海外生活体験者・社会人インタビューvol.54〜前編〜

report_19fujiwara_1.jpg 藤原彰子さん。新聞記者の父の転勤に伴い、6歳から11歳までの5年間をエジプトのカイロで過ごす。その後、中学2年から高校1年終了の3年間をイタリア・ローマに滞在。日本の高校に編入後、学習院大学に入学。入学直後の8月からエジプトのカイロ・アメリカン大学へ留学し、約2年間にわたりエジプト考古学などを学ぶ。学習院大学に復学し卒業後、読売新聞社に入社。「読売新聞」の外資系の広告営業担当、英字紙「ザ・デイリーヨミウリ」の広告営業担当を経て、現在広告局マーケティング部で調査や取材などを担当。

エジプト・カイロ、イタリア・ローマ、そして再び

―まず海外滞在経験を簡単に教えていただけますか?

父親が新聞記者だったので、転勤で幼稚園の年長からエジプトのカイロに渡りました。5年間の滞在です。それから日本に帰国し、小6から中1まで日本で過ごしました。中2の4月から、イタリアのローマでインターナショナル・スクールに通い、そして、高校2年に再び日本に帰国しました。

日本で大学受験をし、日本の大学に入学したのですが、半年でエジプトに留学したんですね。というのも、当初父親がエジプトのカイロに再度駐在していたんです。以前から留学したいと思っていたのと、親元から通えるなら安いということで、留学を決意しました。

エジプトにあるカイロ・アメリカン大学に通いました。この大学は、もともとアメリカ人が創立した大学です。エジプト大統領夫人も卒業生だったように、世界的にも評価の高い大学です。海外滞在年数は合計10年くらいですね。

―帰国生の中でも、エジプトに滞在したことのある方はなかなかいらっしゃらないですよね。エジプトの治安はいかがでした? 治安が悪いというイメージなんですが……。

その当時、治安は悪くなかったんですよね。もちろん泥棒やスリなどは多かったですが、今と比べて、大きな犯罪は少なかったと思います。エジプトはそのころテレビは2チャンネルしかなくて、今のような情報化社会ではなかったです。ここ10年くらいなんですよね、世界中の情報が急激に入ってきたのは。

もともとエジプトはイギリスやフランスの植民地だったので、文化や生活は西洋に大きく影響されていて、エジプトに訪れた多くの人は、どこかイギリスやフランスに似ているところを感じると思います。上層部の人たちは英語・フランス語・アラビア語の3ヵ国語を混ぜて会話しているのを良く聞きました。ただ、20年くらい前は、一般庶民の中に西洋文化はあまり入っていませんでした。

暑いからあまりものを考えていると疲れる(笑)

―現地の人はどういった生活をされているんですか?

エジプトは貧富の差が激しいのです。エジプトにはピラミッドがあるけれど、社会もピラミッド型といった感じです。上層部の金持ちはほんとに一握りのひとだけで、国民のほとんどは下層部。1ヵ月1万円以下で生活している人がほとんどじゃないでしょうか。大金持ちの人は、ひと月数百万円もするマンションに住んでいて、高校・大学は必ず留学します。スイスをはじめとするヨーロッパとか、アメリカに。

後進国に住んでいた人ならわかると思うんですが、家にお手伝いさんとか運転手さんとかがいるので、日本人の駐在員はその人たちと接することが多かったです。(エジプトの人はどんな方が多いんですか?)エジプトの人々は、基本的にはずるいところもあるけれど、憎めない人たちという印象でした。エジプトも中国の人たちと似ているところがあると思うんですが、中国の人はどんな印象なんですか?

―中国の人は、温かいですね。一度仲良くなると、もう家族同然として扱ってくれるところがあります。

そう! そうなんですよ。エジプトの人たちも温かい。あと明るいですね。アラブ人は基本的にネアカ。基本的に静かな日はないです(笑) 毎日お祭りみたいな感じで、まぁ、暑いからあまりものを考えていると疲れるということもあるんですけどね(笑)

島全体がスポーツクラブになっている

―エジプトでは、どのような生活をされていたんですか?

