海外生活体験者・社会人インタビューvol.72〜前編〜

interviewee_s_187_profile.jpg 瀬上純さん。1970年生まれ。宮城県宮城郡松島町出身。中学校から3年間、パナマ日本人学校に通う。帰国後は青山学院高等部に入学。大学は青山学院大学経済学部に進学し、学外で積極的に音楽活動を行う。93年に卒業後、株式会社セガに入社し、2000年より約8年間サンフランシスコに在住し、Sega Of America, inc.に所属。現在はサウンド・ディレクターとしてだけではなく、ゲームから派生したロックバンド「Crush 40」のギタリストとして世界で活躍している。

常夏の国パナマで暮らす

―本日は忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます! まず、パナマでの生活についてお聞かせ下さい。

初めての海外がパナマだったのですが、日本人学校に通っていたこともあって、じんわりと国に馴染んで行きました。週末にサッカーをやっていて、それでよく友だちと練習をしていたり、現地の学校との交流試合に参加していたりしたので、楽しい生活が続いていました。

その当時、パナマでは運河の周りがアメリカ軍のものでした。その地域では英語が通じる国だったので、文化的・語学的なものも含めて、有意義な場所だったと思います。日常生活の中で英語は使う頻度は高くなかったですが、一応向こうの人たちから英語を習ったりしていました。

―パナマでの生活で一番印象に残っていることは何ですか?

やっぱり、パナマは日本と違って天候的に常夏だったことです。日本だと四季がはっきりしているので、一年中常夏の国に住むことはなかなかできない体験をしたなと思っています。あと、初めてスクールバスに乗ったことも衝撃的でした。ほら、日本の学生の通学手段は徒歩か自転車じゃないですか? だから、パナマみたいに皆でスクールバスに乗って通学することは非常に印象に残っています。

―では、逆にパナマで挫折とか経験したことはありますか?

んー、私の場合、パナマでの生活で苦労したことはなかったと思います(笑) 週末は学校の友だちとサッカーの練習をしていて、時には現地の人たちとの交流試合に参加していたのですが、そうした生活を送って、とにかく毎日が楽しくて、私的にパナマでの生活=楽しいといった印象で美化された思い出となっています。今でも当時の友だちと会ったりしていますし。

―ということは、パナマで知り合った友だちが一番仲良かったということですか?

それは間違いないですね。特に、私が通っていた日本人学校は約100人しか在籍していなかったため、クラスの人数が少なかったからこそ、友だちと親しくなれたと思います。とにかくお互いが仲良かったこともあり、パナマでの生活は楽しかったですね。

3歳でピアノを習い始め、高校でギターに熱中する

―ちなみに、音楽はいつ頃から始めたのですか?

3歳からピアノを習い、その後はキーボードやベースもやっていました。そして、ギターを初めて手にしたのは、私が高校に入学してからです。きっかけは、当時は洋楽ロックブームだったのですが、彼らに憧れて、ギターをやってみようと思いました。また、パナマでのケーブルテレビは音楽番組が24時間流れていて、それを見て影響されました。今思うと、あの時ギターを熱心にやっていたから、今に繋がっているなと確信しています。

―なるほど。では、高校時代についてお聞かせ下さい。

高校時代は過ごしやすい生活が続いていました。そういう意味では、パナマでの生活とあまり変わらなかったです(笑) 向こうでは服装が自由だったし、規則も厳しくなかったのですが、高校も自由な生活だったため、不自由なことはあまりありませんでした。まぁ、高校時代を一言で言い表すと、「音楽に没頭した高校生活」でした。いつもギターの練習をして、そうした生活が大学生活でも同じ形で続きましたね。

―ということは、大学も音楽活動に没頭していたっていうことですか?

そうですね、高校・大学時代はいつもギターを弾いていました。大学生のときからプロになりたかったので、音楽に夢中になっていました。ちなみに、私は一切サークルに入っていませんでした。サークルに入ってしまうと、どうしてもサークルの中の活動がメインとなってしまって、それはちょっと、自分がプロになるためには近道ではないと感じました。

大学ではサークルに入ってなかったのですが、私だけ学生で、20代半ばや後半の人たちと交じって、音楽活動を行っていました。やっぱり、学生の趣味の取り組み方だと夢で語られる世界になってしまうので、彼らと同じ世界にいてしまうと、プロになれる確証がありません。ここはあえて20代を中心にしたアマチュアの世界に入った方が、道が開けると思いました。大人の世界は、学生と違って姿勢が明らかに異なっていて、とても良い経験になりました。まぁ、音楽活動をしていくに連れて、越えられない壁を感じましたけど……。

ひととは全く違う大学生活&就職活動

―大学での勉強の方はどうでしたか?

正直、熱心に勉強していませんでした(笑) 当時は音楽一本だったので、大学のゼミにすら入っていませんでした。ゼミに入ってしまうと、普通だと週に2回は会って議論を行いますが、私はツアー等があって東京にいないときが多かったので、ゼミには参加していません。ゼミが必修じゃなかったことが幸いでしたけど。

―就職活動はいかがでしたか?

私の就職活動は遅くて、4年生になってもほとんどやっていない状態でした。周りの友達は4年生の春か夏あたりに内定が決まっていましたが、現在務めているセガに資料請求したのは4年の夏頃(笑) それまでずっとバンドに集中していたのですが、4年生になってからバンドではデビュー出来そうにないことに気付いたので、諦めて就職活動を始めました。

就職活動のことは全く無知だったので、友達に相談したところ、ゲーム業界を勧められました。たとえバンドでデビューすることを目指すことを諦めても、音楽と携わる仕事をしたいと考えていました。ゲーム業界でもBGMとして音楽を作成できると聞いたため、セガに自分のギターの録音したデモテープを送付して、エントリーしました。今思うと、私は他のひとと全くルートが違う就職活動をしていたなと思います。

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徳井洋平。1989年生まれ。三重県出身。小学1年から中学3年まで、アメリカのロサンゼルス、シカゴなど、様々な土地で暮らし、高校3年間はカナダのト ロントで生活し、Pine Ridge Secondary Schoolに通う。大学受験を機に帰国し、立教大学社会学部に入学。現在3年に在学中。大学では、朝から講義、午後は放送研究会のサークル活動のため、多忙を極める。趣味はサッカー観戦で、ACミランのカカをこよなく愛す。