海外生活体験者・学生インタビューvol.78

吉野允規さん。1987年に東京で生まれ、1歳から6歳までの幼年期をドイツで過ごす。6歳からは日本の神戸に戻るが、また10歳からはアメリカのミシガンへ渡る。そこからは数回ミシガンと東京を行き来する生活を送り、19歳でWylie E, Groves High School を卒業。日本に本帰国し、帰国子女受験で国際基督教大学(ICU)に合格。現在教養学部国際関係学科の4年生。大学ではインカレのポーカーサークルに所属。ゲーム業界に内定。

―こんにちは! もう100回以上? 遊んだり飯食ったりしてるけど、改めてインタビューよろしくお願いします。

こちらこそよろしく(笑)

つらいって感覚とかがわかんなかった

―小学校以前はドイツにいたってことだけど、そのときのことは覚えてる?

生まれたのは渋谷なんだけど、そのときのことは全然覚えてない。でも、ドイツにいたときのことは覚えてるよ。現地の幼稚園に通ってたんだ。気づいたら、ドイツ語も理解して普通にコミュニケーションとれてた(笑)

日本人も何人かいて、親の関係でそういう日本人とも仲良かったかな。週末とかはそういう日本人と遊んでた。山に栗を取りに行ったり、なんていうかわかんないけど、ラズベリーみたいな木の実取ったりして、楽しかった思い出があるね。

―つらかったことはなんにもなし?

うーん。。。なんか小さすぎて、多分つらいって感覚とかが、わかんなかったんだと思う(笑) そう言えば、つらかったっていうか嫌だったのは、なんかニンジャタートルのTシャツ着てバンダナまいたドイツ人にいじめられてた! 殴ってやろうと思ったけど、当時は「俺は大人だから、手を出してやり返したらダメだ」って思ってやめた(笑)

神戸から離れるときはつらかった

―おーさすが! 当時から人間ができてたんですね(笑) 小4くらいまでは日本の神戸に帰ってきてたんだよね?

うん。親が家で日本語しゃべってたおかげで、日本語がわからないなんてことはなかったな。でも、ドイツ語はすぐに忘れちゃったね。日本の小学校もすごく楽しかった。ど田舎ってわけじゃないけど、いい感じに山とか海も近くて、クワガタ取ったり釣り行ったりしてたよ。後は駄菓子屋行ってカードダスやBB弾で遊んだり。いわゆるフツ―の日本の小学生って感じだったと思う。

特別なことと言えば、学級委員やってたこと。実は、このときから高1までずっと学級委員やってたんだよね。まとめるのが好きだったし、なにより、ほかの人が委員をやってまとめられずにダラダラ時間が経つのが許せなかったから(苦笑) だったら俺がやって、パパッと終わらせて遊びに行こう! みたいな。今思えば、明るくて、クラスの人気者みたいな感じだったかもね。

―いーねー(笑) で、小4でまた海外に行くことになると。

そう。神戸から離れるときはつらかった。友だちとも別れなきゃいけないし、当たり前だよね。逆に不安はあまりなかったんだけど、いざデトロイトに行って、新しい現地の小学校に行く前日とかは、やっぱ怖かった。それに英語が全くわからなかったから、毎日つらかったと言えばつらかったね。逆に、言語を使わない数学とか、音楽の時間のピアノとかはよくできて、そういうとこに居場所を見つけたみたいな感じかな。

1年目はそんな感じで英語が全くわからなくて、2年目で少しわかるようになった。3年目になると会話が段々わかるようになってきて、4年目では自分でも納得できるくらいの英語力がついたかな。そのころになると、テレビのスタンダップコメディとかもわかるようになってきて、外人ともほとんど同じレベルで付き合っていけるようになったね。

8マイルと15マイル

―デトロイトって聞くと、エミネムの映画とかのおかげで、なんか怖いようなイメージがあるんだけど、大丈夫だったの?

