海外生活体験者・学生インタビューvol.76

小池佳菜さん。1988年生まれ。13歳の時に韓国へ渡る。当初は日本人学校に所属するが、高校からはSeoul Foreign High Schoolで学ぶ。高校卒業後は帰国し、大学受験の準備をした後、慶応義塾大学法学部政治学科へ進学。政治理論を学ぶかたわら、学園祭の実行委員会に所属し、多忙な毎日を送っている。

―改めてとなると緊張するね(笑) 今日はよろしくお願いします!

こちらこそお願いします(笑)

〜序章〜
韓国に行って

―今日は海外体験を通してどう変わったかを中心に聞いて行きたいと思います。小池さんの留学先の韓国は英語圏じゃないんだけど、初めはどうだった?

中学2年生のときに親の転勤で韓国に行ったの。もともと転校は多かったから、転校すること自体にはそんなに抵抗はなかったけど、やっぱり韓国に行くことに対しては、ポジティブなイメージはなかったよね。当時の韓国のイメージとして、町が汚い、反日感情も強いし住みにくい、発達し切ってないといった、ネガティブなイメージが強かったから。まあ、そのうちの半分は間違ってて、半分は当たってたけど(笑)

日本に残るっていう選択肢もあったんだけど、韓国語を勉強したいという気持ちと期待の方がそのときの生活よりも強くて、結局行くことに決めたかな。

―チャレンジャーだな!(笑) で、実際の韓国はどうだった? カルチャーショックとかあった?

いろいろすごかった(笑)

まず、韓国に着いたときに最初に思ったのが、「空気が汚い」ということと「町が予想以上に汚い」ということ。そのうえ、最初は食事が合わなくて。水を水道水から飲んじゃいけないというのも衝撃だったし、外でご飯を食べたら必ずお腹壊してたから(笑)マックとかスタバみたいな馴染みのある場所でしか外食はしなかったしね。

そんな感じで、周りの環境も合わなかったうえに、全く言葉が分からなくてコミュニケーション取れなかったし、最初は「居場所」が感じられなかったな。でも、学校が始まるとコミュニティもできたし楽しくなった!

―文字通りのカルチャーショックだな。初めは日本人学校に通っていたんだよね?

韓国に行って、最初は日本人学校に入ったから、友だちもすぐにできたし、すごくat homeな雰囲気で楽しかったかな。当初の予定では高校のときに帰国する予定で、それもあって日本人学校に行ったんだけど、徐々に韓国という場所が好きになったこともあって、高校も韓国に行くことにしたの。

インターに通うにあたって、英語力に若干の不安があったんだよね。それもあってオーストラリアに3ヶ月の留学をすることになったんだけど、それが大きな転機になった気がする。

〜転機〜
チャレンジ精神!

―初めて日本人が一人の環境に行ったわけか! どうだった?

オーストラリアで通った学校はすごい田舎だったんだ! アデレードからプロペラ機で移動しなきゃいけないし、学校まで歩いて45分かかるし、そのへんではカンガルーがボクシングしてるし(笑)

そんな環境に日本人一人放り込まれた上に、英語はオーストラリア訛りでよく分からない。初めはなかなか大変だった。学校はすごく歓迎の雰囲気だったから、すぐに馴染めはしたんだけど、やっぱりホームシックにはなったかな。最初の一ヶ月は心が折れそうで、ただ意地になってた(笑)

―予想通りとはいえやっぱり大変だよね。どうやってそれを乗り越えたの?

そのときに助けとなったのが、日本文化を通じた現地の人との交流と日本にいたときに部活でやっていたバレーボールだった。オーストラリアはビーチバレーが盛んだから、地元のバレーチームと試合をしたり、それから、折り紙を教えたり日本料理をふるまったりした。ただ言葉を交わすだけじゃなくて、自分から積極的に参加していくことで、言葉の壁なんて簡単に壊せるんだということを知った。

そんなこんなで、最後の2ヶ月はほんとにあっという間に過ぎてしまったの。気づいたらすごく楽しい海外経験をしてた。老後はオーストラリアに移住するって決めてるしね(笑) 多分、オーストラリアでの経験を通して外国で生活するということに対して積極的になれたし、自ら行動を起こすということの大切さを知ったと思う。

―韓国にまた帰って来て、こんどはインターに通ったんだよね。インターってどんなところだった?

