海外生活体験者・学生インタビューvol.74〜前編〜

山下博之さん。1988年神奈川生まれ。小学校6年生の3学期からロサンゼルスへ渡り、高校卒業まで、滞在。中学校から高校1年までは日本人学校。西大和学園カリフォルニア校(6th,7th,8th,9th)、Los Angeles International School(10th)、その後、現地のWest High Schoolに転校し、卒業。帰国後、京都大学経済学部に進学し、現在3回生。国際経済学(本ゼミ)とイノベーション戦略(サブゼミ)に所属。サークルは、野球サークルと新書講読会に所属している。

ぼくが住んでた町がすべてだった

―どういった経緯で海外生活をすることになったのか教えてください。

小学6年のときに父がアメリカに転勤することになったので、一緒に行ったんだ。最初は日本人学校に中学3年まで通って、1年間日系インターナショナルスクールに在籍した後に、現地校に転校し、そこで高校を卒業したよ。

―アメリカに行く前の話を教えてください。

僕が住んでいた菊川ってところは、結構小さい田舎で、見るものや人は限定的だった。小学校の途中で、ブラジルから転校してきた人がいても、その当初は、その人がブラジル人だとは全く思えなかった。限られた日本人のコミュニティしかなかったから、多分、外国人ていう概念をそもそも理解していなかったんだと思う。アメリカ行く前の僕の世界ってのは、住んでた町がすべてだった。

家族で海外旅行に連れていかれても、あんまり海外に行っている実感はなかった気がする。どうせ、1~2週間で町に戻るわけだしね。旅行と滞在は、やっぱり、感覚的にも決定的に違ったと思う。

アメリカって本当にあったんだ

―アメリカに行ってみて、まず何を思いましたか?

アメリカって本当にあったんだって思った(笑) 社会とかで世界地図は覚えたりしてたけど、そんなの行ってみないと本当にあるなんて実感しないじゃない。ロサンゼルスの空港から外に出ると、日本にはないpalm treeがあって、日本とは違ってべとつかない爽やかな風が吹いて、何もかもがそれまでの町とは違った。コーカロイドも普通に歩いているしさ。それまで住んでた町の要素が微塵もなくなって、戸惑いすら覚えた。

ただのコーラも印象ががらりと変わったよね。容器とかの外観もさることながら、違う環境で飲んだコーラは、日本で飲んだコーラとは違う感じだった。ロサンゼルスのカラッとした気候で飲むコーラってのが最高だった。

―カリフォルニアの日本人学校はどんな感じのところでしたか?

これは、今までの町の学校と変わらなかったかも(笑) でも、全国津々浦々から、生徒が来てたのは違ったかな。

カリフォルニアに住んでいる日本人は多かったけれど、そうした子どもの多くは現地校に通っていたので、日本人学校に行く人は少なかったね。目安としては、1クラス10人程度という感じかな。まあ学校の規模が小さい分、ほとんどの人と友だちになれたのはよかったと思う。何人かとは、今でも連絡を取ってる。

アルファベットはわからなくても、野球ならなんとかなる

―日常では、どんな活動をされていたましたか?

渡米してからも、野球をやっていたよ。いやあ、言葉の壁を痛感したよね。実際は小学校で、英語を学ぶ前だったから、正直アルファベットも満足にわかってなかった。しかも、細かいルールの違いもあったから、余計戸惑ったかも。でも、自分は野球を通じてなら、なんとかなるんじゃないかって思っていた。実際、野球に関することだったら、ボディーランゲージなどを介せば、なんとかなった。野球がちょっと上手かったら、すぐ「genius」とか「Ichiro」なんて呼ばれたりして、すぐにチームメイトとはうち解けたし、楽しかった。

確か当時は、ゲームボーイアドバンスが発売されていたんだけど、チームメイトにトイザラスに置いてあるからやりに行こうとか誘われたり、家の裏側にあるバスケコートで、知らないアメリカ人とバスケしたりして、日本人学校以外の人とも、ちょこちょこ学外で交流していたよ。

あと、面白かったのが野球の練習・試合中にヒマワリの種を食べていたことかな。ヒマワリの種に食塩をまぶして、殻の味わいを楽しんだ後に、中の種を食べるんだけど、本当ハムスター張りに、アメリカ人はそのSEEDSっていうお菓子を口に放り込んで、ボリボリ食べてるんだよね。しかも、何が面白いかって、その口の中で割った殻をグランドに吐き捨てまくってるんだよね(笑)

