海外生活体験者・学生インタビューvol.70

T.A.さん。1988年2月生まれ。東京の小・中学校を卒業後、高校1年の夏から3年間、韓国ソウルに滞在。Seoul Foreign High Schoolを卒業後に帰国し、07年4月、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。大学時代は、アマチュアバンドのギタリストとして、下北沢を拠点とした音楽活動に情熱を注ぐ。現在3年に在学し、心機一転、就職活動中である。

―今回は、ちょうどお互い就活生だし、他己分析を兼ねて?インタビューさせて頂きます(笑) よろしくね!

なんか恥ずかしいね(笑) こちらこそ、よろしくお願いします。

ひととなりについて

―いきなり就活ネタだけど、トモと一緒にGDの練習してると、「口数は少ないけど、いざ口を開いたらすごく良いこと言う」って印象が強いんだよね。自分では、自分の第一印象についてどう思う?

場面によって変わるかなぁ。たぶん2種類あって、それぞれ両極端だと思う。一つは、「あんまり喋らない人」。目の前の状況を静かに見守りながら、黙って何か考えてる感じ? もう一つは、パッパラパーで「イケイケどんどん」的なイメージ(笑) 初対面でもなりふり構わず、めちゃくちゃフレンドリーに接することも多いからさ。具体的な場面で言うと、初対面の女の子の前でカッコつける時は前者で、それ以外の時は後者みたいなね(笑)

―あはは、そっかそっか。じゃあ、自分の性格で特徴的なところはどこだと思う?

うーん、良くも悪くも「空気を読んじゃう」ところだと思う。今言ったような部分がまさにそれで、要はすぐ周りに合わせちゃうんだよね。良く言えば「適応力」があるのかも知れないけど、裏を返せば「自分がない」っていう解釈もできるっていう。けどまぁ、周りからは、「トモは物腰が柔らかくて話しやすいよね~」なんて言ってもらえてるし、基本的にはポジティブな方向で捉えてるよ。

―なるほど。他に、何か自慢できることとかってある?

ええと、結構タフなところとか? 体力がどうとかじゃなくて、メンタル面でね。やっぱり、今まで色んな失敗とか挫折を経験してきたから、その過程を経て精神的にタフになれたと思うんだ。怪我で大好きな野球ができなくなったり、学校での人間関係がこじれて仲間がいなくなったり、突然海外に放り出されて言葉通じなかったり、中学から高校にかけてはそりゃあもう大変でしたよ(笑) まぁ、そんなこんなで人並みに苦労しつつ、曲がりなりにもそれを乗り越えてきたから、今じゃもう「何度倒れても立ち上がるぜ」みたいな感じだよね。七転び八起きです。

―そうなんだ。じゃあ逆に、自分のダメな部分はどこ?

これはもう即答!(笑) チキンなところ! 口じゃいつも偉そうなこと言ってるけど、案外心の中じゃビビってるっていうね(笑) 他にも就活との関係で言えば、面接ですぐアガっちゃうところとか? 夏のインターンの選考から始まって、面接はたくさん受けてきたけど、未だに結構緊張するんだわ。あやかは面接得意でしょ?(笑) あとで緊張しなくなるコツ教えてよ。

あと強いて言えば、何事も一人で背負っちゃいがちなところとかかな。バンドにしろアルバイトにしろ、「周りに任せてないで、できることは全部自分でやる」みたいなところがあって、気付いたら一人でオーバーロードしちゃってるみたいな。いやぁ、ダメなとこ探すと色々出てきますねぇ(笑)

―あはは、確かに。でもまぁ、それだけ自分のことを理解できてる証拠なんじゃない?

そういうことにしておきますか(笑) やっぱ、何事もポジティブに捉えなきゃね!

音楽との出合い

―トモと言えば、音楽! バンドマン! って感じだよね。さっき、中高時代は散々苦労したって言ってたけど、その頃心の支えになってたのも、やっぱり音楽だったりするの?

うん、そうだと思う。ガキんちょの頃からピアノはずっと習ってたんだけど、本当に音楽にのめり込むキッカケになったのは、中2のときに買ったX-JAPANのアルバムなんだ。2002年とかの話だから、その頃にはとっくにX-JAPANは解散してて、ギターのhideも死んじゃってたんだけど、なぜかそのときベストアルバムが発売されてさ。で、なんでそれを買おうと思い立ったんだか全く思い出せないんだけど、とにかく急いで近所のTSUTAYAにそのアルバムを買いに走ったわけ。それで、案の定それを聴いて体中に衝撃が走りまして(笑) 次の瞬間にはもうバイエルもグローブも投げ捨てて、玄関の鏡の前でエアギターを掻き鳴らしてたよね。んで気付いたら、それまで貯めに貯めてたお年玉で、hideモデルのギターを買ってた。

―ロックに目覚めてしまったわけだね(笑) バンドは、すぐに始めたの?

