海外生活体験者・学生インタビューvol.73

糸木悠さん。1987年東京生まれ。6歳から18歳まで、インド・トルコ・ルーマニア・ハンガリー・オランダ・ドイツに、それぞれ数年滞在。ドイツ・ベルリンのBerlin Brandenburg International School(BBIS)を卒業後、東京大学文科Ⅱ類に合格。現在、東京大学経済学部4年に在籍中。大学では、サッカーと株式投資をサークルで行い、金融系のゼミに所属。

―それではインタビューを始めます。よろしくお願いします!

こちらこそ、よろしくお願いします。で、どういうふうに進めていくの?(笑)

―そうだな……、時間軸に沿って、ざっと糸木くんの人生を振り返ったあと、細かい質問に移っていこうかな。

分かりました。じゃあ、まずは幼少期から。6歳でインドに移ったんだけど、それまではあまり良く覚えてない(笑) あえて言うなら、体を動かすことが大好きで、常に駆け回っていたかな。やんちゃだった。

インドに移ってからもその傾向は顕著で、スポーツが大得意。特にサッカーが得意で、家の前の公園で現地の子供たちと試合したくらい好きだった。英語もしゃべれなかったのに(笑)

―スポーツは万国共通だもんね。

そう! 本当にそれを感じたよ。インドの後は小学4年生でトルコに移ったんだけど、そこでも現地の人とサッカーしてた。それだけじゃなくて、バスケットボールの現地のチームにも所属したよ。トルコ語も英語もほとんどしゃべれなかったけど、練習に参加したり、試合に出場したりしてた。未だに、どうやってコミュニケーション取っていたのか、不思議だよ。スポーツは本当に共通語だね。

―インドとトルコでは日本人学校に通っていたんだっけ?

うん。でも、ルーマニアに移った中学1年生から、インターナショナル・スクールに通い始めた。そして、これが、僕の人生おける大きな転換期の一つなんだ。

―もう少し詳しく教えてもらえるかな?

一番大きな変化は、やはり「すべてが英語」ってとこ。今まで出来たことができない。今まで言えたことが言えない。通じない。本当に屈辱的だったね。屈辱っていうより驚嘆に近いかも。

それまでは、そんなに勉強しなくても良い成績は取れたし、頑張らなくてもある程度友達と仲良くやっていけたし、楽しい生活を送っていけた。でも、そんな状態がインターに通い始めた瞬間に消えてしまって、そのことに驚きを感じたんだ。小さかったけど、人生ナメてたのかも(笑)

―どうやって乗り越えたのか、教えてもらえる?

まず、最初のうちは何もかもが真新しいことばかりだったから、悲しんでる暇がなくて、ただ本能のままに色々やりくりしていたかな。本当に単純なことで、教室までの道のりがわからなかったり。分からなくても、誰にも聞けなかったり。体育のときの更衣室が分からなかった時は大変だったな……(笑)

ある程度、サバイバル術を覚えてからは、度々投げ出したくなることもあったけど、負けず嫌いだったから色々頑張って耐えた。というか、逃げ出したくてもどこにも逃げ出せなかったっていうのもあるかもしれない。学年に日本人一人だったし。学校の外に出ても、そこは異国の地。ルーマニア語の方がもっとしゃべれないんだから。

―どうやって英語を覚えたの?

テレビだと思う。もちろん、学校のESLはすごい助けになったと思う。でも、他のESLの生徒よりも比較的早くスタンダードの授業に出られたのは、テレビのお陰だと思う。帰ったらずっと”Cartoon Network”観てた(笑) やっぱり、子供って好きだったり、楽しめたりすることをしている時が一番伸びるし、学習が苦じゃない。

何ヵ月だったかな……、多分、テレビ観始めて2、3ヵ月くらいたったころ、ストーリーをフォローできるようになって、テレビを観ながら笑えるくらいになってたと思う。それで、6ヵ月くらい経ったある朝、これはCNNだったと思うけど、ニュース番組を朝食のときに観てて、「へぇ~」って言ったんだ。そのときのことは今でも覚えてる。「英語上達したんだ」って実感したね。だから、英語を上手くしゃべりたい人には、好きなテレビ番組を観ることをオススメするよ。

―オススメなんか……

聞いてないよね!(笑)

そう。だから、6ヶ月経ったくらいで、普通のクラスに出席するようになった。とは言え、まだまだネイティブ並みではなかったんで、色んな困難があったよ。例えば、フランス語の授業とか。しゃべれもしない英語でフランス語を学ぶことほど、意味がわからなくて苦痛なことはないよ。おかげで、今もフランス語にアレルギーが(笑)

―ルーマニアの後は帰国したの?

