅広く活動してらしていることを、ご自分では、どう思われますか?

舞台や映画、あと、ファッションの通訳もするんですが、それは修飾語の世界なんですよね。その一方でITというのは、動詞と名詞の世界なんです。ただ、ITの世界も修飾語はつけるときはありますから、エンターテイメントの世界で修飾語を使っているから役に立ちます。修飾語の世界の方については、スピーディに話す人に対して、ついて行ける人があまり多くない。ITの世界は変化がすごく早いので、そのスピードがこっちでは役に立ちます。

やはり、私は珍しいらしいんですね。普通は、ある業界に特化して行くんです。IT通訳とか、舞台通訳とか。私は、どちらもやっている自分がバランスがとれていると思うんですね。だから、どちらかに特化するつもりはないです。

サハラ砂漠でも携帯は通じる

―それだけ多方面に活動していたら、すごい仕事量ですよね。

スケジュール的にキャーって言いたくなるときはありますね。。。そういう時はキャーって言います。たまに携帯の通じないところへ消えます(笑)。

でも、けっこう通じるんですよね、どこでも。サハラ砂漠まで行けば通じないだろうと思ったら、通じちゃったんですよ!(笑) 今はマチュピチュ(編集者注:ペルーにある世界遺産で、標高2280mにある)に行けば通じないんじゃないかと思っています(笑)

触れられないはずのものに触れる

―そもそも通訳を志そうと思った理由はなんですか?

就職活動をしている中で、企業に入るという選択は、自分にはあまり向いてないと思いました。では、私ができることってなんだろうと思ったときに、私は幸か不幸か、英語と日本語ができる。言語が通じない辛さ切なさも知っている。自分が伝えたいことが、言葉の違いがあるから伝えられない切なさを知っていて、そこを私がお手伝いできるところなんじゃないかと思いました。

それから、私は、アメリカに行ったときに、色んな人に手助けしてもらっている。帰国子女は、みんなそうだと思うんですよね。どの国に行っても、その国の人にすごく助けてもらっているはずなんです。先生であれ、先生の友だちであれ。私は日本に帰ってきた後も、友だちに助けられ、先生に助けられ、それを今度ご恩返しできるとしたら、語学だって思ったんです。

―通訳という仕事の魅力とは?

全然触れられるはずのないところに触れられる。たとえば、すごく大きなフォーラムであったりとか、新製品の発表であったりとか、なかなかその場にいられないじゃないですか? でも、その場にいることができる。

私はある業界に特化していないので、いろんな業界のことが体験できるんですね。それはITであったり金融であったり、あるいは一番ドラスティックなのが、エンターテイメントです。私は映画をやっているんですが、IT企業に勤めている方が映画製作の現場には出ないじゃないですか。かわりに映画の製作に関わっている人がvistaの発表にはいないじゃないですか。でも、私はたまたま全部やっているから、現場にいられる。十の人生をいっぺんにやっているようなものですね(笑)

相手にどこまで寄り添えるか

―仕事をする上で心掛けていることはなんですか?

相手の心に寄り添うこと。たとえば、私がなにか言ったら、横山さんは英語に直せるじゃないですか。通訳して下さいと言ったら、できなくはないですよね? そういうものだと思うんですよ。帰国子女はいっぱいいますし。

その中で、訳すだけならできる人は多いかもしれないけれども、相手が何を言おうとしているのか。言葉と言葉があって、その周りにも、ちゃんと言葉になっていない、もやもやというか、ひらひらがある。そこが一番個性になったりするわけですよね。そこを拾いたいと思いながら通訳しています。

―「どこまで寄り添えるか」と言われたんですけど、それは具体的にどういうことなのでしょうか? 歩み寄りということですか?

歩み寄りじゃないんですよね。歩み寄りは妥協なので、やはり「寄り添う」んです。どこまでその人の立場に立って、その人の言わんとしていることを、どこまで汲みとれるか。それが大事だと思います。後編はこちら>>
interviewer_s_59_profile.jpg 横山知子。1988年三重県生まれ。小学校・中学校をマレーシアの日本人学校、高校をマレーシアのインターナショナルスクールですごす。計14年間滞在し、The International School of Kuala Lumpurを卒業後、早稲田大学教育学部へ入学。現在2年に在学中。