だから、傍から見たらアメリカ人はものすごい行儀が悪く見える。守備も走塁のときも、ポケットにパンパンに入れておいたSEEDSをほうばって、くっちゃくっちゃしながら、お菓子食べることに夢中になってる(笑) 日本だったら考えられないし、すごく面白かった! 食べてみたら、案外美味しいし、はまった時期はあった。

飛び込みで自分が知らない団体に入っていったことで、案外自信というか度胸はついたかも。言語が全く違う集団に野球やりに行くんだから、当時の自分には我ながら感心するというか、呆れるというか……(苦笑)

500ページの教科書を徹夜で勉強?!

―現地校に転入するまでの経緯を教えてください。

日本人学校は中学3年まで行ってから、高校1年生も行ってた。でも、やっぱり英語力が向上しないなって痛感したから、現地校に行くことを決心したんだ。噂によると、現地校に通う学生は、500Pくらいの教科書を4、5冊常に持っていて、毎日徹夜で勉強しているとか言われていた。最初は本気でビビってて、絶対嫌だったんだけど、残り少ないアメリカ生活で、英語力を身につけるには、それくらいしたほうがいいのかなとか思ったわけ。アメリカにいるからには英語話せるようになりたいしね。

いざ、現地校に行ってみると教科書は分厚かったけど、流石に500Pもなかったし、宿題で毎日徹夜することもなかった(笑) 周りに、現地校に通う知り合いもいなかったから、あんまり情報を得ることが出来なくて、そんなあり得ない話を信じてたんだよね(苦笑)

―現地校になじめないということはありましたか?

最初の1日だけは、馴染めなかったかな(笑) やっぱり転校してすぐってのは、友達もいないしね。ただ、野球を通じて知っていた友人に、彼の友人を紹介してもらったりして、昼休みを一緒に過ごす友人はすぐ出来たし、すぐ馴染めたよ。

Tristanは一日中ダンスを踊っていた

―現地校にどんな印象を抱きましたか?

現地校には、今までとは違って、本当に多種多様な人がいたし、僕はそれがすっごい楽しかった。今でも、昨日のことのように感じる(笑) 日本人学校だったら、親が駐在で、とかいう人ばかりだったから、生徒も、僕含めてみな、どこか均質的だった。現地校に行ったら、授業中に踊りだす奴やら、ミリタリースクール行く奴やらで、本当に色々な人がいるんだよなって気付かされた。

その授業中に踊りだす奴が、個人的にはすっごいカッコイイと思っているし、憧れた。名前もTristanっていって、これまたカッコいいんだ(笑) 首振って腕ぐるぐるしたり、腰振ったりしてて、常に調子乗ってる感じ(笑)

今まで、均質的な環境にいたから、いわゆる空気を読んでばかりだったけど、そいつは凄いKYだった。というより、周りがどう思うか考えたことが、生まれてこのかた全くなくて、自分のやりたいことだけをやっているようにすら思えた。でも、そいつは、アメフトのすごい選手で、学校では誰もが一目置くような奴だったんだよね。アメフトをやってるんだから、チームプレーはしっかり出来るんだと思うけど、自分がしたいことに対して、周りがどう思うかについては、本気でどうでもいいと思ってる感じだった。

最後の授業の日にも、そいつは、“Today is the last day of the school! Hooo!!!Yeah guys!!!”とか言って、わけわからん理由で踊っていたなぁ(笑) そんなに踊るの好きだったのかな? でも、そいつの良い面は今でも参考してる。まあ、公衆の面前で踊ろうとは思わないけど(笑)後編はこちら>>
吉村政龍。1989年東京生まれ。小学5年から約8年間台湾に滞在。Dominican International Schoolを08年に卒業し、帰国。予備校で約1年間受験勉強に明け暮れた末に、京都大学法学部に合格し、入学。昨年は大学で学ぶことの意義に疑問を抱き無気力に陥ってしまったが、2回生になる今年からは法学と経済学の勉強を両立させながら、ロースクールを目指すと同時に、いろいろな新しいことに挑戦することを決意した。