海外生活体験者・学生インタビューvol.75

林田澪亜さん。1990年横浜生まれ。8歳から中国に2年間滞在し、その後一度日本に戻ってから、10歳から18歳までフランスのストラスブルグ近郊のヘーゲンハイム、ドイツのデュッセルドルフに数年ずつ滞在。ドイツのISD(International School of Düsseldorf)を卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。2年進学時に法律学科に転科し、現在は同大学法学部法律学科2年に在籍中。法律系サークルの役員を務めながら法曹を目指している。

フランスに住みながらスイスのインターに通う

―よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

―ではまず海外滞在歴を教えてください。

まず、小学校の2年生の2学期に中国の大連に行って、そこで日本人学校に通っていたんですけど、そのあと一度日本に戻って、小学校4年の終わりにフランスに行きました。そこからずっとフランスに住みながら、スイスの学校に通い……

―え? フランスに住みながらスイスの学校行ってたの?

父親がフランスで働いてたから、そこに住まなきゃいけなかったんだけど、インターナショナルスクールに通いたくて、付近にはなかったから国境を越えてスイスまで行ってた。

―どうやって?

母に車で(笑) でも余りに遠くて、毎朝1時間半かかったから、もっと近くの、フランスとスイスの国境の近くに引っ越して、歩きと電車で通ってた。高校1年の夏の終わりにドイツに引っ越して、ドイツの学校に通い、卒業して日本に帰ってきました。

フランス語とドイツ語を英語で勉強

―日本の教育は全然受けてないんだね。どうやって日本語はキープしたの? やっぱり家族?

うん、2年半くらいしか日本の教育は受けなかった。日本語は家族で話してたのと、あと読書が好きで、日本語の本をよく読んでいたから、苦労はしてないかも。

―フランス語はいつ習得した?

初めてヨーロッパにいったとき、一番必要だったのは英語だったから、日本にいた頃から英語の塾に通っていて、英語のことばっかり考えてた。フランス語は、フランスについてから、現地のフランス語の語学学校に通ってた。学校の必修で、フランス語とドイツ語と英語を、英語で勉強しなきゃいけなかったから。

―まだフランス語、ドイツ語はそれなりに話せるんだっけ?

ドイツ語は大学で第二外国語としてやり直して蘇ってきたかな?(笑) フランス語はフランスに住んでたから使っていただけで、必要性を感じなかったから、だいぶ忘れたかな。スーパーでの買い物くらいはできるけど(笑)

―友達との会話で苦労はなかったの?

フランス語とドイツ語で話す友達がいなかった。インターだから英語か日本語で話すくらい。あ、今思ったんだけど、第一外国語は中国語だった! たまに思い出すくらいであまり覚えてないけど(笑)

―英語も最初は苦労した?

英語は小学校のときは難しい単語を全く使わないから楽だったし、それに教育は日本のほうが進んでいるから、学業面では苦労しなかった。だから、その分語学の勉強に集中できた。

中国、フランス、そして、ドイツ

―中国の印象は? 中国で差別受けたりだとか、怖い経験はなかった?

中国のときは、小さかったから、見るもの全てが新鮮で輝いてた。歴史的なこともわからなかったから、毛沢東の銅像があるーみたいな(笑) 珍しいとか言われても、わからないから、全部楽しいだけだった。今はどうかわからないけど、日本人が固まって住む集落があって、その一つに住んでたから、働いてる人はみんな日本人だったし、接する中国人も親日な人ばかりだったから、怖いと感じた経験はないかな。

―フランスは?

ザ・西洋人っていう感じ(笑) 最初に接した西洋人がフランス人だったから。引っ越してすぐに、いつも犬を連れて家の前を通る大家族がある日ピンポーンと呼び鈴をならして、「今度うちきてBBQをやらない?」って誘ってきて、オープンだなって。田舎だったから、そういう感じだったのかもしれないけど、社会のどの層にいても人生を楽しんでいるのが、「戦争に負けてない」フランスの人の国民性なのかなーっていう印象。

―戦争に負けてない?

一番最後は勝ったから? ドイツとフランスを比べると、ドイツにはやっぱり暗さを感じた。這い上がってきました、みたいな(笑)

―そうなんだ! アメリカで育つとフランスは第一次も第二次世界大戦も侵略されてっていうイメージが強いんだけど、最後は勝ったもんね。

フランス人は気高いのに対して、ドイツ人は極めて日本人に近いというか、頑張ることはいいことみたいな。

―時間に正確なところも似てるよね。

うん、フランス人は6時に修理にいきますって言えば、必ず8時以降、酷いときは次の日に来たりもするけど、ドイツ人はちゃんと正確な時間にくる。

―ドイツのインターでの高校生活を聞かせてください。16歳でお酒飲めるけど、酒・煙草なんかは、学校でどういう扱いだった?

さすがに校内に灰皿はなくて、外に出れば吸ってもよかった。お酒は親の承諾をもらえたら、イベントなんかで振舞われたら、それを飲んでもよかったかな。私は高校のあいだJudicial Boardっていう、校長1人・教師3人・生徒3人で構成された、学則に違反した生徒の処分を決める委員会に所属してました。それと、あの頃は教育に凄く興味を持っていたのと、ボランティアもよくやっていて、南アフリカやタンザニアに行ったりもしてた。

自分が日本人だっていう意識は常に持っていた

―では、これだけ色々な国にいってるけど、林田澪亜という人格はどこで形成されたと思う? 部分的には全部の文化から影響を受けているんだろうけど、どの文化の影響が一番大きいと感じる?

