海外生活体験者・社会人インタビューvol.66

interviewee_s_173_profile.jpg 平川雄太さん。1988年生まれ。 3歳の頃から英語を学び、小学校卒業後、単身グアムへ渡り、中学卒業まで滞在。中学校卒業後はアメリカのニューヨークへ行き、1年半滞在後、アメリカのカリフォルニア・ロサンゼルスへ。ロサンゼルスの現地校を卒業後、ソウル大学言語教育学院を卒業。現在ヒルトン・ホテルに勤務し、ベル・ボーイとウェイターとして働いている。

実は英語がファースト・ランゲージ

―雄太とは、高校卒業以来だね。高校卒業以来、たまーに連絡取っていたけど、会っていたりはしなかったもんな。今日は、高校以前の話や、高校卒業後の話も聞かせて!

うん。博之とは高校で同じクラスだったりしたけど、卒業以来は会ってないもんね。今日はよろしく。さっき偶然、出会った友だちも連れてきてしまったけど、大丈夫だよね?(笑)

―インタビューに差し障りがないなら、人数多いほうが楽しいし大丈夫だよ!

―いつまで日本にいたの?

生まれてから、小学校卒業まではずっと日本に住んでいたよ。3歳の頃からずっと英語を習っていたんだ。家の母がこれからの時代は英語だ!って思っていたから、そんなに小さい時期から学ばされていたんだ。小学校にいる時間以外は、家でもずっとアメリカ人といたから、日本にいても、いつの間にやら、英語の方が得意になっちゃって(笑) だから、実は英語がファースト・ランゲージなんだよね。日本語より、英語の方が得意なんだ。知ってるでしょ?

いや、知らんけど(笑) でも、3歳の頃から英語学んでいたんだ……すごいな。いわゆる、英才教育ですな(笑)

まあ、自分でいうのもなんだけど……、一種の英才教育だよね(笑)

雄太が初めて海外の国に住んだのはいつ?

小学校を卒業した後に、グアムに行ったよ。グアムには3年間住んでいたから、7年生から9年生の間までだね。両親がグアムが好きで、英語を勉強しに行って来いって言われたんだよね。血の繋がっていない保護者がいたけど、一人でたくましく生活していたよ(笑)

―へぇー! 中学生で親元離れて生活するっていうのはすごいと思うなあ。そこら辺って、反抗期にしても、なんだかんだ親がいなくなったら、さびしい年頃なんだろうしさ。雄太って、案外たくましいんだね(笑)

はじめての海外って気はしなかった

―グアムはどうだった?何が印象に残ってるの?

グアムは本当に小さかったなあ。地図では点でしかないんだよね。3時間で島を一周出来てしまうしさ。後は、留学生が結構いたから、その人たちと積極的に交流をして、話をしたりしたくらいかなあ。色々な国から留学生が来ていたから、その人たちのお話を聞けて、中学生ながらに価値観は広がったんじゃないかって思う。

―英語は大丈夫だったの? 一応、それまで海外で暮らしたことないわけだし。

日本の小学校に通っていたときから、夏休みなんかには、たまにミシシッピなどに英語の勉強に行かされていたから、初めての海外って感じはしなかったかなあ。さっきも言ったけど、英語の勉強自体は3歳の頃からしていたし、アメリカ人とはずっと一緒にいたしね。だから、そこまで新鮮ではなかったかも。

―確かに……、雄太の家がアメリカ的なものだもんね(笑) それからグアム行くって、住む場所が変わるくらいのことくらいしか思わないのかもね。

グアムのあとは、NY&LA

―グアムの後は、どこに行ったの?

グアムの後は、ニューヨークに行ったよ。住んでみたかったからね! 1年と半年くらい住んでいたのかな。だから、11年生の途中までかな。世界的な大都市だったし、一度は住んでみたかったから、ニューヨークに行ったときは、本当に興奮したなあ。

―何が印象に残っている?

ニューヨークは、本当に治安が悪かった。学校には一日に一回は、警察が来ていて、生徒の誰かが逮捕されて、連行されていくんだ。日本に住んでいたときは、治安は無条件に良いものだったし、グアムのときもそんなに悪くなかったから、本当に衝撃的だったなあ。

―他にはある?

あとは、やっぱりブロードウェイかな。世界一の演劇力と、演出力で初めて行った時は本当に感動したよ。あんなに感動したのは人生で初めてかもしれない。ブロードウェイは本当にすごかったなあ……また行きたい!

―ニューヨークの後は、カリフォルニアのロサンゼルス?