ううん。その後半年だけハンガリーに滞在して、中学3年生でオランダに移り住んだんだ。この頃には、もう結構英語も上達して、成績もまずまずのものを取れるようになった。スポーツに力を入れてて、サッカー、バスケ、バレーボール、陸上、ソフトボールなどなど、色々チャレンジしたよ。現地のサッカークラブにも所属した。

イタズラが大好きで、色々と悪いことしたなぁ……。もちろん、法律は破ってないよ!(笑) いつもイタズラ好きの4人組で、花火でイタズラしたり、トラムの中でイタズラしたりしてた。色んな場所に行ったし、色んな遊びもしたし、恋もしたし、青春だったなぁ……。

―。。。

……それで、高校2年生からドイツに移ったんだ。海外はここで最後。学校では国際バカロレア(IB)っていう2年間のプログラムを受けていたから、真剣に勉強した。でも、遊ぶときは遊んだ。ホントにバカみたいに遊んだよ。

住んでいるところがベルリンだったから、第2次世界大戦の影響もあって、イスラエル人が多かったんだ。これはイスラエルに限ったことじゃないかもしれないんだけど、遊び始める時間が遅いんだよね。夜の9時とか10時とかに、「今からウチ来いよ~」みたいな電話がかかってくる。で、11時とかからToastiesとかポップコーンとか作って、映画観始めたり、バックギャモンしたりする。帰るのが3時とか4時。でも、ドイツって土日は電車が24時間動いてるから、いつでも帰れるんだよ。いいよね。しかも、自転車が乗せられるから、どこに行くにもホント楽! S-Bahn(電車)、U-Bahn(地下鉄)恋しいなぁ……。

―卒業後は帰国して、予備校に通い、大学に入学したということだよね?

そう。日本には何度も一時帰国していたから、日本のことは分かっている自信はあったんだけど、意外と多くの発見があった。例えば、「お疲れさまでした」って言うこととか。「お疲れ様」って英語でなんて言うの? ”Good Job” 違うよね。なんか上手く訳せない。

あと、和訳って意外と大変だってこと。予備校に通って、生まれて初めて和訳したときに、その難しさにびっくりしたよ。こういった、ギャップを色々と乗り越えて、無事大学に入学して、今に至るってところかな。大学受験に関しては、違う記事に書いたから割愛するね!

―大学時代にはどんな活動をしていたの?

最初の1年間はひたすらバイトしたり、遊んだりしていたね。無駄な時間を過ごしたように思えるけど、無駄に過ごしたからこそ、今はそう過ごさないようになったから、いい授業料だったよ。

2年生からは、株式投資のクラブに入ったり、学外で勉強会に参加したりと、少しずつ社会との関わりを持ち始めたかな。バイトも、外資系の証券会社で行って、よりビジネス色の強い環境に触れていった。バイト先の方々が本当に知的で、優しくて、強くて、すごく尊敬できる人々ばかりだったから、本当に刺激的な日々が送れたよ。毎日が楽しかったし、充実してた。

バイト先とかサークルで刺激を受けて、金融業界を目指そうと思って、3年生のころは年度初めから金融業界に絞って、インターン対策とか勉強とか行っていたね。金融のゼミに所属したり、金融業界でいくつかインターンをしたりして、さらに金融業界への志望度が高まった。そこで、金融業界中心に就職活動をしたわけ。

―そうか。今年は不景気で採用が少ないから大変だったよね。

確かに。無事に入社したらライバルが少ないってことだから、意外とポジティブに捉えているけど(笑)

―お互い頑張ろうね。今日は本当にありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました!

活動報告 「世界の学校から」vol.16 糸木悠
http://www.rtnproject.com/2009/12/_vol16_1.html
帰国子女大学入試・合格体験記vol.27
http://www.rtnproject.com/2009/06/vol27_6.html

インタビューアから一言

糸木くんは小さい頃から活発で、その行動力は大学の活動にも現れていると、話を聞いていて思いました。行動力と思考力が備わった彼は、誰もが優秀だと感じさせるオーラがあり、話をすればすぐにそれを実感させます。自分とは全くことなるタイプだなと思いつつも、尊敬できるところが沢山ありました。特に彼のフェイス・トゥ・フェイスの能力は素晴らしいと思います。ぼくにも分けてほしいくらいです(笑) これからもよろしく!
井戸翔太。1988年岐阜県生まれ。出生後東京に引っ越す。6歳の時に渡米し、カリフォルニア州サンディエゴに12年間滞在。Rancho Bernardo High School 卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅱ類に入学。2年前に英語ディベート部の部長を務め、今年は日本パーラメンタリーディベート連盟(JPDU)の代表を務める。現在、経済学部4年に在籍、来年からコンサルティングファームに就職する予定。