海外生活体験者・学生インタビューvol.79

interviewee_s_182_profile.jpg 片桐悠太さん。1989年大阪生まれ。6歳から13歳まで、アメリカ・ロサンゼルスに8年在住。Hickory Elementary school、西大和学園カルフォルニア校に通う。大阪の公立中学に編入して卒業後、同志社国際高等学校へ進学する。高校卒業後、同志社大学商学部に入学。体育会ゴルフ部に4年間所属し、チームの主将を務める。ゼミは国際ビジネスコミュニケーションゼミに所属。

気がついたらアメリカにいた

―今日はよろしく!

おう、よろしく!(笑) 山下とは去年の夏に、帰国して初めて会って、冬も会ったりしたな。初めて会ったのが中学校2年生のときだったよな。中学校1年生のときからは大分時間が経ってるよなあ……。

―あれ、中学校1年生の時に西大和学園のカリフォルニア校来たんだっけ? まあ、いいや(笑) 最初から教えて! 初めて海外行ったのはいつ? アメリカに行く前には、他にどっか行ってたりしたの?

アメリカに行く前は大阪の住吉区に住んでいて、小学校1年生になって1ヵ月で、アメリカに行った。小学1年から中学の2年までアメリカのロサンゼルスにずっと住んでて、アメリカと日本以外の国には住んだことないよ。

―どうしてアメリカ行ったの?

父親の仕事の都合で、気づいたらアメリカにいたって感じで、当時はなんでアメリカにいたのか、全く疑問に思わなかったなあ。

最初は本当に辛かった

―日本人学校で一緒だったのはもちろん覚えているけど、それまではずっと現地校だったの?

そうだね。小学校1年生から中学校の1年生まで、現地のヒッコリー・エレメンタリー・スクールってところに通っていて、中学1年の途中から西大和に転校したんだ。

小学校1年で現地校行ったのって、英語とか辛かったんじゃない? 小学校低学年だったら、日本語もろくに勉強していないんだろうしさ。

そうだね。最初は英語全くわからないから本当に辛かった。周りと一緒に勉強できないからね。一人だけ取り残されて、隔たりを感じていた。日本人も1クラスに1人くらいだったから、日本人の友だちも全然出来なかったしね。現地校にバイリンガルの日本人の先生がいて、その人にすごく助けてもらってたなあ。

ESLを卒業してからは楽しくなった

―ESL抜けるのにどれくらいかかったの?

授業を理解するには英語力が必要で、どうするかを考えていていたんだけど、とりあえず単語から勉強しようと思って、1日最低1単語は覚えるようにした。それを3年くらい続いて、ようやくESLのクラスを抜け出すことが出来た。現地の子たちと一緒に勉強するようになってからは、楽しかったなあ。ベトナム人と日系の友だちで、ドジャース・スタジアムに野球を観戦しに行ったり、ユニバーサル・スタジオに行ったり。ESL抜けてからは現地の友だちと遊びまくってた!(笑)

―へー!小さいころからコツコツと単語覚えていたんだ。本当に偉い!

それから小学校4年生のときには学校の生徒会長に立候補したりして、結局落ちちゃったんだけど、選挙活動を通じて、恥ずかしいとか思わなくなって、フランクに色んな人に話しかけることが出来るようになったかも。あと、どうやって自分を売り込むかってことが、ちょっとはわかったかもしれない。

現地校ではクッキーや和菓子を売ってた

―他に現地校で思い出に残ってることはある?

マラソン大会があったんだけど、走った距離に応じて、親からどこかの施設に寄付が贈られるとか。あれは一所懸命走った! それから、クッキーとか和菓子を売ったりしてた。企業が学校に来て、生徒がお菓子を売るんだけど、たくさん売ったら表彰されたり、おもちゃやお菓子貰えたりするんだよね。一番豪華だったのは、遊園地のチケットだったかなあ。だから、それも頑張ってお菓子売ってた!(笑)

―俺も高校のときにそんな感じのことやらされたなあ。確か俺の場合は部活でそんなことやらされたりして、売るチケットってのがカジノのチケットだった(笑) 高校生が売っていいものじゃないと思ってたけど、とりあえず部活だったからせっせと売ってたなあ。もちろん売れなかったけど(苦笑)

朝、昼、放課後とバスケで一日が終わる

―その後は日本人学校だな! どうだった西大和は? 日本の小学校もほとんど行ってないし、日本人の友だちというか、日本人が周りにほとんどいなかったんだから、最初は戸惑ったりした?