とりあえずいろんな人がいた(笑) ロシア人、オランダ人、フランス人、ドイツ人、アメリカ人、中国人、台湾人、インド人、etc。とにかく、ありとあらゆる国籍、宗教、文化、価値観の人がいた。いままで色々な経験をしてきたから、新しい環境に対する恐怖心はなかったし、クラスに馴染むという意味では問題はなかったんだけど。

それから、とにかく勉強が大変だった。まず、英語が着いて行けない! っていうところから始まるから(笑) 忙しいときは、ほんとに寝る時間もないくらいに課題、プレゼンとかに追われてたしね。でも、いろんな人がいることは単純に楽しかったし、常に好奇心を刺激されてた。

―具体的に、日本ではないでしょ! みたいなエピソードある?(笑)

例えば、昼休みになると、いつも生徒がKFCとかSubwayにデリバリーを頼むの。それで、来たデリバリーを少し水増しして他の生徒に買ってもらって、部費とかにしちゃうの!(笑) 最初はすごいびっくりしたけど、先生も何も言わないし、生徒もみんな買っているし、とにかくなんでもやってよかった。日本だったら絶対にありえないことだもんね。でも、そんな場所にいたおかげで視野が広がったし、いろいろな国とか人の考えを受け入れられるようになった気がするな。

―まさにインターナショナルだね!(笑) インターでも相変わらずのバレー少女だったらしいじゃん。

インターにいたときもバレー部に所属してたんだけど、そのおかげで行動範囲がすごく広がった。例えば、在韓米軍の子弟との試合を基地でやったし、他のインターと試合はしょっちゅうしてたしね。うちの学校のチームはわりと強かったから、アジア中からインターが集まる大会にも行ったしね。しかも、その大会では優勝!(笑) ニューヨークにバレーの練習に行かせてもらえたし、おかげで人間関係がすごく広がっただけでなく、活動範囲も広がった。

なんかバレーの話ばっかりしてる気がするけど(笑) 今考えるとバレーの存在は大きかった。バレーはすぐとけ込めるし、打ち込める最高のコミュニケーションツールだったかな。

~終章~
海外経験を通して

―やっぱりスポーツに国籍とかは関係ないってことかな。高校卒業後は日本に帰ってきたわけだけど、日本はどう?

将来的には日本で働きたいと思ってたから、日本の大学に行くことにしたの。大学として慶應を選んだのは正解だと思うし、いまも十分に楽しいよ!

だけど、不満もいろいろあるよね(笑) 日本は平和だし、きれいだし、便利で住みやすい場所ではあると思う。ただ、改めて日本に帰って来るとすごく狭い。人間関係もそうだけど、なにか狭さを感じる。

韓国にいると日韓関係とかに敏感になるし、価値観の違いとかを常に意識しながら生きていた気がする。だから、将来的には海外に拠点を置いていろいろなことをやってみたいかな。ハーフの子供もかわいいしね(笑)

―海外に行って一番良かったことはなんだと思う?

何回も言ってるけど、チャレンジ精神が旺盛になった!(笑) 何事にもひるまなかくなったし、ぶつかっていけるようになった。

それに英語と韓国語を学べたことは大きな財産。そのおかげで、英語を生かした仕事や活動をできるようになったし、海外の情報にはすごく敏感になった。単純にチャンスが広がったと、今すごく感じる。それにFacebookとかで今でもみんなと繋がっているから、常に刺激を受けるし、選択肢も広がっている。韓国に行ってなかったら、チャレンジ精神も根性もない不良になってた気がする(笑)

―不良の小池さんも見てみたいけどね(笑) 最後に、これから海外に行く人とか滞在中の人に向けて一言お願いします。

チャレンジ精神があればなんでもできる!(笑)

―今日は長いこと付き合ってくれてありがとう!

いえいえ、こちらこそ!

活動報告 「世界の学校から」vol.11
http://www.rtnproject.com/2009/08/_vol11_1.html

インタビューアから一言

小池さんは一見とてもおとなしそうな人だけど、実はその中にすごいエネルギーと芯の強さを秘めているのが話していて伝わってきました。海外での充実した生活、成長などは、僕も見習わなければならないと、今更ながら思いました。こんな彼女は、高い向上心をもって、将来的に何かすごいことを成し遂げてくれると思います!
畑悠歩。1988年神戸生まれ。14歳から18歳までイギリスのロンドンに滞在。St. John’s Leatherheadを卒業後、帰国する。予備校で受験勉強をした後、慶應義塾大学に入学。現在、経済学部3年に在籍中。大学では、金融系のゼミで国際 経済と金融を学びつつ、学園祭の実行委員会にも所属している。