海外生活体験者・学生インタビューvol.71

    
    
藤原彩加さん。1988年生まれ。5歳から9歳までフランス・パリで過ごし、帰国後、東京の小学校に通う。小学校6年からインドネシア・ジャカルタ。中学1年 の時に日本に一時帰国、中学2年でインドネシアに戻るが、その直後にカナダに渡り、オタワにある私立高校Elmwood High Schoolへ編入。卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学し、現在3年に在籍。RTNプロジェクト広報代表&慶應義塾大学支部代表として活躍中。

「負け組あやか」とスポーツ

―いやぁ、それにしても小さい頃から色んな国に滞在してるよね。俺みたいな、エセ帰国生とは訳が違うっていうか(笑) 学校はずっとインターに通ってたの?
 
ううん、インターに通ったのは、2度目のインドネシア滞在のときだけなんだ。他は全部現地校に行ってたよ。5歳でフランスに行ったときは、ずっと現地校に通ってたのね。で、学校の授業は当然フランス語なわけだけど、それまでは日本で生まれ育ったから、フランス語の勉強なんて一切したことなくて(泣) 言葉が全く通じない中に突然放り込まれて、もう大変だったよ。「言葉通じない、遊びわかんない」。これが、いわゆる「負け組あやか」の始まりです(笑)

―はは、小さい頃から苦労してますなぁ。その後、「負け組あやか」はその苦労を乗り越えられたの?

うん、乗り越えるしかなかったからね(笑) ラッキーなことに、現地校で言葉が通じないことを不憫に思ったのか、両親が色々と習い事をさせてくれて。それが乗り越える糧になったのかも。テニスとか水泳とかやってたんだけど、そこで自分が恐ろしく運動神経が良いってことに気付いたの!(笑)

言葉は通じないし、勉強もできないし、何しても駄目だったんだけど、スポーツなら勝てたんだよね。それで自信がついていったのかな。それと同時に学校の成績も上がっていきまして。フランス滞在最後の一年は、なんと学年トップの成績取ったりして、「神童」なんて言われてたんですよ、この私が!(笑)

―そりゃ凄い! がんばったんだねぇ。その後日本に帰ってきてからも、そんな調子でイケイケだった?

いやそれが、全然そんなことなかったんだ。フランス行ってる間に日本語をだいぶ忘れちゃって、またもや言葉の壁にぶつかったの。算数はバリバリできるけど、国語とか漢字とかがサッパリだったなぁ……。そんな感じで、勉強面ではまたしても「負け組あやか」に舞戻っちゃった(笑) で、そこでもスポーツできるっていうのが唯一の救いで、自分のアイデンティティになってたというか。その後も何度か転校を経験したんだけど、「勉強はイマイチだけどスポーツで取り返す」っていう構図はずっと変わらなかったかなぁ。

人生最大の転機

―これまで一番のビックイベントというか、ターニングポイントになったような出来事って何かある?

あるんですよ~、大事件が(笑) 実は16歳の時に、足の靭帯を断裂しちゃって、スポーツ全般が全くできなくなっちゃったの! バスケの試合中に転倒して、スポーツできなくなっちゃったの。手術もしたんだけど、なんとその手術が失敗してしまい……。

―えっ、失敗?! 大丈夫だったの?

治らなかった上に、感染症にかかっちゃったんだ。膝の靭帯の手術で、感染症にかかる人なんて滅多にいないんだろうけど、運が悪かったよね。そこから私と感染症との半年間の闘いが始まったわけです。これはホントもう自分の中では大事件で、「どうしよう」って本気で悩んでさ。だって、それまでスポーツだけが取り柄だった自分が、「もうスポーツはできない」って宣言された上に、感染症が治るまで体にチューブ通して生活するんだもん。それまで色々と積み上げてきたものが、全部駄目になっちゃったって思ったよ。

