海外生活体験者・学生インタビューvol.67

interviewee_s_142_profile.jpg 園部真由美さん。1988年生まれ。6歳から18歳までアメリカ・ウィスコンシン州で過ごす。07年にCharles B. Whitnall High Schoolを卒業後帰国。現在、神奈川県立保健福祉大学看護学科2年生。大学ではバレーボールサークルに所属。ボランティアサークルCHILDWISHにて、神奈川県立こども医療センターでボランティアも行っている。

内山:お互い医療を勉強している身ですが、今日はよろしくお願いします。
園部:よろしくお願いします。

―はじめに、海外の生活についてお聞かせ願えますか?

アメリカには6歳で行ったので、向こうで「育った」という感じです。現地の子が幼馴染となり、その子たちとごく普通に幼稚園小中高と過ごしました。最初は英語がまったく分からなかったのですが、幼稚園からのスタートだったので、あまり苦労した覚えがありません。でも、その分文法がぐちゃぐちゃのまま高校を卒業してしまいました(苦笑)

―看護師になるためには、大学で看護学科に入らないといけないわけですけど。。。海外生活を経験してどうして日本で看護師になろうと思ったのですか?

アメリカのウィスコンシンに12年ほど住んでいましたが、その経験が看護師になりたいという気持ちに直接つながっているわけではないと思います。高校では学内で勉強についていけない生徒に勉強を教えたり、養護施設でボランティアをしていたりしていました。

看護師になろうと思ったのは母の影響かもしれません。母親が准看護師だったので、小さい頃から医療系のテレビ番組を見るのに抵抗がありませんでした。最初は動物好きだったので獣医になりたいと思いましたが、中学、高校と成長していくうちに、意思を伝えられない動物相手にするのは難しいなと考えて、獣医師になるのはやめました。その後、母親の看護の本を読みあさって、面白そうだなと思い、看護師になりたいと思い始めましたね。

―帰国子女で看護系に進む人はあまりいませんが、受験は大変ではありませんでしたか?

受験期は、最初文系科目を勉強していました。志望を看護学科だけにしぼるのは、とてもリスクが高いと考えたからです。看護学科に志望を集中したのは、慶應の経済学部に受かってからです。その後、無事看護学科に合格しましたが、名の通った大学の方がいいのではないかというジレンマは常に抱えていました。大学に入学してからも、他の大学に通っている友人から話を聞くと、「向こうに行ってたらどうだったんだろうか」「こんな勉強していいのだろうか」「何しに来たのだろう」とコンプレックスを持っていました。

―では、いつからそのコンプレックスがなくなっていったのですか?

そのコンプレックスが一番強かったのが、1年の前期に一般教養を受けていた頃です。1年の後期からは、専門科目が始まったり、病院、保健所、デイケアに行く実習があったり、少しずつ看護学科という感じになってきたのですが、テストが14科目くらいあって、「なにやってるんだろ……」という気持ちがありましたね。

2年生になって、ちょっとずつ変わっていったかもしれません。前期は病院に行って、援助をしました。援助とは身の回りの世話のことで、全身清拭や足を洗うこと、洗髪など、入院していると患者さんができないことを行ってあげる実習をしました。この援助、患者さんのためだけでなく、むくみやチアノーゼ(酸素が体にうまく運ばれていないときになる状態)を取ってあげるために、医学的にも重要なんです。実習に行ったとき、今まで習ったことが役に立って、ようやく看護の勉強をしていた実感がわきました。習ったときは模型でやっていたので、生身の人間を相手にするのは結構怖かったです。

その実習での経験が転機だったと思います。私の大学に付属病院がないので、いろいろな病院を見学させてもらえます。それぞれの病院の良い点悪い点を比較することができるというメリットがあるんです。付属病院がある有名大学だと、そこしか見られないことに気づいて、そこで大学コンプレックスがなくなりましたね。

―看護師にとって重要なことってなんだと思いますか?

相手にとって何が必要か、自分に常に問いかけることですね。何を目的にするのか、何をどうしたら成功なのか。今、患者さんにそれが必要なのか。どういう順序でやるのかも、患者さんによって違うので、それを考えないといけないと思います。

2年前期の実習のときに、受け持った患者さんのために援助計画を立てなければならなかったので、そのことを考えていました。例えば、患者さんの体を拭いてあげるにしても、少しでも水分が残ってしまうと、体温が急激に下がってしまい、血圧も上がってしまいます。教科書通りにやってもうまくいくわけではなく、人それぞれに適したことをしてあげなければいけないですよね。実習はいろいろな人と触れ合って楽しかったのですが、責任の重さもひしひしと感じました。

―看護の勉強をしているときに、帰国子女であることは意識しますか?

英語を話す機会があるわけではありませんので、あまり意識はしません。医療はアメリカが進んでいることもあり、先生がアメリカの看護の話をすると、一般生よりは理解しやすいかなとは思います。

アメリカにいたときは「言わなきゃ損」という感じだったので、授業中も自分の意見について積極的に発言していました。だからこそ、日本に帰ってきてからも、カンファレンスなどで思ったことを活発的に言えると思います。

海外にいた頃は日本人が周りにいなかったので、帰国してからも、「私は日本人とどこか違う」という意識を、どこかしら持っていたかもしれません。相手に「日本人だからしょうがないか」と偏見を持っていたんです。でも、相手を責める前に自分を変える必要もあると感じています。

―これからはどういう方向に進んでいきたいですか?

看護師しかできないことを探していきたいです。看護師は医師と介護福祉士の間にいるというか。。。治療は医師がしますし、世話をするのは介護福祉士でもできるんです。看護師の仕事は、患者さんが必要としているものを、一番に気づいてあげることだと思います。

大学では、看護だけでなく、社会福祉コースも専攻していて、その勉強をするたびに、人を助けるにも様々な方法があるということを実感しました。だから、将来は看護師に絶対なろうと決めているわけではないんです。社会で色々な人がどういう働き方をしたら良くなるか考えるのがすごく面白いので、看護以外の方法から社会に貢献できないかなということも考えています。

Charles B. Whitnall High School :
http://www.whitnall.com/schools/high/newsletters.cfm

インタビューアから一言

人間を見るのも動物を見るのも大変なのだと感じました。獣医師的には動物は暴れるし、話せないし、人間の世話の方が断然楽だと思っていましたが、人間は言葉を使える分、大変な部分も多いのだと実感しました。個人的には、実習でやることが採血、筋注(筋肉内注射)、皮下注(皮下注射)、留置(点滴を入れる留置針)の練習などが一緒で、面白かったです。医療系の勉強をしている者同士、マニアックな単語もポンポン出て、すごく楽しいインタビューでした。
interviewer_s_38_profile.jpg 内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。Deerfield High School卒業後、帰国し、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻高度医療科学研究室の4年生。