海外生活体験者・学生インタビューvol.69

interviewee_s_145_profile.jpg M.A.さん。1988年広島生まれ。生後七ヵ月でニューヨークへ渡り、小学2年までの7年間を過ごす。その後、一度日本へ帰国。12歳のとき再び渡米。テキサス州に中学・高校の5年間滞在、Shepton High School (9th, 10th)、Plano West Senior High School (11th)へ通う。高校2年のとき日本への帰国が決まり、国際基督教大学付属高等学校に編入。卒業後、京都大学経済学部に進学し、2回生のときにUniversity of Pennsylvaniaへ1年間留学し、現在3回(3年)に在学中。

―まず、滞在していた国を教えてください。

7歳までアメリカのニューヨークで暮らし、それから日本に一度帰国しました。その後中学校と高校の5年間は再びアメリカのテキサスに行きました。大学までは合計12年ですね。それから、大学の2年生後期から3年生前期終了まで、アメリカのペンシルバニア大学に1年間留学していました。

―NYで印象に残っていることを教えてください。

生まれて7ヵ月で、アメリカのNYに行きました。小さい頃のことなので、あまり覚えていないのですが、NYのウェスト・チェスターという自然が豊かなところで、マンハッタンとは正反対でした。木々の葉っぱを茹でて遊んたり、冬はソリで滑って遊んだり、典型的なアメリカの生活を楽しんでいました。それから、NYで家族や友達と過ごしたクリスマスが本当に楽しくて、今でもクリスマスの時期になると思い出します。NYに関しては、小さいときのことなので、本当に楽しかった!!ということくらいしか、あまり覚えていることはないですね(笑)

それから、語学に関して言えば、英語と日本語を同時に学んでいたから、今考えてみると両方とも中途半端だったのかも知れません。家では日本語、幼稚園などでは英語という感じでした。

―テキサスでのことを教えてください。

テキサスはNYとは違い、割と辛いことが多かったと思います。NYでは、現地の人々と同じように扱われていたけれど、テキサスでは、人種差別を受けることが多かったですね。テキサスは白人社会だったので、日本人やアジア人は非常に少なかったです。

中学生くらいになると、現地の人々はすでに仲の良い人たちとグループを作っていて、初めの頃はグループに入って行きづらかったし、日本人というだけで、一緒にお昼を食べることを頑なに拒まれたりしました。入学当初は、誰もお昼を食べる友達がいなかったので、トイレで弁当を泣きながら食べていたんですよ。最初の頃は、ずっと、日本に帰りたいと思っていました。

それから、最初は英語がとても苦しかったです。宿題をやるのも、辞書を片手に頑張っていました。2年くらいすると、昔の英語力を取り戻して、後は大丈夫でした。

それらの経験は、非常にためになったと思います。そのおかげで強くなりましたし、困難を乗り越えることによって、異文化への接し方や絶対に諦めない姿勢など、多くのことを学びました。

―テキサスでは、何か部活動などをされていましたか?

高校ではカラーガードという、バトン部みたいなものに所属していました。カラーガードというのは、手具を操るダンスチームみたいなもので、チームでシンクロして、ダンスを行います。木で出来たライフルや背丈くらいの旗を持ち、音楽に合わせて踊ります。チア・リーディングに似ていますね。高校時代はそれが一番の思い出で、秋などは毎朝6時半に練習に、暗く寒い中、学校に行っていました。

―どうしてカラーガードに入ろうと思ったんですか?

理由は特にないのですが、高校のときの恩師に当時勧められて、オーディションを受けました。Junior High schoolのときにはキャプテンも務め、練習で本当に大変だったのですが、毎日が非常に充実していました。青春! って感じでしたね(笑)

カラーガードに入ってから、私の高校生活もガラリと変わっていきました。同じ目標に向かってみなが努力する環境にいると、人種などは関係なくなり、私を「日本人」ではなく一人の友達として見てくれる、かけがえのない友達が大勢できました。人種の壁は絶対に乗り越えられるものだと確信しました。何よりも、私は異文化を受け入れ、理解しようとする人間になったと思います。

放課後は車でドライブしたりして、毎日遊んで本当に楽しかったです。仲の良い友達の母は、第二の母のように思っています。ペンシルバニア大学に留学していたときには、冬休みはテキサスの友達の家に宿泊させてもらい、旧交を温めました。

この話を就職活動の面接などで話すと、困難を乗り越えた自分がすごいみたいな話になってしまうのですが、実際に一番すごいのは、周りが白人至上主義なのに、日本人である私と仲良くなってくれた私の友達だと思います。人種は関係ないという人たちと知り合えたからこそ、今そうやって、話をすることが出来るようになったと思っています。

―テキサスの後はそのまま京都大学ですか?

とにかくICUは本ッッッ当に楽しかったです!!(笑) 1年半しか通っていませんが、それ以上の密度があったと思います。非常に仲の良い友達もでき、毎年2回は必ず海外旅行に一緒に行きます。

高校3年の時に帰国したので、ICUで高校最後の年を過ごしました。帰国したばかりの私にとっては、トランジションとしてはとても良かったと思います。生徒の3分の2が、帰国生でした。ですから、廊下で英語が普通に飛び交っていますし、雰囲気も非常に自由でのびのびとしていました。体育祭や学祭なども、私にとっては非常に新鮮でした。

また、皆が皆帰国生だったので、自分の強みを考えるきっかけにもなりました。英語が出来るのは当たり前で、それ以外に何が自分に出来るのかということをいつも考えていました。

―その後は京都大学ですね? 京都大学は、今までと比べて、周りの人々にどのような印象を受けましたか?