全然平気だったよ。デトロイトの中心があって、俺はそこから15マイルのところに住んでた。エミネムがいたのは8マイル。中心に近づくほど黒人の割合が多くなって、映画みたいに殺伐としていくんだけど、俺のところは結構富裕層が多くて、白人が90%くらいいたね。

―8マイルってそういうことだったのね(笑)

知らなかったんかい!(笑) 最初は英語しゃべれなくて、1人じゃどうにもならなかったんだけど、面倒見てくれるアメリカ人がいて、助けてくれてた。休み時間とかも一緒にいてくれたし、ありがたかったね。そこから自然とそいつのグループと一緒にいるようになって、いつの間にかそのグループに入ってた。そいつらとは高校卒業まで仲良かったし、家に遊びに行ったりとかもしてたよ。

日本人もいたけど、日本人同士で常につるむってことはしなかった。学校にはフランス人の留学生が結構いて、そいつらがずっと固まってるんだよね。アメリカなのにずっとフランス語で話してて、反面教師じゃないけど、それが嫌で自分はそうはならないぞって思ってた。多分留学してた人はみんな一度はこう思うんじゃないかな(笑)

中学からはフットボールのクラブに入ったり、バンドでトランペットを吹いたりして、充実したな。そのおかげで友だちもかなり増えたし、バンドの友だち、クラブの友だち、さらにその友だちって感じでどんどん輪が広がっていった。日本は1つのスポーツを決めて、その部活をずっとやるのが普通だけど、アメリカでは季節によって全員がいろんなスポーツをやるんだよね。楽かったし、いじめとかも全くなかった。

そのときは日本人が嫌いだった

―なんか、小学校も中学校も、充実しててうらやましいなー。で、また日本に戻ることになると。

そうなんです! いったりきたりだよ。千葉の中学の3年から入ったんだけど、そのときは日本人が嫌いだったね。白人や黒人に生まれたかった。当時の価値観だと、白人はなんかかっこいいし、黒人は運動神経いいし、それに比べて、日本人はしょぼいって思ってたんだよね(苦笑) 当時はアメリカから日本に帰ってきて、ますますそう思ってた時期だった。

覚えてるのは、日本の学校って、ガムとか食べちゃダメじゃん。でも、当時の俺は、「そうはいっても食べてもいいでしょ」って思って食べてたんだ(笑) そしたらめちゃめちゃ怒られた。ミシガンではみんな普通に食べてたし、食べたらダメな理由もわからなくて、ちょっと大げさかもしれないけどカルチャーショックだったね。日本ってやっぱ意味わかんねーって思った(笑)

でも、高校でICUに入ってからは、そういうのはほとんどなくなった。ICUって、いい感じに日本と外国の文化が混ざってるから、そういう環境に身をおいて、日本の良さとか、逆に、アメリカにも悪い部分もあるんだなって思うことができて、両方の視点で見ることができるようになったと思う。

いいかげんにしろって感じ

―そこでまたアメリカに行くことになると(笑)

そう!(笑) いいかげんにしろって感じだよね! 毎回友だちと別れたりするのもつらいけど、それよりも、自分の人生を計画できないのがつらかった。アツヤとか普通に留学した人って、留学する前から「3年間向こうの高校に行くぞ!」みたいな感じで、心の準備というか、ある程度先を考えながら生活できるジャン。俺の場合はそうじゃなくて、日本に帰ってきて、これからは日本で暮らすんだと思ってたら、また急にアメリカ行くことになったり、その逆もあったり、とにかく急なんだよね。毎回1ヶ月前くらいに決まるから、そこに理不尽さを感じてた。

―向こうの高校生活を通してなにか印象に残ったことは?

友だちとバカやったりして、楽しかった思い出もたくさんあるんだけど、勉強は厳しかったな。ミシガンで4番目の高校に行ってたんだけど、月曜から木曜まで宿題がガッツリ出て、それをやるのに大忙し。そんで金曜と土曜は遊んで、日曜はまた月曜の宿題を一日かけてやるみたいな(苦笑) おかげで、逆に週末は気合入れて遊んだし、英語力とかの基礎的な力もついた。だから、今では良かったなって思ってるね。日本の大学は楽すぎ(笑)

大学は日本に帰るってことに決めたんだけど、そのときはつらいとかなかったな。初めて自分で自分の進路を決めたから。日本での生活も楽しみだった。

帰国後の生活は、そこまで思いつめずに?

