海外生活体験者・社会人インタビューvol.62

interviewee_s_167_profile.jpg 木元仁玉さん。86年生まれ。5歳まで中国で過ごす。その後兵庫県姫路に住み、同志社大学商学部に進学。20歳のときに1年間アメリカNYに留学。大学4年生の2010年2月、東京都主催のビジネスコンテストで、オーディエンス賞と最優秀賞のダブル受賞という快挙を達成する。内定先企業を入社3週間前にして辞退し、大学卒業後、起業し美容関連事業を立ち上げ、現在、株式会社J LINK INTERNATIONAL代表取締役。日本語、中国語、韓国語、英語も話すクアトロリンガルでもある。

日本に帰ってきてからはちょっと大変だった

親が中国人なので、0歳から3歳までは大連、3歳から5歳までは吉林省に住んでいたんです。ここで、最初の言語、中国語を習得しました。韓国語も吉林省にいるときに覚えました。吉林省は漢民族の他にも朝鮮系の人も結構いて、公用語が韓国語と中国語なのです。そこで生まれ育った人は韓国語しか話せない人も多いので、話す機会が多く、学ぶ機会がいっぱいありました。5歳になってから、兵庫県の姫路に引っ越してきました。

日本に帰って来てからはちょっと大変でしたね。私は日本語を満足には話せなかったのと、今は日本国籍ですが、そのときは名字も中国人って感じだったのでいじめられました。でも母曰く、3ヵ月くらいたったら、たくさんの友達を連れていたみたいですけど(笑) ですが、本人にはちょっとつらい経験でしたね。

そうだ、私ニューヨークへ行こう!

5歳で姫路に移ってからは、そのまま日本の暮らしになじんで、普通に高校・大学と受験しました。ただ、ゼミにもサークルにも所属しておらず、大学とはあまり関わりがあった感じではありません。今思えば、特定のクローズされた空間に生きるのは息苦しかったのかもしれません。大学2年生の6月ごろ、これも直感なのですけど、バスに乗っていたらいきなり、「あ、私ニューヨーク行こうっていうか、行くわ!」と思って決め
ました。そこから1年休学してニューヨークへ旅立ちました。

日本にいるときは英語も出来る方だと思っていたので、ちょっと高を括っていたところもあったんですよね。それが、実際ニューヨークにいって、ネイティブに全くついていけないことにショックを受けました。でも、日本人は文法が出来るから、語学学校の最初のテストの結果、一番上のクラスに入れられてしまったのです。日本人は一人もいなくて、周りは普通に英語を話せるヨーロッパ人だけ。授業内容も、安楽死や児童労働など、日本語でも上手く説明できないような、難しいテーマばかりでした。

主張しないと周りは聞いてくれない

一番悔しかったのは、自分の意見が伝えきれないことでした。例えば、【死刑制度】がテーマだと、ヨーロッパでは基本的に死刑制度に反対なので、みんな反対意見でした。日本人が一人だったこともあり、私は日本の代表という自覚もありましたし、「言っていることは間違っている!」とイギリス人だった先生にまで一蹴されて。まるで、自分という人間を否定されて、何を言っても誰も聞いてくれない、同等に扱ってくれない……と、本当にくやしい思いをしました。トイレで何時間も泣いていたときもあったんですよ(苦笑)

それを克服したのは、単に英語力がついただけでなく、「最後まで自分の意見を主張してこそ、周りの人はやっと意見を聞いてくれる」ということがわかったから。日本人から見ると、欧米人ってきつい言い方をするように聞こえるときもあると思います。ダイレクトに批判されたりするとショックを受けていたのですが、別にその人たちは私のことを嫌いだから攻撃しているわけではないと気づきました。だから、ストレートに意見を否定されても、「あなたの意見も分かるけど、私はこういうふうに思うの」ときちんと向き合えるようになりました。すると、向こうも「なるほど、じゃあこういうふうなら?」と、口論でなく討論になっていきました。

相手のことを知りたいから自分をオープンにする

アメリカや中国では、ちゃんと自分の意見を言う人をリスペクトしてくれますよね。彼らが自分の意見を最初に言うのは、相手のことを知りたいので、まず自分をオープンにしているのだなと思いました。それに、自分の意見を言えれば、相手の年齢や立場に関係なく相手はちゃんと聞いてくれるのが、すごくいいなと感じました。そういう経験が出来て、今まで自分の感じていた世界が当たり前でないとわかって、人として豊かになった気がします。

ニューヨークは色々な国の人がいて、ちょっと逆にアメリカっぽくないところもありますが、その分世界の縮図を見られたことがとてもよかったです。自分の悩みのちっぽけさに気づいて、色々なものから解放されました。行き先をニューヨークに決めたのは、単なる直感なのですが、その奥には「世界を見てみたい」という希望があったからだと思います。

最初に内定をもらったので、これは運命だ!