京大に初めて来たときは、カルチャー・ショックでした。京都大学は帰国生が少ないのもありますが、自分と違う人が非常に多かったです。そして、何と言っても皆賢い。受験勉強を勝ち抜き、高校などのすごく厳しい規制を受けてきたので、みな非常にしっかりしています。今までとは全く違うタイプの友達が増えました。

また、先ほどのICUのときにも考えましたが、帰国生が少ないからこそ、自分の帰国生としての強みを考えました。色々と足りないものもありますが、自分の強みはあると思いました。例えば、国際感覚であったり、ディスカッション能力だったりですね。ゼミなどでは英語を話しただけで褒められてしまいます(笑) 慶應やICUと違って、京大は非常に帰国生が少ないですから。

―学年たったの16人は、少ないですよね。

大学はそもそも女の子が少ないし、サークルも部活も打ち込めるものを見つけられなかったので、1回の後期にペンシルバニア大学に留学することを決めました。2回生になってからは、ゼミが始まり、非常に厳しいゼミだったので、やりがいが出てきたのですが、もうすでに手続きなどを済ませていたので、2回の後期からアメリカに留学に行きました。

―ペンシルバニア大学はivyリーグで、アメリカ屈指の名門大学ですが、授業などはどうでしたか?

ペン大には交換留学生として行きました。本当に勉強が大変で、毎晩2時くらいまで図書館で勉強ですが、休日には思いっきり遊んで、非常にメリハリのある生活をしていました。日本に帰ってきてからは、授業の差に愕然としました(苦笑)

聴講が主な日本とは違い、discussionを中心に進行していき、授業では発言が求められます。ついていくのがやっとで、本当に大変でした。discussionに関して、面白かったのは、自分自身と自分の意見の分離がしっかりしているということです。意見を批判されても、自己を否定されたわけではないということを、みんなしっかりと理解していました。それから、学生のモチベーションが、日本とは全く違いましたね。

ウォートン・ビジネス・スクールの講義も取っていました。MBAを習得しに来ている、アメリカで一番賢いような人たちがいるので、非常にレベルが高かったのですが、それでも一人の学生として、教授も学部生も接していました。印象に残っているのは、googleから200ドル貰って、地方で収入を上げるビジネスを考える授業ですね。実践的な授業が多かったです。他学部の科目も履修出来たので、nursingや美についての科目も履修したりしました。それから、大学に募集があったので、モンゴルにボランティアにも行きました。

―モンゴルでボランティアですか!?

モンゴルは、business schoolのボランティアで行きました。ボランティアといっても、コンサルティングを行うもので、ウランバートルで孤児院を運営するNGOのマーケティング戦略などを考えました。

生活面では、サバイバルでした(笑) 「ゲル」というモンゴルの伝統的な移動式住居で1ヵ月ほど暮らしていたのですが、夜が寒く、火をつけていないと眠ることが出来ませんでした。しかも、火を起こせるのは私だけでしたし(苦笑) 町は治安が悪かったり、砂漠にはほとんど人がいなかったりと、すごい異文化体験をしたと思います。

ただ、モンゴルのボランティアでも、アメリカでの留学生活でも、一貫して言えるのは、外から自国、世界を見ることで、相対的、多元的に考える視点を養うことができるということです。さらに、異文化に触れるからこそ、自国の文化を改めて見直し、自分が持つ偏見や先入観を自覚することができるのではないかと思います。世界を知らずして自国を知ることも、自分を知ることもできないのです。世界を知り、また自分を知ること、そこに国際交流に臨む意味があるのだと思います。

―最後に一言お願いします!

一つか二つ、心から打ち込めるものや変った経験を大学生活で見つけるべきだと思います。重要なことは、経験などと通じて、自分が何を考え、どのように成長したのかということです。心から経験を楽しまないと、成長は出来ないと思います。色々なことを大学生活においてやっておいた方が良いと思います!

Shepton High School :
http://k-12.pisd.edu/schools/Shepton/Home.htm
Plano West Senior High School :
http://k-12.pisd.edu/Schools/pwsh/index.html

インタビューアから一言

インタビューをしていて、とても行動的で、明るい人だなと思いました。インタビュー中にも、友達という言葉がよく出てきますが、友達の多さは明るい人柄が理由だと思いました。また、色々な出来事を本当に楽しんでいるように、話を聴いていて思いました。Aさん自身が、そうやって成長したからこそ、最後の後輩へのアドバイスがあるのだと思います。僕も、何かを経験する際には、心から楽しむことを忘れないようにします!
interviewer_s_57_profile.jpg 山下博之。1988年神奈川県生まれ。小学校6年生の時に渡米し、カルフォルニアに在住。以後、日本人学校に10年生まで通い、その後、West High Schoolに転入し、卒業まで在籍。帰国し、京都大学へ入学。現在、経済学部2回生。