いや、すぐにはできなくてさ。結局、日本にいる間は仲間を集められなくて、高校で海外に行ったときに、友達の誘いもあって人生初のバンドを組んだんだ。「Tomo’s mama’s band」とかいう意味不明な名前のバンドだったんだけど、学校の音楽イベントに出場して、当時流行ってたJetとかJimmy Eat Worldとかコピーして演奏したのね。で、長いこと家で一人で練習してたもんだから、結構うまく弾けちゃったわけ。英語できない日本人だけど、ギターめっちゃうまいじゃん! みたいな。おれの下の名前をもじって、“Tomo is my Hero!!”とか言われたりしてね、すごく嬉しかった(笑) 音楽っていう手段を通して、自分のアイデンティティを確立できたんだよね、たぶん。だから、帰国してからも絶対音楽やるって決めてたし、実際に大学時代に人集めてバンド作って、下北のライブハウスとかで活動するようになったんだ。

―ついにヒーローになっちゃったか(笑) 大学でやってたバンドは、GOLDMINDだっけ? 結構有名だったりしたの?

いや、それが全然(笑) でもまぁ、自主制作でCD作ったり、最終的に100人近く集めてライブしたり、それなりの結果は残せたと思ってるけどね。話すと長くなっちゃうから今回はやめとくけど、大学時代はほとんどの時間をこのバンドに費やしてたかな。

―そうなんだ!是非今度CDください。聴いてみたい!

はい、喜んで(笑)

将来の夢

―そろそろ時間だけど、最後に将来について聞きたいと思います。将来の夢っていうか、ビジョンっていうか、何かそういうものって持ってる?

なんていうか、「良いものが良いと評価される社会」を創りたいなぁと思って。日本だけで1億人以上、世界中見渡せば70億人近い人間がいるんだから、絶対どこかにすげぇ面白いこと考えてる人がいるはずなんだよね。でも、今はたぶんその大多数が埋もれちゃってるていうか、日の目を浴びてないと思うんだ。

そう思うのは、自分が音楽やってる時に、実際そういう場面に何度も遭遇したから。めちゃくちゃカッコいいアマチュアバンドにいくつも出会ったけど、みんな全然上に上がっていけなかったんだよね。音楽の世界に限らず、そういう才能のある人・必死で努力してる人とか、画期的なアイデアとかを見つけ出して、一緒にそのアイデアを形にしていきたいなぁと思って。そしたら、今よりもっと面白い社会になっていくと思うんだよね。

―なるほど、それはwebに近い発想かな?

うん、根本の部分ではかなり影響されてると思う。ただ違うのは、webの場合は、「仕組み」とか「プラットフォーム」を作るって部分に重点が置かれてると思うんだ。みんなが情報発信できる環境さえ作っちゃえば、ほっといても面白いモンできちゃうでしょみたいな。それでもまぁ良いんだけど、それよりも自分の足で面白い人とかアイデア発掘しに行って、同じ夢に向けてビジネスやる方が面白そうかなって。具体的なプランについては、今いくつか秘めてる案があるんだけど、まぁそれは今後実現してからのお楽しみってことで(笑)

―そうなんだ、陰ながら応援してるね。それじゃあ、最後に何か一言お願いします。

うん、えっと、このインタビュー記事は、たぶん色んな人が読んでくれてるんだと思います。その中には、ぼくの知り合いもいるだろうし、そうじゃない人もいると思います。それぞれ感想は異なるだろうけど、何か少しでも感じるものがあれば、22年間がんばって生きてきた甲斐があるなぁと思うし、とっても嬉しいです。はい、真面目に締めちゃいましたね(笑) まぁなんにせよ、しょうもない内容でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました! またどこかでお会いしましょう。

―うまくまとめたね(笑) それじゃあ、今日はどうもありがとう。

いえいえ、こちらこそありがとう。記事書くのがんばってね。

インタビューアから一言

人当たりがよくて、かといって目立ちすぎるわけでもない。一歩下がったところから冷静に、それでいて存在感はバッチリ。それが、トモに対する私の印象です。同じ3年生なのに、そうとは思えないような雰囲気を醸し出しています。でも、今回のインタビューを通じて、彼の「タフさ」や「人間ができていること」の理由が、ちょっと分かったような気がします。これは将来ビッグになりそうな予感。みなさん、是非楽しんで! そして、彼という人間を堪能してください。そして最後に。。。CD楽しみにしてますので♪
    
    
藤原彩加。1988年生まれ。5歳から9歳までフランス・パリで過ごし、帰国後、東京の小学校に通う。小学校6年からインドネシア・ジャカルタ。中学1年 の時に日本に一時帰国、中学2年でインドネシアに戻るが、その直後にカナダに渡り、オタワにある私立高校Elmwood High Schoolへ編入。卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学し、現在3年に在籍。RTNプロジェクト広報代表&慶應義塾大学支部代表として活躍中。