うん、ニューヨークの仲良かった知り合いが、カリフォルニアに転勤になって、両親がせっかくだから、お前もカリフォルニアに行けって(笑) それでWest High Schoolにトランスファーして、博之に体育の授業で会ったってわけ(笑)

―そういえば、初めて会った時体育の授業だったね……よく覚えているね。そんなこと忘れていたよ(苦笑)

アメリカの高校だと、2年間ほど中国語を履修して、聞きとって話すことが出来るようにはなったかな。もちろん読み書きもそれなりに出来るようになったよ。頑張って勉強した甲斐があって、卒業の年には中国語で最優秀賞ももらったりした!

あ、あと、LAの住んでいた地域は治安が良かった!(笑)

―雄太、よく中国人と中国語で話をしていたもんな。アメリカなんだから英語使え!とか思っていたけど(笑) でも、とにかく高校の時から色々な言語を操る男ってイメージがあったぜ!

英語、中国語のつぎは韓国語

―高校卒業後は、どうしていたの?

高校卒業後は、日本に帰国して、ワンクッションを置いてから、韓国の専門学校行ったよ。ソウル短期大学で、韓国語を専攻していたんだ。韓国の大学に行った理由は、韓国語を専攻していたように、もちろん韓国語を覚えるため。

―えっ?! 今だって、連れてきた韓国人の友達と流暢な韓国語で会話しているから、韓国語が話せるようになったんだろうけど、日本語、英語、中国語、韓国語で、4ヶ国語も話せるようになったのか?(笑) 4ヶ国語話せるってすごいな。

韓国には1年半ほど住んでいて、韓国語に関しては、半年で日常会話が出来るようになって、1年で現地の人たちと冗談を言えるようになって、1年半で新聞や小説を読めるようになったよ。韓国に来ていたんだから、韓国語を身につけようと毎日毎日、必死に勉強していたよ。

―韓国の文化について教えてくれ!

No Alcohol, No life in Korea!! 日本と同じかもしれないけど、韓国では飲みにケーションがすごかったと思ったなあ。ちょっと仲良くなると、すぐお酒を飲みに行く。それから、上下関係が厳しかったなあ。年上には必ず敬語を使わないといけない。ただ、仲好くなると兄貴とか姉貴って呼ぶようになるんだよね。

あと、ちょっと面白かったのが、知り合いの名前を忘れてしまって、その人が年上の場合は、男性なら「ヒョン」って呼んで、女性なら「ヌナ」って呼ぶんだよね。結構使ったかも(笑)

スムーズなコミュニケーションによって

―卒業した後は?

卒業した後は、ヒルトン・ホテルでボーイしているよ。ボーイだから、直接部屋に行ったりすることが多々あるんだけど、4ヶ国語喋られるから、お客さまのほとんどに対応できる! スムーズにコミュニケーションが取れるから、満足してもらえているよ。お客さまに満足してもらったり、コミュニケーションを円滑に取れたりすると、4ヶ国語を身につけて本当に良かったなあって思う。

―だろうな(笑) ほとんどカバー出来そう!

―最後に、どうしてそんなに言語を学ぶのか教えてくれ!

んー……、言語を覚えるのが趣味だからかなあ(苦笑)

―今日はありがとう! また会おうぜ! 今度は京都で! 雄太の友だちも会いたがっているしさ!(笑)

活動報告 「世界の学校から」vol.12 山下博之
http://www.rtnproject.com/2009/08/_vol12_1.html

インタビューアから一言

雄太とは同じ高校に通っていました。学区で通う高校が決まっていたので、実は家も近かったりして、たまに遊んだりしていたんですけど、こうやって話をすることはあまりなかったので、このインタビューを通じて、雄太の過去を色々と知ることが出来ました! また、今回のインタビューには、雄太の友だちが同席していたのですが、彼らとはちょっと前に知り合ったと聞き、驚きました。高校のときからの、気さくな性格は変わっていないみたいです(笑) それにしても、4ヶ国語も操れるのは羨ましいです!
山下博之。1988年神奈川生まれ。小学校6年生の3学期からロサンゼルスへ渡り、高校卒業まで、滞在。中学校から高校1年までは日本人学校。西大和学園カリフォルニア校(6th,7th,8th,9th)、Los Angeles International School(10th)、その後、現地のWest High Schoolに転校し、卒業。帰国後、京都大学経済学部に進学し、現在3回生。国際経済学(本ゼミ)とイノベーション戦略(サブゼミ)に所属。サークルは、野球サークルと新書講読会に所属している。