アメリカから帰ってきてからは、就活を始めました。私はかねてから興味があった美容関係の10数社ほどしか受けていません。リーマンショック直後の大不況だったので、これには周りからの猛反対にあいました(笑) でも、結果として、とても行きたかった会社から最初に内定をもらい、この会社は運命だ!とまで感じましたね。3月には内定が出ていたので、4年生は何やろうかなと思ったとき、自分の中国語能力が下がってきているのが嫌だったこともあって、今度は北京に行こうと思いました。

内定先の同期はものすごく仲がよくて、自主合宿などもしていましたが、私が北京に行っても月に2、3回スカイプで熱く語りあっていました。みんなものすごく熱かったので、「入社したらこの企画提出しよう!」とか言っていて、営業計画書とかも書いていました。私は書き方もあまり知らなかったので、その勉強をしたいなと思っているときに、同期のリーダーの子がビジネスコンテストを紹介してくれたんです。

最優秀賞&オーディエンス賞のダブル受賞

それは、東京都主催のビジネスコンテストだったのですが、やはり興味のある美容と中国をテーマにすることに決めました。自分の勉強のために出たので、1次、2次が通って、3次で初めてパワポの存在を知ったくらい(笑) 決勝に行っても、まさか自分が優勝するとは思ってもみませんでした。

結果的に最優秀賞をいただきましたが、嬉しかったのはオーディエンス賞です。お客さんがメッセージを紙に書いて、私たちの持っているかごの中に直接投票するんですね。「すごいよかったです」とか「頑張ってください」とか、嬉しい言葉を一杯いただけました。オーディエンス賞受賞直後に最優秀賞が発表されたのですが、席に戻ったらすぐまた呼ばれて、会場も盛り上がってくれて、とっても楽しかったです。

この流れに逆らっちゃいけないと思った

起業しようと決めたのは、このビジネスコンテストがきっかけです。このあと、多くの審査員の方々や見に来てくださった人たちから、「君のアイデアはすばらしかった。そしてこのアイデアは日本に今必要で、日本を照らすことが出来るアイデアだ。」と言われました。「そして、そのチャンスは今しかないんじゃない?」とまで言われて。確かに、「チャンスの扉は今開いている」と、そのときは感じましたね。

ですが、内定先も大好きでしたし、約1ヵ月間ものすごく悩みました。結局出した答えは「独立」。自然な流れでチャンスがやってきている以上、この流れに逆らっちゃいけないと思ったからです。何も努力もせずに周りに流されるのはよくないけれど、自分なりに一所懸命毎日頑張って、100%の力を出してそれを認められたってことは、この流れに乗るのは必然的だと感じたんです。私は、人生はなるべくしてなっていると感じています。入社3週間前に内定を辞退して、自分の夢を追いかける道を選びました。

夢を実現するための第一歩としての企業!

起業したいと言っている学生は大勢いますが、「どうして起業したいの?」という問いにきちんと答えられないなら、正直あんまりお勧めできません。確かに、中にはなんとなく起業したいという想いで進んでいく起業家もいます。ただ、私の場合は、今自分のやりたいことがあって、それを実現するための起業というスタンスです。まだ会社を興して2ヵ月ですが、はっきり言って大変です。アフター5も休日もありません。でも、自分の心が決まっていれば、どんなに大変でもくじけないし、周りも納得してくれます。だから、自分が本気でやりたいことが見つかったら、起業に向けて頑張るのもいいと思いますね。

活動報告 vol.31 木元仁玉 :
http://www.rtnproject.com/2010/04/_vol31.html
海外生活体験者ブログ vol.8 木元仁玉 :
http://www.rtnproject.com/2010/04/_vol8_1.html

インタビューアから一言

木元さんにインタビューして、ものすごく刺激を受けました。アメリカに行こう!と思い立って行ってしまう行動力と、聞いている人を引き込む話術がうらやましかったです。木元さんは自分の興味のないことはしないと、はっきりしていますが、自分の興味のあることにかける情熱は半端ではないと思います。そして、木元さんが運のなかで一番大事なのは人運だと言っていたのが印象的です。実際たくさんの方のお世話になっているとおっしゃっていましたが、人を惹きつけるのは彼女の才能の一つなんだろうなと感じました。決して簡単な道のりではないと思いますが、期待しています!!
内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。 Deerfield High School卒業後、帰国し、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻高度医療科学研究室の5年生。クルクミンと抗癌剤の併用効果の研究をしている。