ずっとカイロ日本人学校というところに行っていました。小学校から中学校合わせて、100人くらいの小規模の学校です。とてものんびりしていて、いわゆる日本人学校の雰囲気が漂っていました。日本で小学校に行っていると、受験勉強とかがあるので、塾に行ったりとかして、勉強に追われていると思うんですけど、エジプトの日本人学校は本当にのんびりしていました。学校が終わって、3時くらいにスクールバスで帰ってきて、その後はスポーツしたり、遊んだりしていました。

家の近くに島があって、その島全体がスポーツクラブになっているんですね。(島全体がスポーツクラブになっているってすごいですね!?)そこには、プールとかゴルフ場とかがいっぱいありました。そこで、プールにはいったり、テニスをしたりしていました。 家にいるときは、友達とゲームをしたり、お菓子作りをしたり、漫画を描いたりしてました。時間がゆっくり流れていて、たくさん遊べたような気がします

帰国子女のいいところは、海外にいて受験戦争がないところ。自由でのびのびと暮らせるところがいいところですね。それが社会人になって役立っているか、わからないけれど、自由でのんびりとした幼少期を過ごせたのは、ありがたいことかなと思います。

帰国直後の成績は、50人中50番

―ただ帰国子女は、日本に帰ってからが大変ですよね。

そうですね。小学校5年生のときに日本に帰ってきたときは、日本人学校から帰ってきたので、日本にうまく溶け込むことができたのですが、ローマから帰ってきたときが大変でした。ローマではインターナショナル・スクールに行っていたので、日本に帰ってきてからの勉強が大変で……。日本での成績は、帰国直後は50人中50番だったことがありました(苦笑)。英語以外の科目、特に国語がネックでした。 学校の成績は悪かったし、日本に帰国してから受験するまで1年以上あるから、帰国子女枠では受験できない。このまま一般入試だったら、大学入れないんじゃないかと心配してました。

でも、そのときの高校の先生がとてもいい先生で、帰国子女受験について詳しく調べてくれて……。帰国後1年以上たっていても、学習院と上智なら帰国子女受験できることを調べてきてくれたんですね。学習院の受験が9月にあって、その後が上智の試験だったんです。学習院を受験して受かりました。上智の試験の前に、学習院の入学金と初年度分の学費の振り込みをしなければならなかったので、上智は受験しないで、学習院に入学することに決めました。

もともと、帰国子女入試は受けられないと思っていたので、高校3年生の春くらいから、一般入試を念頭に置き、本格的に勉強し始めました。勉強を始めてから、どんどん成績が伸びて、勉強が面白くなってきたころで学習院を受験して終わってしまったので、自分としては物足りなかったです。成績が伸びてきて、河合塾や駿台の一般受験生用の模擬試験でも上位に上がってきて、これなら普通に一般受験しても合格するのでは、という自信もついてきて、もっと勉強したいと、消化不良でした。そのときの気持ちが、大学に入学してから留学する原動力になっているのかもしれません。また、社会人になってからも、このときの気持ちが仕事への原動力となっています。

ストレスのない大学生活をおくる

―大学の雰囲気はいかがでしたか?

帰国子女枠で英語で受験するからと、英米文学科に入ったんですね。英米文学科って、ご存知のとおり女性が多いんですよ。30人中男性が2人とかでした。女の子たちはみなのんびりとして、いい子ばかりで、ストレスのない大学生活を送れました。育ちのいい人が多かったです。あと、帰国子女も多かったです。また、学生だけでなく、先生もいい先生が多かった。学習院ってよく「教授は一流 学生は二流」って言われるんですが(笑)、その言葉通り、先生はいい先生が多かったです。結果的には、学習院に入ってよかったと思っています。

ただ、1年生の夏から1年半エジプトに留学したので、結果的には大学に6年間通うことになりました。私の留学していたカイロ・アメリカン大学って、経済学とエジプト考古学が有名な大学なんですよ。プリンストンとかイェールの先生などが、カイロ・アメリカン大学に交換で来て、授業をしていました。せっかく考古学が有名な大学だということで、向こうでは考古学も勉強していました。後編はこちら>>
interviewer_s_13_profile.jpg 秋山雪乃。1986年京都府生まれ。中学2年まで日本で過ごし、その夏に渡米。カリフォルニア州サンディエゴ・アーバインなどに滞在し、高校2年の年に 一 時帰国。その夏、再び渡米。University High Schoolを卒業し、帰国後、早稲田大学法学部に入学。1年休学して北京語言大学に留学し、現在4年に在籍。憲法水島ゼミ所属。学生NGOチャオに所属し、中国ハンセン病療養者村でのボランティアに従事している。