フランスかな。お年頃だったから(笑) 思春期で一番悩んだ時期だったから。それが大きいかな。でも、それだけじゃなく、この頃は直行便がなかったから、日本に全然帰れなくて、未だ幼かったから日本に帰りたくて「どうしてこんな国にいなきゃいけないんだ」とか、「私だけどうして英語を話さなきゃいけないんだ」なんて思ってて、自分がいた環境にありがたみを感じられなかった。

―日本に帰りたかった?

うん、フランスにいたころは帰りたかった。でも、ドイツに引っ越して、フランスにはいなかった日本人がドイツにはいっぱいいて、インターで同年代の日本人と接して、自分が恵まれていたんだなって感じられた。だから、ドイツの3年間では色々なことを吸収しようって思うことができた。フランスと言うよりも、フランスとドイツにいたときに、私が形成されたかな。

―じゃあ、文化的にはフランスとドイツには余り影響うけなかった?

日本に帰って来て、だいぶ日本人っぽくはなったとは思うけど、でも一番好きなのは、やっぱりフランスのライフスタイルかな。一番好きな人間の種類も、フランス人みたいに落ち着いた楽しい人だし。

―話を聞く限り、自分が日本人だっていう意識は強かった。

すごく強かった。フランスの時が一番強かった。逆に、ドイツでは日本人がいっぱいいて、周りの日本人とは少し違うって感じた時期もあったけど、とにかく自分が日本人だっていう意識は常にもってた。

私は“ザ・帰国子女”だ、みたいな

―確かアメリカやイギリスの大学に進学することを最初は考えてたんだよね。

日本に戻りたいっていう気持ちが一番強かったんだけど。。。最初フランスにいたときは3年くらいで日本に戻るはずだったんだけど、父親の仕事の都合でもう少しいることになって。で、戻るってなったら、絶対に早稲田にいく! って言ってたりしたんだけど(笑) でも、高校生活の中で、アメリカに行くのもいいなって思うようにもなった。

―で、紆余曲折を経て日本の大学に進むことになったと。日本に戻るって決まって嬉しかった? やっぱり他の国に行きたかったっていう気持ちが強かった?

嬉しかった。フランスとドイツに3、4年ずつ滞在して、そろそろ次の国に行きたいなとも思ってたから、そういう意味でも嬉しかった。

―帰国子女受験で苦労はした?

しなかった(笑) 向こうにいたころから本はいっぱい読んでいたし、小論文もコツをつかむだけで、追加で本を数冊読むだけだった。日本語が他の受験生と比べて下手ってこともなかったし、英語は英語で自信があったから。私立は楽だったかも。

―じゃあ帰国子女受験に適してたんだね。私は“ザ・帰国子女”だ、みたいな?(笑)

そうそう(笑) 大学から見ても極めて魅力的だったんじゃないかな?(笑)

気づいたら法律に関心を持っていた

―澪亜は現在慶応法学部に在籍し、僕も入っている法律系サークルの日吉代表を務めながら、ダブルスクールもしてるわけだけど、将来はやっぱり法曹を目指しているんだよね?

うん。本当に法曹の道に進むかはまだわからないけど、とりあえずロースクールに進学しようと思ってる。

―きっかけは?

政治学科の講義を受けていて、政治思想以外の授業がつまらなくて(苦笑) 政治思想に関しては、人って面白いこと考えるなって思えたんだけど、政治は余り興味がもてなかった。必修の中でも、法学や憲法のほうに気づいたら関心をもっていて、勉強したいのは法律だなって。だから本当に勉強に専念したいと考えたときに、法律学科に転科しようって。時期は1年の夏頃かな。

―法律のどこが面白いの? 政治よりも法律に何故興味をもったのかな。

政治学の授業をうけていて、人の考えがどうシステムに反映されるかを国家単位で考える学問っていう印象を受けて、人そのものを見る学問じゃないんだなって。それに対して、法律は人が人のためにつくったもので、人そのものを見る学問で、私はシステムより人について考えることに興味があったから、自然と法律に興味を持つようになった。

―それじゃあ、ロースクール進学後、法曹になるにしろならないにしろ、将来は海外にまた戻りたい? 海外で仕事をしたいって考えてたりする?

思ってます。少なくともロースクールも含めて6年日本にいなきゃいけないことも考えて、もし司法試験を合格して弁護士資格をとったら、機会があればアメリカでも弁護士資格をとりたいな。

―じゃあ、将来的にはやっぱり海外で働きたい、住みたい気持ちが強い?

うーん、近い将来は日本でいいと思うけど、子育ては海外でしたいかも。

―バリバリ働きたい? 専業主婦は嫌だったりする?

余りお金に対する執着心はないから、楽しくない限り、そんなには仕事したいとは思わないけど、時代も考えて働いたほうがいいと思うし、やっぱり働きたいかな。大学入った当初、政治学科いたときは大学院に進んで、ずっと研究すればいいかなって考えてたりもしたんだけどね。

インタビューアから一言

澪亜とは大学のサークルで仲良くさせてもらっています。しっかりと自分を持っていて、遊びも勉強も難なくこなしてしまう、多才で魅力溢れる女性です。今年は澪亜のカリスマ性に惹かれてサークル入る新入生も多いのではないでしょうか。もっとここを聞けばよかったという反省点もあるのですが、澪亜の人としての強さや魅力を改めて知ることができました。初めてのインタビュー付き合ってくれてありがとう! これからも末永くみんなで仲良くして行きましょう。
三雲俊介。1988年生まれ。中学1年の夏に幼少期にも数年滞在した、米国カリフォルニア州オレンジカウンティー、ニューポートビーチに移り、私立 St. Margaret's Episcopal Schoolに高校卒業まで6年間通う。高校卒業後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学。現在3年に在学。現在は法律系サークルとフットサルサークルに所属している。