―ひぇ~大変ですな……。そら誰でも落ち込むでしょ、アイデンティティ崩壊みたいなね。

うん。でも、辛かった闘病中に感じたのが、「生きてるだけでいいや」ってこと(笑) 大げさかも知れないけど、そのとき「あたし、死ななかっただけすっごく幸せじゃん」って思うことにした。
それと同時に、ちょっと反省したところもあったんだ。それまでの自分を振り返ってみて、何かとスポーツを逃げ道にしてたなぁと思ってさ。「私、勉強はできないし、英語もネイティブじゃないけど、スポーツできるからいいや」っていうふうに、スポーツを言い訳にして、「本気の勉強」とか、「ネイティブになりきれてない」ってことから逃げてただけなのかなと。生きてるだけで幸せではあるけど、せっかく生きるからには、がんばらないと駄目だよなぁとつくづく思ったわけ。

―なるほど。一度立ち止まって考える、良いきっかけになったわけだね。

「負け組あやか」から、「勝ち組あやか」へ

―闘病が終わって以降は、前の自分と比べて変われたと思う?

うん、変われたと思う! あれ以降、学校のトップ目指して、本気で勉強するようになったんだ。スポーツっていう逃げ道がなくなっちゃったからさ。期間としては1年ちょっとくらいだったんだけど、あのときちゃんと勉強したから、帰国してからの大学受験もすんなり受かったんだと思う。だから逆にあれがなかったら、たぶん今の私はなかったのかなって。そう考えると、当時は本当に死にそうなくらい辛かったけど、いい意味でその後の糧にできたよね。まぁ、完全に立ち直るまでには3年くらいかかったけどさ(笑)

―糧にできたのは凄いね、根性あるっていうか。俺ならすぐ諦めちゃいそう(笑) 大学でも精力的に活動してるみたいだけど、そのパワーもここから来てたり?

うん、そうだと思う。大学に入ってからは、 RTN Projectのスタッフ、東大の仮面浪人、ライターの仕事などなど、一度やるって決めたら全力で挑戦してきたんだ。で、何事に対しても甘えがなくなったって面がある。たとえばライターの仕事で言えば、内容によっては原稿がうまく書けないことって多いんだ。そういうときに、「別の内容ならうまく書けるからいいや~」って逃げるんじゃなくて、目の前の仕事に対して真剣に向き合う姿勢ができたというか。言い訳したり、投げ出したりしなくなったなぁって思う。

―大学生活にも活きてるわけだね。ところでライターの仕事って、小さい頃いつもネックだった「言葉」を駆使する仕事だよね。そう考えると、なんか面白いね。

あっ、確かに!それは全く気付かなかったなぁ。私も少しは成長できたってことかしら。

―うんうん。「負け組あやか」から、「勝ち組あやか」になれたんじゃない?

そういうことにしておきます(笑)

― 短い時間だったけど、いっぱい話ができてよかったよ。今日はどうもありがとう。

こちらこそ、ありがとう!

活動報告 「世界の学校から」vol.18 藤原彩加 :
http://www.rtnproject.com/2010/02/_vol18_1.html

インタビューアから一言:

あやかちゃんとは予備校時代からの友人ですが、当時は特にそれ以上の接点があったわけでもなく、最近になってやっと急接近するに至りました(笑) それでもなかなか素性が知れない感じでしたが、今回のインタビューを通して、経歴等について根掘り葉掘り聞くことができたかなと思っています。彼女が醸し出す独特の雰囲気の通り、すごい人生歩んできてるなぁと思いました。僕も負けてられないですね。今年はお互い就活生です。切磋琢磨して、がんばっていきたいと思います!
荒木智博さん。1988年2月生まれ。東京の小・中学校を卒業後、高校1年の夏から3年間、韓国ソウルに滞在。Seoul Foreign High Schoolを卒業後に帰国し、07年4月、慶應義塾大学法学部法律学科に入学。大学時代は、アマチュアバンドのギタリストとして、下北沢を拠点とした音楽活動に情熱を注ぐ。現在3年に在学し、心機一転、就職活動中である。