海外生活体験者・学生インタビューvol.77〜前編〜

石田真理奈さん。1986年生まれ。小学校6年生から6年間アメリカのカリフォルニア州に滞在。Woodbridge High School を卒業後、日本に帰国し、浜松医科大学医学部医学科に入学。現在6年生で学生生活最後の年。

―それではよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

私もクラスメートも難しい時期だった

―石田真理奈さんはアメリカに住んでいらっしゃいましたね。いつ、何歳から何歳までどこに住んでいたのですか。

小学校6年生の6月から高校を卒業するまでの6年間、アメリカのカリフォルニア州アーバイン市(Irvine)という街に住んでいました。

―アーバインはどういうところですか。

高所得者が多く住んでいる、とても整備された治安のいい街です。大きな州立大学もあって、教育にとても熱心な人が多く住んでいると思います。

―私はアメリカ、イギリスと経験しているのですが、アメリカはイギリスと違って公立の学校に通うのが一般的とされていますよね。どういう環境で中高生活を送りましたか。アーバインで通っていた学校について教えてください。

私の通っていたWoodbridge High Schoolは‘Play hard, Study hard’というモットーを掲げていて、勉強だけでなく色々なことが出来るということをとても評価してくれました。アーバインの中には勉強をすごくやる学校もあったのですが、Lakesideはそういう雰囲気ではなかったですね。勉強、勉強ばかりではなくて、スポーツとか課外活動への貢献もとても評価してくれる学校でした。

―中学校で初めてアメリカに渡っての海外生活ですよね。最初、なじむのは大変でしたか。

私は大変でしたね。やっぱり中学生になると、アメリカの子たちも難しい時期で、人格も形成されていてグループで行動するので、その出来上がっている中に入っていかなければならない上に、まったく外からの人間で言葉の壁あり……。私自身も思春期で色々難しい時期だったというのもあり、なじむのに2年くらいはかかりました。

私自身の話ではないですけど、反対に妹弟は小学校2年生のときにアメリカに行ったので、現地になれるという意味では、色々なことを知らないし考えなくてもいいので、早くなじんでいたし、英語の上達も早かったですね。

勉強にスポーツに、受験勉強も頑張る

―年齢によってだいぶ違いますね。2年後にはなじんで溶け込んでいったということですが、どのように適応していったのですか。ご自身に変化があったのですか。何か努力したことはありますか。

取りあえず、なじまなきゃ! とか、なじまなきゃ負けてしまう! という意識はありましたね。なじまないでOutcastというふうに見られるのは嫌だったし、自分が負けたと思いたくない気持ちがあったので、必死で勉強もしたし、なじもうと努力しました。英語の発音も、絶対に日本人っぽい発音にしたくなかったので ‘R’や‘L’、‘SH’の発音もすごく練習しました。

大きな変化という面では、高校に入ってからCross Countryという部活に入ったというのがあります。そこで出来た友達とは対等に話せるようになっていました。何か同じフィールドでシェア出来るものがあったから、そこから色々広がっていきました。

―高校時代、勉強も部活も一所懸命だったんですね。学年が上がるにつれて色々と忙しくなったと思いますが、どのように時間を使って過ごしていましたか。

最初は部活にすごくエネルギーを注いでいたんですけど、普通よりレベルの高いHonorsやAPのクラス取るよう努力していたので、学年が上がるにつれて勉強にかける時間が増えていきました。プラス日本の大学受験に向けての勉強もしていました。

―それは具体的に何をしていたのですか。

塾に通って小論文を書いたりしていました。

―アメリカは高校の時からそういう対策をしている人が多いんですね。ロンドンで、少なくとも私の周りでは特に受験対策をしている人っていうのはいませんでした。情報量の差を感じますね。

ひとを寄せつけないオーラが出ている

―話は高校生活に戻りますが、現地校に石田さんのほかに日本人はどれくらいいましたか。

全校2000人中30人くらいですかね。Irvineは日本人の多い街なので、少なくはなかったです。でも、韓国人の方が断然多かったですね。

―大雑把なくくりですが、アメリカでの日本人、韓国人、中国人の位置づけって、どういう印象がありますか。

私の学校では、韓国人はすごく大きなグループでかたまっていて、「韓国の人たち」という括りでした。他の人たちは入れないというか、反対に怖いぐらい寄せつけないオーラが出ているというか……。休み時間とかにかたまっていると、大きいグループだったから、現地人からも目立った存在でした。

逆に日本人は、小さいグループでちょこちょこいたり、私みたいにごろっと現地の人と一緒にいる人もいたりで、韓国人みたいに同じ民族で集まって、大きなグループを作って目立つ存在ではなかったかな、という印象です。でも、じゃ現地の人と全く話さないかといったら、そうではなかったと思うんですけど、韓国人は学校で本当に韓国人同士だけという感じで、私も現地の人と喋っているのをほとんど見たことがないです。

あと、中国人はほとんどいませんでしたけど、台湾人はわりと多かったですね。韓国人は徴兵制度の兵役を逃れるために来ている人が多かったんじゃないかな、という印象がありますね。

ボランティアがきっかけで医師を志す

―では、高校卒業後について伺います。今、浜松医科大学で医学部医学科の6年生をなさっていますよね。どうして医者になりたいと思ったのですか? きっかけ、エピソードがあれば教えてください。

もともと生命とか生物とか、医療には興味がありました。高校のときに病院でボランティアをやって、患者さんの家族や患者さんから、「ありがとう」とか「あなたの笑顔があるから頑張れるよ」とか言われて、医者という仕事は「すごくやりがいのある仕事なんだろうな」と深く印象に残りました。それに加えて、生物・化学の勉強自体も好きで楽しいと思っていたので、その興味が合致したのが医者でした。

―ボランティアはいつやったのですか。

高校2、3年です。コミュニティーサービスの一環で、地域で高校生でも出来るものを探したところ、近くの病院で出来たので、応募して始めました。

―帰国してからの半年間の受験生活、そして大学に入ってから、アメリカと日本の生活でギャップというのは感じましたか。

そうですね、帰国してから1年くらいは色々と大変でした。通勤ラッシュも負担でしたし、人との距離感も違いましたし、それが毎日ストレスでした。

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岡村美佳。1986年東京生まれ。4歳から8歳の4年間をアメリカのニューヨーク・カリフォルニアで過ごし、日本に帰国。その4年後、中学1年生12歳でイギリス・ロンドンに渡り5年間過ごし、Marymount International Schoolを卒業。その後、日本に帰国、06年に東京大学理科II 類に入学し、教養学部生命認知科学科を卒業。10年春、東京大学総合文化研究科に進学し、現在修士1年に在籍。大学では、現在酵母を使ってDNAの転写・組み換え機構について研究を行っている。