―受験はどうだった?

帰国子女受験でICUを受けることになったんだけど、当時のICUは試験とか面接とかなにもなくて、書類選考だけだったんだよね。高校の成績と、SATの点数を送るだけみたいな。だから、あんまり受験したって意識はないな。でも、当時はアート系の道に進もうかとも思ってて、そういう学校に行くためにイラスト描いたり、写真撮ったりしてた。結局、芸術方面には進まなかったけど、今でもアートには興味もあるし、趣味だし、いい経験になったと思う。

―大学に入ってからはどんな活動したの?

うーん。。。ポーカーサークルに入って、アツヤとかと出会って、ポーカーして遊んだり、ギター弾いたり、学園祭で発表したり、テニスしたり、楽しんでるって感じですね。めちゃくちゃ勉強したってわけじゃないけど、今までやっぱり少し足りなかった日本語の勉強したり、適度にやってます。

就活も、厳しい厳しいって言われてたけど、そこまで思いつめずにやって、運よく内定もらったから良かった。もともと、仕事人間には絶対にならないぞって思ってて、仕事ももちろん大事だけど、それだけじゃなく、趣味とか、自分の生活に一番重点をおいていきたいんだよね。あとやっぱり、ずっと音楽とかアートとかが好きだったから、ゲームの音楽製作とか音楽系の業種も半分くらいES出したり、そういう自分の考えにあった会社を選んで受けた。就職を決めた企業も私服だし、満足してます。

帰国子女なんていっぱいいる

―いやーとにかくうらやましい! じゃあ最後に、海外生活で得たものやら、就職も含めてのこれからやら、まとめ的ななにかお願いします!

難しいな(笑) えーと、海外経験ってことだけど、アメリカに行ってた帰国子女なんていっぱいいると思うんだよね。そういう人たちと自分が違うところって、やっぱりアメリカと日本を行ったり来たりして、両方同じくらいの年月を過ごしたってことだと思う。アメリカに小さいころから住んでたって人とか、生まれてからずっと日本って人も、やっぱり完全にフラットな目線からは両国を比べられないと思うんだ。それが、自分にはよりフラットに見ることができると思っている。

これからは、多くの人が思ってることだとは思うけど、やっぱりグローバルに働きたい。日本のなんとか支店に配属されて、定年までそこっていうのは絶対やだし、アメリカ以外の海外にも住んでみたい。また、マイナスが出ないようなやり方で社会に貢献していきたい。例えば、いいゲームを作ってみんなに遊んでもらうとか、作品で世の中を良くしたいね。職人的な考えだけど、そういうイメージでやっていきたい。

―インタビュー受けてくれてありがとう! 今まで何度も遊んだけど、こういう話が聞けていい機会でした。

いえいえ、こちらこそ(笑)

Wylie E, Groves High School :
http://www.birmingham.k12.mi.us/Schools/High+Schools/Groves/

インタビューアから一言

允規くんとはもう2年以上の付き合いになり、一時期は毎日遊んでたくらい仲が良い友だちなんですが、今回のインタビューで改めていろんな話を聞けて良かったです。彼の印象は、本当に良くできる人という感じ。大学の成績もめちゃめちゃ良く、英語もペラペラ。まあこれは当然か(笑) だけど、勉強だけのカタブツというわけではなく、ギターも弾くし、ポーカーもやるし、スポーツもなんでもやるし、他にも絵を描いたり、ギャグのセンスは0ですが(笑)、本当に多趣味です。でも、彼の一番の魅力は、それなのに全く厭味を感じさせないキャラクター、人当たりのよさでしょう! 1学年違いますが、彼に負けないように僕も頑張っていきたいです。
高橋篤哉。1989年東京生まれ。日本の小、中学校を卒業後、高校の3年間オーストラリアに留学。Cairns State High Schoolを卒業し、2008年に立教大学経営学部経営学科に入学。現在3年に在籍。インカレのポーカーサークルに所属し、代表を務める。