日本人学校には、アメリカ滞在歴が割と長い人が多くて、すんなりと入れたよ。移ってからは、他にやることがなかったのもあるけど、ずっとバスケしたりして楽しかったなあ……。朝ちょっとバスケして、昼飯食べたらすぐバスケして、放課後も親が迎に来てくれるまでバスケ(笑) あれは楽しかったなあ。

それから、日本人学校は一つしかなかったから、色んな地区に住んでる人たちがいたよな。現地の公立学校だと、地区ごとに通う学校が決められるけど、日本人学校とか私立だったら、学区関係ないからね。だから、ちょっと遠いところにあったりして、親の送迎が必須だったよね。

―バスケは楽しかったなあ。学校も小さいから、他にやることが本当になくて、運動好きなら皆バスケやってたよな。体育の先生がアメリカ人で、確かアメリカの大学でもバスケやってた人だったから、体育の時間なんかにはその人とバスケ出来たりして、本当皆燃えてたよね(笑)

確か名前、Oliverだっけ? 本当にバスケ上手くて、Oliverに一泡吹かせてやろうと皆必死だったよな。他にも、昼休みとかバスケしてたら、暇な先生とか乱入してきて、あのときの生活はバスケで回ってたと思う(笑)

衝撃だったのが空気を読むってこと

―日本に帰国してからはどうしてたの? 最初から日本楽しかった?

高校受験までは、普通の公立中学校に通ってた。なかなか馴染めなかったなあ。初めての日本での学校だったし、いろいろ戸惑った。一番衝撃的だったのが、空気を読むってことかな。別の言い方すると、いかに周りに合わせるかって感じ。変な主張もできないし、先生に言われたことを言われるがままに、忠実にこなしてたよ。アメリカにいた頃からしたら考えられなかった(苦笑)

―確かに(苦笑) ほかには何か困ったことあった?

後はやっぱり漢字かな。小学校1年生から現地校だったし、漢字はろくに書けなかった。だから、漢字検定で級を取るって自分で目標決めて、漢字覚えてた。

雰囲気も良い感じで緩くて

―そのあとは受験して、同志社国際だっけ?

そうだね。中学校3年生のときに塾通いして、同志社国際に合格した。ロサンゼルスに住んでたときの知り合いが、何人か同志社国際にいたよ。

公立の高校行ったことないから、本当にそうかわからないけど、同志社国際はほかの高校と比べて自由だったなあ。髪染めてるやついるし、もちろん私服だし、イメージ的にはなんでもありだったかなあ。

先生の雰囲気も良い感じで緩くて、受験がないからクラスの雰囲気もピリピリしてることはなかったかな。あと、よかったのが英語のクラスで、ほかの公立に比べて2倍くらい英語のクラスがあったよ。そのおかげで英語力もそれなりに維持できて、大学生のときにTOEIC受検したけど、ハイスコアを取ることができた。

ゴルフ三昧の高校&大学生活

―部活動は何かやってたの?

高校だとゴルフ部に入ってたよ。アメリカでちょっとやってたし、面白い先輩がいたから入った。最初の試合で160叩いちゃって、そのときは周りの目が本当に痛かったから、やめたくて、やめたくてしょうがなかったんだけど、最後までホール回って、やり遂げて、少しは根性ついたと思う。高校3年間はゴルフに打ち込んでたな。

―その後は同志社大学だよね

うん、そうだね。そのまま進学して、商学部に入った。高校のときの部活の顧問の勧めもあって、大学でもゴルフ部に入った。大学ではゴルフばっかりやってた。バイトもキャディーのバイトやったりして、本当ゴルフ漬けだった(笑)
そのせいか、大学では主将まで上り詰めたよ。さっき160叩いたって言ったけど、ゴルフのスコアも最高75で、スコアも半分以下に縮めることができた!

―160→75ってすごいな(笑)ゴルフ以外はなにかしてたの?

海外から帰ってきた小学生に英語を教えるバイトをやってた。ほとんどボランティアなんだけど、自分みたいに帰国して、英語に困ってる人の力になりたくて、英語を教えてたんだ。

―もう時間だね。今日はありがとう! 大学も本当近いし、今度また会おうぜ!

おう!(笑)

Hickory Elementary school :
http://www.hickoryelementary.com/
西大和学園カルフォルニア校 :
http://www.nacus.org/
同志社国際高等学校 :
http://www.intnl.doshisha.ac.jp/

インタビューアから一言

片桐くんとは中学校のときに同級生で、お互い大学に入ってもからたまに会っていましたが、こうやって改まって話す機会はなかなかなかったので、今回は非常に良い機会になったと思います。日本に帰ってから、漢字の習得にしても、ゴルフにしても、コツコツと努力をしていたみたいで、そのあたりは僕も見習いたいと思いました。今回はありがとう!
山下博之。1988年神奈川生まれ。小学校6年生の3学期からロサンゼルスへ渡り、高校卒業まで、滞在。中学校から高校1年までは日本人学校。西大和学園カリフォルニア校(6th,7th,8th,9th)、Los Angeles International School(10th)、その後、現地のWest High Schoolに転校し、卒業。帰国後、京都大学経済学部に進学し、現在3回生。国際経済学(本ゼミ)とイノベーション戦略(サブゼミ)に所属。サークルは、野球サークルと新書講読会に所属している。